先日ブログに書いていたサークルへの参加について

 事の顛末を書いてみたいと思う。

 

 

 あれから、主催者と2人で、

 2回ほど一緒にトレーニングをした。

 主催者は明るく気さくな雰囲気の方だった。

 そのように見えた。

 

 しかし、主催者と1度トレーニングをしてからというもの

 それ以降、妙な連絡の「行き違い」「すれ違い」 の

 ようなものが頻繁に生じるようになった。

 次に会う約束日時、現地での集合場所、仲間の人達との練習...etc

 

 行き違い等について、私が相手へ確認しようとすると

 何か「はぐらかされている」感覚を感じた。

 (違う話題にすり替えられる...etc

 

 そして「仲間」がいると言いながら

 いつまでも練習ややり取りは2人の間のみ。

 

 納得はいっていなかったが、実際、特に

 大きく困ることは無かったので、その時は黙っていた。

 

 しかし「あれ?」「そうだったっけ?」と

 いう考えが頭の中に残り続けた。

 これって、地味だけどかなりのストレスがかかる。

 

 正直、途中から、春に受けたモラハラが頭の中に

 少しフラッシュバックし始めて、

 「おちょくられているのか?」と感じた。

 

 考えすぎだろうと途中までは思っていて、

 違和感を感じながらも、積極的に連絡を相手と

 取ってはいた。

 

 そして昨日、実は相手と「飲み会」の約束をしていたが

 その件についても同じようなパターンが起きた。

 すれ違い、行き違い。連絡がこない。結局飲み会はなし。

 

 そして、俺がそのことに対してLINEで確認したら、

 相手は「また今度誘います」という返事だけ。

 

 その挙句、数分後には全く違う用件を

 LINEで聞いてきた。

 

 ここで、

 「ああ、これは「クロ」だ。

 すれ違いや行き違いなんかじゃない

 おちょくってやがる。

 舐めてやがる。

 

 俺はそう判断した。

 

 

 で、今日、迷ったけど相手にLINEメッセージを返した

 

 ・飲み会の件は詳細連絡を待っていた

 ・問い合わせた飲み会の件の話が強制的に終わらされ、

 すぐに違う話を持ち掛けられ、正直、嫌だなと思った。

 

 ・次の練習も気持ちよく走りたいのに残念に思った。

 

 ・正直、もう何も返信せずに無視しようと思ったが

 一緒に走って楽しかったし、

 新しいコースも覚えられたので、それはしたくなかった。

 

 ・次の練習へ行く気はもうない。

 

 大まかにはこんなところ。

 よくもまあここまで大人な対応をしたものだと自分で思う。

 

 そしたら、相手からは返信なし。

 既読マークは、俺が送ったメッセージ4つのうち

 3つで止まっている。

 

 ああ、何か「返信できない」理由があるのかなと感じた。

 

 正直、相手の意図は分からないままだ。

 けど、何も後ろめたいことがないのであれば

 普通に理由を話すんじゃないのかなぁ...

 

 

 ぶっちゃけショックだ。

 意を決して飛び込んでみたサークルが、

 「受け入れられているようで、実はそうでは無かった」

 のかもしれないということ。

 

 そして、俺が突っ込まなければ、

 「ぞんざいに扱われ続けていたのかもしれない」

 という事実を突きつけられて。

 

 ただ、少なくとも

 誰かと一緒に走ることで、モチベーションが

 アップすることが実感できたし、

 色々とコースを紹介してもらったことについては

 相手に感謝している。

 

 

 今回の問題点として

 

 相手と話をするときに

 ・自分が思ったことを言わず飲み込み過ぎていた

 ・相手に合わせすぎていた

 

 結局これまでのパターンを繰り返していた。

 

 結果、相手に「好きなように扱われること」を

 態度で許してしまっていたのかな。 

 

 この点は本当に反省。

 

 

 けど、それ以上に、春に受けたモラハラのダメージの

 「後遺症」として、心に「人間不信」的な感覚が

 まだ大きく残っていた事。これはショックだった。

 

 目の前の相手に対して、

 (以前からはかなり改善したとはいえ)

 無意識に警戒心が出てくるし、

 そうなってしまうと

 頭の中で考えがまとまらない、という感覚。

 これが本当につらかった。

 

 

 それでも最後に、

 正直に自分の考えを伝えることは出来た。 

 このことで、頭の「重さ」が

 少し軽くなったような感覚はあった。

 

 

 ...さて次!

 

 と行きたいとこだけど、やっぱへこむなぁ...

 マジでしんどいわ。泣きたい。

 

 

---

 

 (追記)

 目出たいことに俺のLINE IDが相手から

 ブロックされていることを確認。

 肩の荷が下りました。

 

 

 

 

 

 

 

 心の中が久しぶりにめちゃくちゃになった

 感覚があった。


 沸き上がる悲しみと怒り、そして
 そんな中でも、そのような感情を

 「何もないように思い直そうとする、

 「正しいこと」「こうすべき」「ちゃんとすべき」

 を突きつけようとする」

 自分自身がいた。

 まさに俺が昔、母親からされてきたこと

 ふとしたことから、感情がほどけだして、

 恐れが出てきて
 

 そこを境目に怒りも出てきて
 悲しみも出てきて

 

 でも、「無理やり、気持ちを立て直そうとする」

 自分もいて
 心の中は収まりなど付けられなかった
 

 何かがこみ上げてきそうな感覚が、

 何度もあった
 
 辛い。

 

 ここまでの想いが
 頭の中に浮かぶとか、

 俺はどんだけ
 大変な事を抱え込んでいたんだよ、


 しんどい。やりたくもないことを
 やるのはしんどい。

 

 俺は頑張っているのに
 これまでも頑張っているのに
 誰も賞賛してくれない
 親も賞賛してくれなかった

 

 昔からそうだった

 なんでなんだろう
 どうすれば喜んでもらうことが
 できるんだろう
 どうすれば褒めてもらえるんだろう
 
 ずっとそんな気持ちを抱いてきた
 強く強く強く。

 けどそれは訪れなかった。
 出来ない事を注意されるだけだった
 自分は「ダメな人間」なんだと思った

 親から認めてもらえない私は
 「価値のない人間なんだ」と思った

 だから「頑張らないといけない」と思った
 でも、いくら頑張っても褒めてもらえることなど
 なかった。こなかった。



 ふと思う。
 あの時、学生時代の時、俺自身、

 何を思っていたんだろう


 当時、俺は自分を殺していた。
 自分を出さないようにしていた。

 「どうせ褒めてもらえないから」
 「どうせ何かにつけて注意されるだけだから」
 「どうせ何をやっても認めてくれないから」
 
 何か、何をやっても面白くなかった
 何か、機械的に同じことを毎日繰り返している
 ような感覚だった


 そういえば、高校3年生になっても、

 未来のイメージなど描けなかった
 
 学校に通い、学校で授業を受け
 家に帰ってご飯を食べて、ゲームをして寝る


 ずっとそんな日常が、これからもずっと

 繰り返されるものだとずっと思っていた。

 「何かおかしい」とは思った。その時点で。
 みんなはどうなんだろう?と思った。
 心のどこかで。

 「全てが他人事」
 今思うと、正にこの感覚は、もう学生時代の頃から
 始まっていたんだと思う

 

 心の中にある違和感、やりきれなさ、
 どこか我慢している...
 ...でも「それが当たり前だ」と思っていた
 いや、そう「思い込む」しかなかったんだ
 

 気持ちを出したら、感情を出したら
 親からは「文句あるのか!?」と
 言われるだけだろうと

 心の片隅で強く思っていたから

 悲しい。とにかく悲しい。
 
 弱音を吐きそうになると決まって
 母からの「弱い奴はダメだ」という返しを
 常に受けてきた

 大人になってからは、父がそのような態度を
 取るようになってきた

 普段は過干渉であった母が、高校進学時や
 高校卒業後の進路の話になると
  
 「あんたが決める事だろう!」

 と一蹴してきた


 (心の面で自立できていなかった)私が
 就職後、若いころに精神を病んでしまい、
 これからどうしていいのかわからない
 というと

 「もう大人だろう!」

    「わからないとは何だ!」

 と父から一蹴された。

 
 このように「将来にかかわること」「心の問題」
 という「責任重大であること」に
 直面した時には、いつもこのような対応をされた


 親は言葉では正しいことを言っている。
 
 けれども違和感があった。子供のころから。


 今になってわかる。
 「ああ、子どもの問題に直面するのが
 怖いのだな」
と。

 「いかにも「それらしい」「正しい」言葉を

    使って、逃げているんだな。俺の「心」から」

 「この人たちは、俺(の心)から
 逃げ回っているんだな。昔から。」

 「俺の本心と向き合う事を恐れているんだな。」

 「自分はいい親だ という「幻想」が
 崩れることを恐れているんだな。」

 「自分がやってきたことを何が何でも
 「間違っていない」「正しかったんだ」と
 思いたいんだな。」

   「息子が心を病んだ という事実を

     受け入れたくないんだろうな」

   「...ひょっとして、この人たちも

    心の問題を何か抱えている  のか?



 ああ...

 この人たちは、

 顔や体は、俺を向いていたけど
 口では、俺のことを思っているとか言っていたけど

 心の中では、俺に対して及び腰になっているし
 俺の方を向いていない。

 それどころか、あさっての方向を向いて
 うろたえ、逃げ回っている。

 

 そしてそのことに、この人たち自身

 気づいていない。

 

 

 直感だ。証拠はない。

 完全な直感。

 

 大人になり、心を病み、

 自分のメンタルと向き合い、

 心理学の勉強も重ねている上で
 親と接していて感じた事だ。


 

 けど、絶対に気づいているはずだ
 心の奥底では。

 「どうしよう。
  息子が大変な事になっている。
 
  私がやってきたことに
  間違いがあったのか

  けど認めてしまったら
  自分は「いい親」でなくなってしまう

  ...そうだ。
  もう息子は「大人」だ
  
  そうだ、息子自身の責任だ。

  でも本心では悪いとは思っているんだよ 
 
  こうやって、心の中で思っているんだよ
  心の中で自分を責めながら、罪悪感を
  持ちながらも、苦しんでいるんだよ。私も。

  今でもあなたのことをこうやって
  心配しているんだよ?」
  

  良くも悪くも外面だけはいい親だった。
  だから大方、
  こんな心の葛藤を抱えているのかもな。

  俺の予想だけど。


  けどそうだったとしても、

  俺はもう構ってなどいられない。



  昔から、過干渉 と 否定 を受け、
  達成(成功、失敗)体験と自信を

  積む経験を経てこれなかった。

  


  自信の無さと自己評価の低さなど、

  数々の問題を抱えたまま、

  そして「将来の事」すらも

  何も考えず、人に言われるがまま社会に出た。

 


  大人になっても、人を信じる

  ということに踏み出せず、

  何かあった時は

  親にすがりつくだけだった。

  


  精神的に虐待されていたのに

  それでも、「気持ちの上で親に

  依存せざるを得ない」状態が

  何年も続いていた。

 


  この状態に気づくのに

  どれだけ時間を要したか。

  この状態から脱するのに

  どれだけ時間を要したか。

 

 

  そして今年の春、職場でのモラハラを

  きっかけに、昔の心の傷がえぐられたような

  感覚があった。

 

  でも、ここまでこれた。

  文章にすることは出来た。

 

  これからどうしたいのかは

  まだ決められていない。

 

  でも俺は自分の意思で

  自分の人生を生きるんだ。

  

  そのために

  前に進むしかないんだ。

 

 

 

 

 思い切ってネット広告掲示板

 趣味(スポーツ系)のサークルに

 入会してみた。

 明日、その集まりが開催される。

 行くのは初めて。

 

 実は相談は5月位にしていたけど、

 それっきりだった。

 

 で、間が空いたけど思い切って

 再度連絡をしてみたら、受け入れてくれた。

 

 実はマラソンを8年前くらいからやっていた私。

 大会にも出ていた。フルマラソンも10回以上

 完走した経験がある。

 でも、これまではずっと一人でやっていた。

 

 大会に出るたび、同じサークルであろう

 人たちが仲良く談笑したり、同じTシャツを

 来ていたり...という風景を見て、

 みんな仲間がいるんだなぁ...とか軽く

 思っていたつもりだったけど、

 本当はすごく羨ましかった。

 

 コミュ障な私だけど、思い切って

 連絡を取ってみてまずは良かった。

 

 今は、ともかく人と接することが

 私にとって必要だと思う。

 

 その中で間違いなく傷つくこともあるだろうが

 それでも、少しずつ「人を信じる」ことが

 どのような感覚なのかを取り戻していきたい

 

 そして「人と接すると色々とあるけれど、

 それでも楽しい」と思えるようになりたい。

 

 明日はそのための第一歩だ。

 

 

 

 

 

 メインジャンルとは違う話題。

 

 

 先日、十数年ぶりに受験した日商簿記試験(3級)

 おそらくは合格したと思う。

 

 継続して勉強しようかどうか、

 迷いに迷ったけど、

 来年の2月の受験に向けて、

 2級にチャレンジしようと決めた。

 

 テキストも購入した。

 学習計画もおおよそで立てた。

 

 さーて、合格以前に勉強が

 間に合うのかどうか、

 工業簿記とか、もうほとんど忘れていると

 思うしな...

 

 

 受ける目的として

 

 ・考え、プロセスを経て、答えを導くトレーニング

 ・達成体験を積む

 ・コツコツ、積み重ねる努力経験を積む

 

 そのために少しでも既存知識のある

 簿記試験に向けて勉強を継続したい。 

 

 わからないことを解いていく

 

 ということに、本当にうれしさを覚えたから。

 

 

 ただ、仮に合格できても、

 人生が激変するわけでは無いとは思う。

 厳しい現実は直視するしかないし

 受け止めるしかない。

 

 でももう

 「傷付かないままでいることをあきらめる」しか

 人生を変えていくことは出来ないんだ。

 やるしかないんだ。俺。

 

 

 

 ----

 

 メインジャンルとは違う話題を書いたら、

 アクセス数カウントからは除外扱いになるんだ...

 知らなかった...

 

 

 

 きつい。

 相変わらず、物事を考えること自体が

 しんどいし、集中が出来ないときがある。

 

 そういえば、職場でモラハラを受けてから、

 もう半年以上経過する。

 

 今日は少し、モラハラ後、休職になって

 しまった頃を振り返ってみる。

 

 

 休職になって以来、4カ月間くらいは何も

 考えられない状態が続いていた。

 

 ネット上や本の「争い」「いやがらせ」というような言葉、

 そして同じく、ネットやテレビなどでの争い(舌戦、口論など)、

 人を見下し優越感に浸るという描写...

 

 私にとって、当時を彷彿とさせるような

 キーワードや場面を見てしまうだけで

 頭が真っ白になったり、パニック状態に陥っていた

 全身に緊張が走っていた。

 

 そして、以前の何倍にもなって蘇ってきた、

 「自責」 

 「罪悪感」

 「強迫観念」

 「無力感」

 「空虚感」

 挙げればキリがない。

 

 何か、「エネルギー」「気力」そのものを

 吸い取られてしまっていた感覚があった。

 

 そして何より一番つらかったのが


 普段であれば「自己肯定感」という

 自身の精神面のエネルギーのおかげで

 受容できている、

 自分の欠点や至らなさというものが

 

 精神面のエネルギーを吸い取られ、

 しゃぶりつくされ、

 心が完全に干上がってしまったことにより、

 

 自分のちょっとした至らなさを思い出すだけで

 

 「私は存在価値のない人間だ」という

 強烈な自己否定に、心が囚われてしまう

 いうパターンに陥ってしまったこと。

 

 しかし、そんな状態にも関わらず、

 「ネガティブな感情を抑圧し、平気な振りをしようとする」

 「普段通りに、無理やり振舞おうとする」

 自分がいた。

 

 頭が重く、何もやる気が起きない。

 すぐに気力がなくなる。

 

 あるとき、無理に行動するのをやめ、

 自分の心に耳を澄ませてみると

 

 「どうでもいい」

 「どうせ何やったって一緒だ」

 「どこに行ってもどうせ自分は受け入れられない」

 「それならばいっそ...」

 「てか、生きている意味あるのか?」

 

 こんなことを思いめぐらせている自分に

 気づいた。

 普段の生活はしながら、普通に。

 

 驚いた。

 

 「これって「希死念慮」って奴だよね?」

 「俺は「死にたい」という気持ちにすら

 フタをしていたのか?

 「あれ?この感覚って、もう若いころから

 どこか感じていなかったか?」

 

 ...希死念慮を抱いている自分にも驚いたが

 若いころからずっと、色んな感情を押し殺して

 来た自分の感情の正体の一つが 

 

 実は「希死念慮」だったのでは、

 ということに気づいたのもショックだった。

 

 心、人の心理、自分の行動パターン...

 そのことを勉強していなければ、

 本当に自分は壊れていたかもしれない...

 って、今でも本気で思っている。

 

 

 本当にこんな状態から、よく立ち直れたよな。

 俺。

 

 そして、今まで自分自身の心をさんざん無視して

 しまって、本当に申し訳ない。俺。

 

 

 まだ時折辛い状態は襲ってくるけど、

 それでも、ゆっくりでいい。

 

 これまで出来なかった

 「他の人の助けを求めながら」

 すこしずつ、進んで行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネット上のスキル提供サイト「ココナラ」の

 「悩み相談・愚痴聞き」サービスを

 使用してみた。

 

 現状、人と話す機会が少ない環境であり

 人に頼れない、

 人の頼り方を分かっていない

 

 そして 

 人は私を否定してくるのでは 

 という傾向と思い込みを持っている私にとって

 

 これ以上、一人で悶々と考えることから

 もう抜け出さないといけないと思った。

 

 ともかく、

 誰かとコミュニケーションを

 取りたいと思った。 

 

 と言っても、

 自分の心の内を話せる人が

 身近にいないのが現状。

 

 以上の理由から、

 「ココナラ」サービスを利用しようと

 いう考えにたどり着いた。

 

 

 話し相手は

 高評価の実績を数十件持っている

 40代後半の方。

 時間は60分。

  

 話した内容は

 ・私が今まで人生で辛い思いを抱え続けて

  誰にも吐き出せなかった事

 ・誰も信じられない状態だったこと

 

 ・私が半年前にハラスメントを受け、再起不能に

 なりかけた事

 ・心の在り方、持ち方

 ・あと、相手の人生経験を聴かせてもらう

  といったところ。

 

 いろんな話をしたし、相手からも

 様々な人生経験を聴かせてもらった。

 本当にありがたかった。

 

 

 で、ここから先は

 話をしている際、加えて、話を終えた後の

 私の心の動きについて。

 

 !!先に書いておきますが、

 相手の方はとても丁寧に、

 話を傾聴して下さいました。

 そこは強調しておきます!!

 

 

 サービス利用後、相手からコメントを

 頂いた。


 「優しく誠実な対応だったと思います。

 私も勉強させていただきました。」

 

 これを見て、正直に私の気持ち

 ・違う、俺は別に誠実じゃないよな
 ・良い人に見られたいだけだ
 ・相手から不快な反応をもらう事が怖くて
  繕っているだけだよな

 

  と、コメントを貰って違和感を抱いた

 

 で、ここからは、相手と話をしてみて

 「率直に思ったこと」を書く。

 

 【話している際に、相手に対して思った「本音」】
 ・ ああ、本当に良くも悪くも「いい人」そうだよな
 ・ もっと「専門的」で「すごい人」なのかと思ってた

 ・ …正直、コミュ障っぽい印象があるんだけど


 【話しながら、実は私が思っていたこと】
 ・(時間が経過するにつれて)

  疲れた。何か、飽きてきたな。
 

 ・(相手の「理不尽」な人生経験を聴いて)
  あれ?俺が受けたハラスメント経験って

  「よくあること」なのか?
 

  え?俺が味わってきたことって、

 「大した事などない」のか?

  ...もしかしたら、相手も俺の経験を

  「大した事ない」位にしか
  心の中では思っていないんじゃないのか?

 ・あれ、まだ話すの? イライラするな
  俺が話したいこと、さっさと話させてほしいな

 

 ・話を聞いてあげた方がいいのかな
 ・角を立てないようにした方がいいのか 

 

 ---

 

 うーん..相手に一体

 どこまで「すごさ」を求めているんだ?

 

 相手を値踏みしている上に、

 その挙句、どこか疑い出している。
 
 と、自分の自己中心性に気づかされた。

 

 そして、このような自分に

 どこか心の中でイライラし、

 話に集中できていない

 自分自身がいたことにも気づいた。

 

 

 自分の傾向として、

 

 自分の本心を「抑圧」し、

 良くも悪くも

 「社会的な倫理観、価値観基準で

 褒められる、認めてもらえるよう」問題なく、

 無難に接する 

 パターンがあるということ。 

 

 ずっとサラリーマンやってきたし、

 ある意味当たり前とも取れるんだろう。

 

 「表面的」には、

 この対応って、決して間違ってないんだと思う。

 

 ただ、この傾向が、

 どんな場面であっても

 いつのまにか出てしまっているかな と思った。

 

 

 でも、たぶん誰でも

 人と何か話をしていて

 「退屈」「だりぃーな」「帰りてーな」とかは、

 誰でも思うことはあるはず。

 

 けど、その「正直な自分」というものを、

 どこか心の中で

 「まあこんな気持ちになることもあるか」

 とか、

 

 何かしら、自分で認め、受け止めつつ、

 相手や状況によって

 

 「本心を出す」

 「出さずにあえて違う態度を取る」

 

 を心の中で選択しているんじゃないかな。

 

 

 俺の場合、

 「正直な自分」というものを

 どこか「否定」「受け入れたくない」という

 感情が大きすぎる、

 

 もしくは

 本心が出てきたとしても、

 上に書いたような扱い方を

 まだ出来ないんだと思う。

 

 だからこれまで、どんな時でも

 「無難な態度」終始する

 しかなかったのかもしれない。

 

 要は「悪い」「ずるい」「自分勝手な」自分自身を

 どこか認めていないんだろうな。

 おそらく、それを人に見られることを恐れている。

 

 

 今回違和感の正体は、このようなところだろうか。

 

 

 正直、多分俺は、

 自分で思っている以上に

 気性が激しい部分がある。

 

 これからは「悪い自分」も認めていいし、

 それを表に出してもいい。

 場面に応じた上で。

 

 そして「誠実」とか「真面目」って、

 人から言ってもらえることは、これまで結構あった。

 

 今まで

 「いや、おれは真面目なんかじゃない」って

 心のどこかで否定してきたけど、

 それはそれで、後天的に得られた

 自分の一部として受け入れていきたい。


 受け入れていけるかな...

 それにはどうしても

 人と話す、接することを

 続けていくことだ

 

 少しずつだ。

 出来ることを積み重ねていこう。

 
 

 

 

 

  

 昨日おととい のブログのいいね!の数を見て、

 ブログ初心者の自分としては

 なんだかムズかゆい気持ちになった。

 

 うれしい。

 

 でも、「戸惑い」とか「少し怖い」という気持ちがある。

 

 どこかしら

 「自分のブログなんかが」とか、

 「いいねを貰ったんだから、

 何かいい記事を書き続けなきゃ」とか

 

 つい、

 自分を「下げて」しまう とか、

 人の期待に応えないといけない

 って考えが、先に先にと出てしまう。

 

 喜ぶときはもっと素直に喜んでいいよなって

 感じた。

 

 特に「なんかが」って言葉は

 謙虚というよりも

 自己否定的なニュアンスをどうしても

 感じるから、あまり使いたくはないって思う。

 

 いいねを貰う事はうれしいし、ありがたい。

 励みにもなる。

 でも、目的じゃないから。

 

 

 自分が思ったことを、出来るだけ

 素直に率直に書き続けたいと思う。

 

 

 

 いつも足を運んでいるカフェのお姉さん

 すっげーかわいかったなー。

 コミュ障だけど、思い切って今度、

 声を掛けてみようかなー。

 

 とか、書ける時は書いてみてもいいかな(笑。

 

 

 久しぶりにマクドナルドへ行った。

 ドライブスルーで利用。

 

 ビッグマックのセットとチーズバーガー単品を注文。

 

 で、ドライブスルーの受取口で受け取り、

 そのまま帰宅。

 

 中身を空けてみると...

 

 あれ??

 チーズバーガーが入ってない?

 

 レシートは?

 チーズバーガーの記載がない...

 

 注文していないことになってるし。

 

 ハッキリ言ったのになー

 向こうも注文を復唱していたよなー

 

 連絡するか?胸の中にしまっておくか?

 

 ...迷ってたけど、連絡。

 だって、確かに俺、伝えたもんなー。

 

 

 正直、電話するの、怖かった。ためらった。

 「品物渡すとき、レシートを渡しているじゃないか」とか

 「確認しようがありません」とか

 言われたらどうしようかなって、

 正直思った。

 

 そうだ、昔からの俺の心のパターンだ。

 「相手に伝えたとしても、拒否されるかも」

 「相手に伝えたとしても、逆に言い返され、

 嘲笑されるんじゃないか」

 

 人と接するとき、どこかこんなことを考えてる。

 で、結局何も言わずじまい、だんまり。

 「言わない」のではなく、「言いたいのに

 言えない」というパターン。

 

 相手からの冷たい反応を見るのが嫌で

 おれは「自分が傷付かないために」

 人に対して下手に出ていた。

 

 「相手は何をしてくるかわからない」という

 自分自身の色眼鏡があったから

 いや、今でもあるか。

 

 目の前の相手を信用していないって

 ことなんだろう。

 

 

 あと、連絡した理由は、

 「お店のためにならない」とか

 「これからこんなミスが無いように

 おれが言ってやっている」とか

 そんなご大層な気持ちなんか

 かけらもない。

 そんなのはお店側が考える事。

 

 それに今回は品物や金銭の

 受け渡しに関しては、損得は何も生じていない。

 (気持ちのガッカリはあったけど)

 

 だから

 「オーダーしたけど入ってなかったよ!

 楽しみにしてたのに、残念な気持ちになった」

 この気持ちをちゃんと言葉にして伝えたかった。

 

 幸い、電話の向こうの店員も

 話が通じる人だった。ありがたい。

 気持ちがすっきりした。

 

 俺は常に冷静な自分でありたい。

 でも自分の気持ちを

 きちんと言葉で伝えられるマインドは

 持ち合わせておきたい。

 

 

 先月末、十数年ぶりに

 簿記検定を受験すると決めた。

 

 理由は

 社会復帰のためのリハビリ、

 コツコツと物事を続けることの

 トレーニング等などの理由から

 

 テキスト、問題集を購入し、

 それらをコツコツ進めて行き

 

 昨日(17日)受験し、

 おそらくは合格、という結果を出すことが

 出来た。

 

 そして、合格点を取れたから という

 安心感に浸ることにとどまらず、

 点数を取れなかった所と

 その理由をしっかりと確認した

 

 

 

 この簿記検定の受験勉強から

 結果確認、その後の見直し...

 この期間、約1カ月の経験を振り返って

 色々と思うことがある

 

 

 正直、受験する前までは

 舐めていた

 

 「高校の頃に勉強してたし」

 「本気出せば、案外早くテキスト学習は

 終わるかも」

 「間違っていても修正、見直しすればいいし」

 「コツコツと物事を続けるための

 トレーニングにはちょうどいいかも」

 等々... 

 

 でもいざ、勉強を始めると

 

 ・普通に内容を忘れている

 ・自分の思考・判断のクセ、

 パターンに悩まされる

 ・間違い、修正、見直し という

 地味なコツコツの繰り返し

 頻繁に出てくる「無気力」思考

 

 ...これらに直面した。

 自分の思う通りになど進めることは

 出来なかった。

 

 自分自身の「本当の実力」に直面し、

 本当に泣きたくなった時もある

 

 高校の頃に勉強していたという

 アドバンテージは、取り掛かるにあたり、

 確かに大きかった。

 

 でもそのアドバンテージをもってしても

 「コツコツと進め、やり切る」ことが

 自分にとっては本当に精神的に

 辛かった。 


 勉強を進めていても 

 すぐに放り出したくなる感覚に

 よく襲われた。

 

 それを受け入れ、何もしない日もあった。

 それでも「少しずつでもいいから

 コツコツと進める」ことは止めなかった

 

 その地味なコツコツが結果に繋がった。

 

 この経験から

 

 ・時間は「有限」であること

 ・地味でコツコツとした努力のあとに

  結果がついてくること

 

 ・本気になって取り組めば、何でもできる

 と思っていたところで、そんな考え方では

 何もできやしないということ

 

 ・自分自身の現状が、自分の本当の

 実力であること

 ・何かしらのスキルを身に付けていくことは

 容易ではないこと

 

 ...一見当たり前のように思えるこれらのことが

 「腑に落ちる感覚」があり、

 

 同時に

 ・努力を積み上げてきたという「自負」
 ・結果を出せたという「達成体験」 

 ・努力を続けること自体への「喜び」

 

 そして、

 

 「挑戦するということを面倒くさいと

 思うのは もったいない」

 

 という気持ちを感じられたことは

 本当に大きかったとも感じた。

 

 

 これまで

 自分の「本当の実力」に直面し

 認めることが怖かった。

 直面した時は本当に辛かった。

 

 でも、それを自分で認め、

 受け入れた後、本当に前に進む

 ことが出来るんだ。

 

 自分の殻を「少しずつ」でもいい。

 そこから出て、生きていこう。 

 

 

 


心に向き合うきっかけ、経緯など


高校卒業後の進路を決める際、
担任の言われるがまま、
考えもしないままに 薦められた会社の
試験を受ける。
予想もしていなかった内定をもらう

内定を担任から聴いたときの私の本心
×『よっしゃあ!』
◯『え..マジで?どうしよう..』



内定どおりに就職するも
十数年間、数えきれない位辞めたいと思い、
実際に上司に「辞めたい」と言ったことも
あったが、何とか勤め続ける、
が、とあるきっかけで休職


休職期間中に、これまでの自分の生き様に
直面せざるを得ない状況に。

カウンセリングや心理関係のセミナーを
受けまくる。

自己否定、無力感、諦め、強迫観念...
多くの心の問題を抱え続けた結果、
現実を直視できず、仕事にも向きあえず
どこか「幻想」「理想」を
浮かべながら、ずっと自分は
生きていたことに気付く。

「挫折」の感覚を初めて人生で味わう
(それから立て続けに何度も)

それでもメンタルのワークを
ひたすら繰り返す。
(多分この当時が、人生で一番、
努力したかもしれない)
結果、苦しみ悶えつつも、
自分を「取り戻す」感覚を得る。

休職は1年以上に及んだ。


満を持して職場復帰。
人生でおそらく初めて、仕事に対し
前向きな気持ちで取り組むという
感覚を理解し、嬉しさ、充実さを覚える

が、復帰後半年経過した頃、
コミュニケーションの問題などが
発端となり、職場のメンバーとの
トラブルが発生。

トラブル相手のメンバーから
モラハラが始まる。

その後、止むどころか一向に収まらず、
毎日、形を変えながらモラハラが続いてくる
という「普通ではない」状況に対し

平静を装うことが出来なくなり、
恐怖と身の危険を強烈に感じるようになる。
仕事はおろか、
職場にいることすらできない状態に。

再度休職へ。


休職後しばらくして、
ズタズタになった心の状態に気づく。
自己否定、無力感などが、
以前の何倍にもなって蘇る。
完全に人間不信の状態に。
本気で「もう人生終わった」
という考えに囚われる。

日にちが経過していく中、
自分がどのようなモラハラをされたのか、
次第にその正体の全貌が見えてくる。
すさまじい恐怖と怒りに囚われる。
人生で初めて「人を〇してやりたい」
と本気で思う
(実行はしてませんよ!)

(4か月間程度、
心が完全に折れた状態が継続)


メンタルワークやカウンセリングを
受けながら体調は少しずつ回復。

しかし、等身大の自分を受け入れざるを
得ない状況に直面。

それでも前に進んで行くしかない と、
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