Restrationのブログ

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経済、歴史、科学、世の中の裏側、本当の事、真実を伝えていきます。一人でも多くの方が目覚めるキッカケになれば嬉しいです♪

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アイデンティティとは?
【辞書】

「私」を「私」たらしめ、
一貫性、同一性を与えているものは何か、
ということへの意識、自己確信。
他者や社会によって承認され、
認識される自己の同一性(すなわち身元)。
平たく言い換えれば、
「自分が自分である証」
ということになるだろうか。

ー以下、ねずさんのひとりごとより引用ー

アイデンティティは、
近来の学者さんによると、
「自己同一性」と訳すのだそうですが、
申し訳ないが、
これでは意味がさっぱりわからない。
むしろ、なにやら異常心理学の分野に属する
心理学用語みたいな感じです。

そもそも「アイデンティティ」は、
米国の心理学者、
精神分析家エリック・エリクソン
(Erik H.Erikson 1902-1994)
によって提唱された理論です。

その内容は、以下の通りです。

~~~~~~~~
アイデンティティとは
「自分は何者なのかを知ること」であり、
自らのルーツにある
誇りある伝統と文化を知った若者、
つまり自らの
アイデンティティを確立した若者は、
自らをその誇れる
大いなる存在に同化させようとする。

その結果、若者たちは健全な精神を獲得し、
「公」を大切にし、社会や国家に対して
健康な忠義心を持つようになる。
そういう若者達によって担われる社会は、
きわめて健全性の高い社会となり、
高邁な精神文化を持った
国家を形成することができる。

逆に青年期にアイデンティティが
正常に獲得されないと、
自分のやるべき事が分からないまま
日々を過ごしたり、
時に熱狂的なイデオロギー
(カルト宗教や非行など)に傾いてしまう。

~~~~~~~~

つまり、ひらたくいえば
アイデンティティとは「自己帰属」であり、
もっと簡単にいえば「身元」ということができます。

私達は日本人です。
その日本人が、日本人とは何か、
我々の祖先たちは何を考え、
何を理想としてきたのか、
そして日本は、日本の長い歴史の中で、
何を求めて国づくりをしてきたのか、
それを知ることが、
アイデンティティを得るということです。


つまり、簡単にいえば、
私達が私達日本人の身元を知ることが、
アイデンティティを確立するこということです。

その身元がわからないとどうなるか。
自らの身元を得ようとして、
よその文化を自らの身元としようとします。

典型的なものが、
戦後の歴史教育における階級闘争史観です。
そもそも階級闘争などというものは、
日本には存在しなかったものを、
いたずらにマルクスという酔っぱらいが唱えた
階級闘争という概念で、
日本の歴史を計ろうとする。

だから間違える。

ーーー省略

戦時中、日本人は悪いことをした、
とデタラメを教える
馬鹿な教師が後を絶ちません。
中には、ありもしないねつ造に騙され、
わざわざ韓国にまで生徒たちを連れて行き、
生徒に土下座までさせる馬鹿教師、
馬鹿学校まで出る始末です。
とんでもない話です。

民族としての誇りと自覚を持ち、
僅かな装備、僅かな兵力で、
常に味方の10倍もの敵と
戦い続けてくださった
私達の父祖を貶め、はずかしめる。
まさに、学校ぐるみ、社会ぐるみで、
祖先にたいする「いじめ」を、
教師たちが率先してやっているのです。
これでは、おなじことを
子供達がしたからといって、
子供達を責めることなどできはしません。
実にとんでもない話です。

民族のアイデンティティを知るとは、
民族としての歴史を知る、
日本人とは何者なのかを知ることです。
誇りある伝統と文化を知った若者、
つまり自らのアイデンティティを
確立した子供達は自らを
その誇れる大いなる存在に
同化させようとします。
その結果、若者たちは健全な精神を獲得し、
「公」を大切にし、社会や国家に対して
健康な忠義心を持つようになるのです。


ーーーー引用終わり
ねずさんのひとりごと
「アイデンティティ」↓
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1616.html


こちらを読んでなるほどと思いました!
今の日本は正しい歴史を教わらず、
間違った歴史や
表面上の歴史しか教えていない、
日本人の思想、
どういう思いで戦争をしたのか、
何を目指していたのかなどは
少なくとも自分は学校で学んでいません!

洗脳教育やTVや映画の影響もありますが、
今日の日本の状況をみると
自分も含めてですが
多くの人はやるべきことを見失い、
自分探しといい、
海外にバックパッカーとなったり、
日本はダサい、
欧米などの海外は
かっこいい的な考えであったり、
外人と結婚したい!
海外に暮らしたい!といった人達も
民族としての
アイデンティティを知らず
民族としての歴史を知らないことから
戦後、日本人の多くが
アイデンティティを
確立できていないんだと思います!

一人でも多くの方と
アイデンティティ確立のために
一緒に日本の歴史や思想、
当時の日本人の思いを
勉強したいと思いました。
地に足をつけ、日本人として
正しく未来を生きるために
今一番必要だと思いました。




台湾を救った
陸軍中将根本博の奇跡(YouTube)↓
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おそらくこれを読まれた方は、
これまでの歴史認識が
一変するのではないかと思います。

Restrationのブログ-終戦


アパグループの
懸賞論文優秀賞(社会人部門)

題名【日本は負けていない】
  ~超経験者しか知らない真実~
著者 中松義郎博士(ドクター中松)

本論文はフィクションではなく
本筆者が自ら直接見聞きした
事実に基づく真の近現代史である。

 昭和20年8月15日正午、
その日は東京天文台(戦後は気象庁)によると
33度で特に暑かった。
突然「第二種軍装(夏用麻製仕立)ノ
正装ニテ至急整列スベシ」
との館内モールス信号で校庭に集合し
直立不動で汗を流しながら待つ
我々帝国海軍機関学校最後の海機五十八期生
(昭和20年に海軍兵学校と合併)は、
最後の帝国海軍将校生徒として整列し
ラジオから流れる玉音放送を聞いた。

 海軍機関学校の入学試験の体格検査で
75センチだった胸囲が入校後の猛訓練と
猛鍛錬で僅か三ケ月で
104センチになった巨大な胸が
歴史上初めての玉音放送に大きく高鳴った。

 しかしラジオの雑音が多く、
よく聞き取れない。
「本土決戦が近いので
頑張るようにとの天皇陛下御自らの
激励のお言葉」と全員が受け取った。
当時の日本人は全国民が
「歴史上敗れたことがない
神国日本は最後には必ず勝つ」と
信じており、全国民誰一人として
日本が負けるなどと
考える者はいなかった。
特に軍は全軍士気旺盛だった。
 
 現に私のいた舞鶴軍港は
24時間軍艦を造る
リベット音が絶えず、
食糧、武器、弾薬が豊富で、
いつでも敵を迎え撃つ準備が
連日連夜進められていた。

 原爆研究については
陸軍が東京帝大の仁科博士と
理研に開発を依頼した「二号研究」
(海軍は京都帝大と
「F研究」)として行い濃縮ウランは
海軍が潜水艦でドイツから運ぶ手配がされ、
出来た原爆の第一弾を
ハワイに落とす作戦を
杉山参謀総長は陛下に上奏したが、
陛下は
「原爆という非道なものは使うべきでない。
特にハワイには日本人が多いので
却下する。」となり杉山参謀総長は解任され、
東條首相が参謀総長を
兼務することになった経過がある。

 この様に非人道的爆弾と
陛下が認識されていたものを
日本に落とされたのだから陛下の衝撃は
大きく終戦する一つの
きっかけになったと思われる。

 しかし杉山参謀総長は、
原爆開発を継続したのだ。
軍人は戦争に勝つために打てる手を全て打とうとする。
しかしそれは陛下の御意向に
反しているので原爆を造って勝っても、
原爆を造らずに敵に原爆を使われて負けても、
いずれの場合にも杉山参謀総長の
責任なので切腹すると誓い
終戦直後に切腹した。
元来日本は武士道を基に
戦争を行ってきたのである。

 陛下は米の原爆に対し非道だと禁じた
原爆で応じたのなら
「人類の文明が滅亡する」と
終戦を御聖断された。
米が原爆を落とせば日本も
これに応じて米に原爆を落とす。
このことによって日米の多数の人が死に、
この原爆戦争が世界に及び世界中の人が死ぬ。
これを防ぐために米が
日本に原爆を落とした時点で
終戦にされたのであって、
日本が原爆を落とされたから、
または負けたので終戦にしたのではない。
日本は負けていないのに終戦したのである。

 これを文章にしたのが終戦の詔勅
「敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ
 頻ニ無辜ヲ殺傷シ 
 惨害ノ及フ所 
 眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ
 尚 交戦ヲ継続セムカ 
 終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ
 招来スルノミナラス 
 延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ 
 斯ノ如クムハ 朕何ヲ以テカ 
 億兆ノ赤子ヲ保シ 
 皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ」
であって、
終戦の理由は負けたからではない、
という意味である事を読み取ってほしい。

 翌日の8月16日には
帝国海軍航空隊による
米本土突撃大作戦が予定されており、
その猛訓練が行われていたことを
陛下はご存知なかっただろう。
この作戦が実行されていれば
ドゥーリトルの東京空襲により
ミッドウェー海戦の日が
繰り上がったのと同じに米軍は、
10月予定の本土決戦を
急濾九月に繰り上げた結果、
天候の条件も加わり日本が
勝利する展開になったのではないか。

 いつどこに敵が上陸するか、
日本陸軍参謀本部と海軍軍令部の想定は、
時期は九月又は十月、上陸地点は九州南部
(「陸軍作戦名「決号・第6号」
海軍作戦名「天号」)。
さらに翌年関東の九十九里浜に上陸。
この日本軍側推定は米軍上陸作戦計画
(米軍名「オリンピック作戦」(九州)
「コロネット作戦」(関東)の
「ダウンフォール作戦」)とピッタリ一致して
日本は見事米軍の動きを見透していた。
 陛下は侍従武官を九十九里浜に遣わして
防衛体制を調べさせたが、
侍従の「防衛は全くされていません。」との
報告をお聞きになったことが
終戦を決断された一因と伝えられる。
この時九十九里浜で訓練していた
3千人の「伏龍」隊は
シールドにかくれていて
侍従武官に見えなかっただろうし、
又、米軍は九州を先に攻めると想定されたので、
日本軍の陣立は九州南部を先に固め、
そのあと九十九里を固めようとしたのであるので、
陛下に上奏された終戦を決定する情報の一部に
重大な誤りがあったのは残念だ。

 これは開戦時の宣戦布告を
ワシントン大使館の怠慢により
米国務長官への提出が遅れ、
日本の騙し討ちという口実を
与えてしまったことと同じ位に大きなミスだ。

 本土決戦の火蓋がきって
落とされた後をシミュレーションする。
先ず米軍は上陸地点の南九州に原爆を落とすだろう。
しかし陸軍参謀本部堀少佐率いる特殊情報部が
原爆コールサインを五時間前に傍受していたので、
近くの海軍大村基地の
紫電改が発進し、B29を太平洋上で撃墜。
ついで艦砲射撃するため日本に近づいた米軍の
日本本土上陸作戦に対する日本軍の準備は、
完成した三千機の特攻専用機「劍」が、
上陸しようと集まった敵艦艇に突っ込み、
多くの敵艦を撃沈撃破する。
種子島海軍機関大佐が開発し
石川島重工業製の世界初の
ジェットエンジン搭載の双発ジェット戦闘機
「橘花」もこれに続く。
水中からは千隻の特殊潜航艦「蛟竜」
(海軍兵学校校歌「江田島健児の歌」の
「地に潜む「蛟竜」からとった名」から
泡の航跡が全く残らない
日本海軍の世界に先駆けた
発明九三式酸素魚雷が発射されて
敵艦艇は次々に轟沈する。
この猛攻撃からしぶとく残った敵艦に対し、
岩陰に隠れていた海軍兵学校六十九期満野功大尉率いる
第六十七震洋隊(江ノ浦─静岡三津浜)など3千隻の
「震洋」爆突特攻艇が轟々と暁に発進し残る敵艦や
上陸用舟艇に勇猛果敢に体当たり。
それでも残る敵艦艇からかろうじて発進した敵の
上陸用舟艇に対しては
波打ち際の水中に展開する五式撃雷を待って
潜む予科練出身者や海軍陸戦隊古兵の精鋭から成る
3千人の「伏龍」隊が上陸用舟艇を爆沈させて
波打際に寄付けないようにする。
それでもかろうじて上陸した
敵兵を五重の陣地で固めた
世界最強の本土決戦部隊が米戦車より強力な
新開発五式重戦車と共に待ち構える。
敵戦車に対しては最新鋭の「ロタ砲」で、
敵戦車M2を遠方から撃破し、
更に敵が近づくと「櫻弾」で
厚い装甲を撃ち破り、もっと近づくと
決死隊がチビ(ガラス球に人った青酸ガス)を
戦車のスリット窓にぶつけて操縦者の目潰しをし、
次にキャタピラ破壊扁平爆弾を
敵戦車のキャタピラの下に挿入して
キャタピラを破壊し、敵戦車を動けなくし、
止まった戦車本体の下に戦車爆雷を挺身突撃隊が
放り込んで擱座させる。

 一方、上空の敵機には大東亜戦争決戦機として
開発された世界最強(戦後アメリカの実験で
時速最大六百九十kmを記録し最高傑作機と
評価された。)の中島飛行機製
二千馬力四式戦闘機「疾風」やゼロ戦の
次世代戦闘機堀越二郎設計の三菱製「烈風」が
敵グラマンF6F、ノースアメリカンP51を
次々と撃ち落す。更にB29キラーとして
海軍空技廠設計九州飛行機先尾翼型で
機首に強力三十ミリ機関砲四門搭載の「震電」が
時速七百粁以上という米軍戦闘機、B29より早い
世界最速スピードで敵戦闘機に追い付き
敵機を一撃で撃墜する。又、B29の前方上空に
廻り込んで四門の砲で
アッという間にB29を撃墜する。

 甲液「過酸化水素オキシノリン・
ピオリン酸ソーダ」と乙液
「水化ヒドラジン・メタノール・
銅シアン化カリウム」を
100対36でミックスした
脅威の推進力で今迄達しなかった
1万2千kmの成層圏まで従来型の飛行機では
10数分かかったのを
僅か3分50秒で急上昇できる
時速900粁の画期的無尾翼型
ロケット戦闘機「秋水」が
その先頭部に搭載する強力30ミリ
機関砲二門が火を吹き
ボーイングB29を一撃で次々
と撃ち落すとして行く。
又、陸軍四式爆撃機に150ミリ野戦砲を積んだ
空飛ぶ大砲がドカンとB29の編隊群に炸裂する。
運よく残ったB29も新開発の2万mに達する
五式新高高度高射砲で撃墜されて行く。

だがこれら最新戦闘機を動かす燃料はどうするのか?

 そもそも大東亜戦争が始まったきっかけは
軍艦や航空機に必要な石油を米英蘭三国が
対日輸出禁止して日本経済を窒息させようとし、
これに対してワシントンに交渉を行った甲案提示の
野村海軍大将(大使)と東郷外相の秘策乙案を持った
来栖大使が追いかけて米側と交渉。ほぼアメリカが
合意し日米和平が実現しようとしたのに対し、
その翌日引っくり返り「日本の全権益放棄と
シナ大陸からの日本陸軍の全面撤退」を要求する
蒋介石の言い分を通した文章を共産主義者で
ソ達のスパイであった
アメリカ国務次官補が草稿を書き、
ハル国務長官がそれに署名した
「ハル・ノート」の回答だ。
これでは日本は到底合意できないので
日本が大東亜戦争を始めたというのが第一の理由だ。

 この戦争を始める理由になった燃料については、
私の先輩で百歳の長寿を全うした
帝国海軍機関学校第四十期生
木山正義機関中佐と、又、
私の先輩東京帝国大学工学部
桑田勉教授の研究により
南方からの油を頼る事なしに
パイン・ルート・オイルから
終戦直前十年分の燃料を創り出したのだ。
これに加えて更に「太陽と水と大地」があれば
永久に生産出来るバイオ燃料を
創り出す事に成功した。
しかも空襲に耐えるため蒸留工場を
全国に分散して建設し、ここで製造した。
この蒸留装置製造を実現できたのは
海軍艦政本部が木山中佐の依頼に
全面的に協力し蒸留装置を急速に
造り全国に設置したからである。
これで日本は永久に戦える燃料を
終戦前に用意できたのである。

 本土決戦では日本は必ず勝つと
すべての陸海軍参謀は確信していた。
一方、アメリカ軍上陸攻撃隊司令官は
戦後日本軍の陣立てを見て驚嘆し
「米軍は上陸に3回失敗しただろう。
上陸に3回失敗すれば
米軍の戦力はほとんど消耗し、
戦争はベトナム戦と同様な状態となり、
アメリカ国内で戦争反対の世論が起こり
ベトナム戦で米軍が負けたと同じく米軍は
日本から敗退せざるを得ない。
もはや戦えないので日本に和睦(降伏)を
申し出るしかなかったであろう」と述べている。

 ポツダム宣言を発した米国大統領トルーマンは、
急死したルーズベルトから戦争を引き継いだとき
「日本の国土の平野は僅か14%しかなく
大部分は山林等であり、
攻めるのが非常に困難な地形である。
しかも廻りは海で近づきにくい「不沈空母」である。
地形のみならず無傷の750万の
世界最強(マッカーサーが議会で証言)の
日本陸軍が本土と東南アジアに展開し、
この敵とどう戦いどうやって
打破する事が出来るか見当もつかない。」と
溜息して日記に書いている。

 実は日本を空襲したB29から
「アメリカは鉄が不足して船をコンクリートで
造りはじめたり、男のパイロットが不足して女が
飛行機に乗ったりしてアメリカは青息吐息だ。
日本人よ、もう少しでアメリカが参るから、ガンバレ」
というビラが撒かれた。
恐らく乗っていた日系二世が
日本上空から撒いたと思われる。

 一方、昭和20年5月にベルリンに居た
藤村義朗海軍中佐が
スイスでルーズベルトの代理人
キャノンと交渉し、
米側は「満州、朝鮮、樺太、
千島列島(北方領土)は日本に残す。
台湾は蒋介石と交渉してくれ。
この条件で停戦しないか。
和睦は急いでやりたい。」と
驚くべき提案をして来たが
海軍軍令部はこれを受けなかったと
藤村中佐自身から私は聞いた。
これを継承したトルーマン大統領は、
日本を降伏させるのは不可能で、
どうにも打つ手が無く、手づまりだから
「ポツダム宣言」という
フェイントのような宣言を出した。
これは又、原爆投下をする言い逃れにもしたのである。
なぜフェイントのようかというと戦後、
ポツダム宣言の書類の実物を見ると、
トルーマンしか署名していない事が判った。
イギリスもシナも署名していなかった。
これから見るとトルーマンの一人芝居だったことが
史実として判明した。そしてドイツ攻撃用に
急いで実験的に作ったファットマンとリトルボーイの
一つずつの二つしかない原爆を投下し、
更に数百個の原爆があると
ウソの宣伝をして日本をおどした。

 このフェイントのようなものに、
まんまとお人よしの日本政府は引っ掛かって
そのままのんでしまった。
これにはろくな返事も来ないだろうと思っていた
トルーマン大統領自身もビックリした事だろう。

 陸軍参謀総長、海軍軍令部総長という
戦う陸海軍の責任者は前述のように本土決戦は
勝つ見込みが充分あるから、
天皇陛下の御前会議でもポツダム宣言受諾に絶対反対し
戦争継続を主張したのであるが、
天皇陛下が終戦の御聖断を下されたのである。

 この会議室の入口で、
特攻の海軍現場責任者の海軍軍令部次長の
大西滝治郎中将が「あと特攻機が千機あれば勝てます
(実際は既に3000機が用意されていた)。」と
意見具申したが拒否されたので、
大西中将はこれに抗議して切腹した。
切腹の介錯も頼まなかったのは怒りの表現であろう。
一方本土決戦の帝都の空の護りとして厚木にある
無傷の帝国海軍航空本土防衛隊は、
零戦設計者堀越二郎の新設計の四翼プロペラ
延長回転軸式新型迎撃戦闘機「雷電」や
川西航空機製「空戦フラップ」付の新鋭機「紫電改」
などの一万機が厚木航空隊に温存され、
強くて米軍から恐れられた
ラバウル海軍航空隊などから
集められた歴戦のベテランパイロットが
手ぐすねを引いて待っており、
厚木海軍航空隊小園司令は終戦命令に
絶対反対で最後まで降伏しなかった。

 右の如く終戦時には
「日本は負けていなかった」のは歴史的事実である。

 そして「終戦」の実態は「負ける」どころか
「血気にはやり、戦いたい」陸海軍や
士気旺盛の国民に終戦を説得し抑えるのが
大変だったというのが歴史的事実である。
 しかしポツダム宣言に対して日本政府は
「これは敵から申し出た和睦の条約」とまじめに
甘く考えていてこれに乗ってしまったのである。
アメリカの新聞は大喜びで「日本は無条件降伏」と
事実とちがう報道を行った。
アメリカの提示したポツダム宣言自体、
八つの条件付であり、これに加えて日本政府は
「国体護持」という条件付きで受諾したので、
計九つの条件付和睦で「無条件降伏」は
事実に反するのである。
又、ポツダム宣言にも日本の国としての
無条件降伏とは一字も書いていない。
戦後の日本人が洗脳されて「敗戦」だとか
「日本が無条件降伏した」と
思っているのはまことに嘆かわしい。

 さて日本は歴史上負けたことがなく、
前例が無いので終戦のやり方が非常にまずかった。
通常どんな契約でも必ずネゴをして
味方の条件を良くするものだ。
現に藤村中佐のスイス交渉では、
ルーズベルト大統領が
「満州、朝鮮、樺太、千島列島は日本に残す。
台湾は蒋介石と交渉してくれ。」
と言っているのだから、
この線に戻すことは可能性大だったのだ。
だが今も昔も変わらぬ外国との
交渉下手の日本政府はネゴをしなかった。
ところが和睦の条件の武装解除をして
日本に武力を無くすると、
アメリカは次のステップとして、
日本の陸海軍を廃止させた。
これはポツダム宣言に入っていない。
更にアメリカはハーグ国際条約に反して
アメリカ原案の憲法を日本政府に呑ませた。
日本の政治家は一人として
抵抗する「男」がいなかった。
これは今日迄続いている。

 又、進駐の翌朝から進駐軍は軍政を敷き、
B円という占領軍貨幣を使わせ、
日本経済をコントロールしようとしたが
重光外務大臣と側近の岡崎氏の命を懸けた交渉で
これだけは阻止した。軍政と通貨は、
ポツダム和睦条件に入っていないからだ。
あたかも徳川家康が大阪冬の陣の和睦条件に
外堀を埋めることから、人のよい豊臣方が呑んだら、
内堀も埋められて、次に難癖をつけられ夏の陣で
滅ぼされてしまったのと同じ手法だ。
先に述べたようにアメリカは国際法で
禁じられている行為、占領軍による憲法制定を
強引に日本政府に呑ませ、
占頷下で手も足も出ない日本政府は屈服した。
軍人は切腹したのに政治家は
この不法行為に抵抗する「男」が誰もいなかった。

 一方、ソ連は日本との不可侵条約が
厳として存在しているのに、
日本が終戦の仲介を依頼しているのを知りながら
ノラリクラリとこれを無視し続け、
終戦直前に日本に宣戦布告をした。
樺太や千島列島の日本軍は上陸するソ連軍を撃退し、
又、関東軍と朝鮮軍は旺盛な士気で朝鮮半島北部で
ソ連軍を待ち構えて撃退出来た。
しかしソ連軍は、終戦後不法に北方領土を
占領したのみならず支那大陸にいた六十万人もの
純心な日本兵を「帰国させる」と偽って貨車に乗せ、
シベリアに拉致し、重労働させた上、
洗脳されないものは帰国させないと脅して
共産主義教育を叩き込み、共産主義に洗脳された
兵のみ帰国させ日本の教育界、マスコミ界、労働組合、
演劇界にもぐり込ませた。そしてGHQと共に
日本を左傾させ、学生も勉学そっちのけで革マル、
中核、赤軍派など学生運動を繰り広げてこの学生が
今や成人して政治家となり偏向した現政府の
幹部となって日本を動かしている。
そして産業も沈滞し道徳は乱れ、
これらは現在日本が弱体化している
基本的要素となった。

 この「終戦」の実情、つまり
「戦意旺盛の陸海軍や頑張っている全国民をいかに
説得してやめさせるか」を終戦にするのは大変な事で、
「敗戦」どころの状態ではないのである。
この実態を知らない最近の日本人は「終戦」を「敗戦」
と言い変えているのは史実に反する。
右に事実を説明したように実際に負けていない
「終戦」と、負けたという「敗戦」は全く違うのだ。

 昭和一桁初期以降に生まれた若い人は
右に述べた本当の歴史を知らない。
だから日本政府の正式名称であり理論的に正しい
「大東亜戦争」(太平洋だけでなく、
ビルマ・インド等も含めた戦争)を米軍の言う
「太平洋戦争」に言い換えたり、
日本政府の正式名称「支那事変」を「日中戦争」と
言い換えたり、国際間の正式国名の「チャイナ」
又は「シナ」と言わず相手におもねって、
又はお世辞で「中国(世界の中心の国)」と
言っている。「支那事変」は日本政府が正式に
国家間での戦争と認めていないのだから、
日本政府は「事変」と言っているのであり、
この事実に反しているのを知らないで
「戦争」というのは理論的にも誤っている。
又、「わが国」と言わず、他人の国のように
「この国」と言っている人も洗脳されている人である。

 占領軍は日本占領中、新聞や手紙の検閲を行って
「大東亜戦争」の使用を禁止し、「太平洋戦争」を
公文書に使うよう強制したが日本は独立している
今もって間違った表現の「太平洋戦争」という
名前を使って占領軍のトラウマに囚われているのだ。

 さて終戦の詔勅の
文章を協議する会議で詔勅原案の中に
「戦勢日に非にして」という文章があり、
某大臣から「日本は勝ったのか負けたのか?」と
質問が出たのに対し阿南陸軍大臣は
「勝ち負けの定義を「日本が支配している
地域の大きさと兵の士気」とすれば、
日本が戦争を始めたときの面積と
現在(終戦時)の面積を比較すれば、
現在(終戦時)の面積の方が大きい。
つまり日本はこの戦争で勝っていることになる。
しかも兵の士気は旺盛で日本は最後には
必ず勝つと信じている。」と答え詔勅原案
「戦局日に非にして」は「戦局必ずしも好転せず」と
訂正された。阿南大将は「本土決戦をやれば
日本は負けないので、本土決戦のあと講和を結ぶ」との
陸軍の主張が聞き入れられず、御前会議で
終戦が決定されたので、いさぎよく切腹した。
これは計画されていた大掛かりな陸軍の
クーデターも抑える効果もあった。
介錯も断った見事な切腹だった。

 この様な信念と責任感旺盛で主張が
通らなければ最後には自分の命を堂々と
切腹して絶つという大臣は
現在の日本の大臣に誰一人いないのは、
日本人が終戦後いかに
堕落してしまったかを示すものである。

 右のように終戦時は日本軍に停戦を
説得するのが大変で、まして敗戦ではないのが事実だ。

 終戦の詔勅について私の小学校も大学も
同じ迫水久常書記官長(現在の官房長官)と
私は公私ともに非常に親しく、迫水さんが出席した
終戦の御前会議の模様など色々重要な話を
直接迫水さん本人から聞いた。

 御前会議でおっしゃった天皇陛下の
お言葉をラジオで全国民に伝える
正式な勅語の文章作成を迫水さんが任され、
迫水さんが一高で教わった漢文の先生である
漢学者川田瑞穂に文章作成を
依頼され原案を作成した。
これを大東亜省顧問の陽明学者安岡正篤が
手を加え、とくにこの詔勅の原文の中に
「義命の存する所」という言葉が重要であった。

 全大臣が終戦の詔勅の文章を協議する
会議が十一日夜から十三日夜迄続き、
訂正箇所が四十ケ所もあり、特に重要だった
「義命」という言葉が某大臣から
「辞書にないから「時運」にしよう」と
提案があって書き直されてしまった。
そして「義命の存する所」が「時運の赴く所」に
変更され正式の終戦の詔勅になった。

 私の名前は「義郎」だが、
この「義」という意味は
「道徳に基づく、人として行うべき正しいこと」の
意味で「義命」とは
「信以て義を行い、義以て命を成す」
意味であり『「義命」の存する所』とは
普通にいわれる大義名分より
もっと厳粛な意味を持っている。
国の命運は義によって造られて行かなければならない。
その義は列国との交誼においてもその治政においても
信でなければならない。その道義の至上命令に
示す所によって終戦を選ぶのであり
敗戦ではないという意味である。
簡単に言えば
『日本はこれからは道徳に基づく
正しい方向を行くべきだ』との意味であるが
『「時運」の赴く所』は「時の流れのままに」
という意味で、全く違う意味になってしまった。

 だから今日でも日本は「時運の赴く所」
つまり世に流されフラフラ流されて
リーダーシップがなく国是も定まらない
誇りのない国になってしまった。」と
迫水さんが私に嘆いた。

 又、終戦の御前会議で
東郷外務大臣は陸軍が主張した
ソ連を仲介者にするという案に猛反対し、
仲介者を入れるなら
「蒋介石を仲介にしたらどうか」と
提案をしたが近衛文麿が
「蒋介石を相手にせず」という
声明を出し「汪兆銘による南京政府」が
日本によりつくられているので
「蒋介石仲介はまずい」と横槍が入り、
それではと不可侵条約を結んでいる
ソ連を仲介者にした。
結果はご存知の通り最悪で、
ソ連は不可侵条約を結んでいる
日本にかくれてヤルタで
米英支と日本をやっつける会談(ヤルタ会談)に
こっそり参加し、日本からの情報はソ連を通じ
連合軍に筒抜けになっていた。
毛沢東の中共軍と戦っている蒋介石は
中共に勝つため日本に助けてもらいたいので
日本に非常に有利な条件で仲介しようと考えていた。
戦後蒋介石は「なぜ自分に相談しなかったのか。
自分に相談したならもっとよい条件で
日本が終戦出来たのに」とくやしがったという。

 先般あるテレビ番組で
「中国戦線で敗走する日本兵」
というコメントと映像が出た。
私の記憶では支那事変で
日本が負けた戦線は知らない。
そこでその担当者を呼び
「どこの戦線で日本が負けたのか」と
質問したが返事がなく
ごまかすので再度追求すると、
結局「根拠がありませんでした」と白状し
「おわび」が回答だった。
国の権威に関わる事実無根な
「日本軍の敗走」を国民に誤報して、
これを放送で訂正せず口頭の回答で
「おわび」でお終いにしている無責任さ。
歴史を知らないのである。
元大蔵大臣の塩じいこと塩川さんも
支那大陸に従軍し「支那戦線で武器を
持っていなくても日本軍の軍服を着ているだけで
支那兵は逃げた」と体験談を話している。

 ところで私は最後の海軍将校生徒であり、
又、最後の東京帝国大学生でもある。
戦時中の東大総長は世界に誇る一万トン重巡の
設計者平賀譲造船中将だったし、
東京都知事は陸軍教育総監の西尾寿造大将
(その長男は現在ドクター中松創研の
取締役営業部長)だったが、
終戦時に日本のエリートは追放され、
戦後の東大は左翼の南原総長になり、
占領軍によって、「ゼロ戦」を造った
東大航空工学科、世界一の戦艦「大和」を造った
東大造船学科、戦後の米軍テストで
米最新型グラマン戦闘機より命中精度が高かった事
が証明されたゼロ戦の機関砲を造った
西村教授の東大造兵学科など日本を強く支えた
研究の学科が強制的に廃止されただけではなく、
東京帝国大学正門にあった「菊の御紋章」が
はぎ取られ、名前も「東京大学」となり、
「東京帝大」が「東大」になった。
名前だけではなくこの新制東京大学の学力レベルは
東京帝国大学よりも4年以上も学力レベルを下げて
カリキュラムが組まれた。
麻布の成績が下の方の友人でも
新制東京大学に入っている。東京帝国大学では
学生10人に対して20人の教授、助教授、
助手が取囲んで最高レベルの教育をし、
最高の実験装置を持つ東京帝国大学は
世界のトップレベルだったが、
新制東京大学の世界ランキングは昨年26位
今年は世界30位までに落ちている惨状だ。
又、東大の学生自治会は完全に左だった。
私は中立の丁友会理事として
学生の左傾化を防止し健全化に努めた。

 日本は軍隊の強さも世界一
(マッカーサーが議会で証言)だったが
戦後経済でもスイス、イギリス、ドイツを抜き
GDPはアメリカに次ぐ2位となり、
次にアメリカも抜く勢いで、アメリカでは日本を恐れて
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」
という本も出たのは御存知だろう。
そして1993年には日本人の
個人所得はアメリカ人を抜き世界一になった。
戦争にもビジネスにも強かったのは当事の日本人が
青年時代に兵隊に行き、気力も体力も鍛えられ、
又、まじめに高度な勉強をした昭和一桁初期の日本人
(これを私は「超経験者」と言っている)による
努力の結晶なのだ。しかし占領軍による
日本弱体化政策により戦後育ちは勉強も怠り、
徴兵にも行かず、体力も気力も鍛錬されていないので、
体力的にも気力的にも弱く知識経験も少なく、
国際競争に勝てない。最近の日本の男はすぐ泣く。
山一證券倒産の時に社長が泣いたのはその象徴だ。
最近の若い男は草食系と言われ、
やる気がなく泣き虫で、
私が教えているハーバード大学やMITに
日本人留学生がいない。
最近の日本人は留学するファイトもないのだ。
シナや韓国人が多数外国一流大学に
留学しているというのに。

 そして日本のGDPも2位から3位に
後退し日本人の個人所得もかつての世界一から
現在27位に落ち込んでいる。
日本はこの状況から脱却せねばならぬ。
それには「超経験者」を
指導者にして次世代の若者を
十五歳から全寮制で肉体と気力を鍛え、
道徳修身を勉強させ更に世界より高いレベルの
教育をしてゆく事が日本再生の基本なのである。

 戦争中、私の家の玄関ドアに
鍵をかけなくても泥棒が入らなかった。
しかし終戦後、
同じ私の家で厳重な鍵をかけても
何回も泥棒に入られたことでも判るように
戦時中立派だった道徳心が高い日本人に比べ、
修身を廃止した戦後の日本人の
道徳の疲弊は驚くべきものがある

もう一度言う。「日本は負けていなかった」

 これを裏付ける賀川豊彦の
マッカーサーヘの終戦直後の手紙の一部を添付する。
『マッカーサー総司令官閣下
 陛下の詔書の一分前まで全国民の戦意は
燃えに燃え陸海空三軍の銃口が一様に
貴官各位の胸に向けられていた事も事実なのです。
 貴官は去る28日の厚木進駐の指揮者から
進駐が平和的に日本側の満足すべき心づかいの中に
先遣部隊の進駐を終了した報告を受けられたでしょう。
 そして閣下は多数の日本人を眼前に
されたでありましょう。そしてまたその日本人が
口をキッと結んでいる表情に
気がつかれたことと思います。
日本人は最後まで戦うつもりでいました。
おそるべき原子爆弾がやがてわが身に
落下するということを予想し覚悟しなかった者は
只一人もありますまい。
またたとえ身は焼かれても粉砕されても戦争は
陛下の指揮のあるまで続けてゆかなければならぬことを
毛程も疑った日本人は一人もなかった事も事実ですが、
それが、陛下の詔書によって戦争から平和へ
完全に変向しました。その決意の固さと新しい理想へ
出発への努力が閣下の見られる日本人のキッと
結ばれた口もとの表情なのです。この様な民族が、
国家が他に例を見ることができたでしょうか。』

 最後に日本全国民が、
もう一度「終戦の詔勅」を読むことを提案する。
そして負けていないのに終戦した無念さを思い起こし、
そこに書かれている
陛下が示されたこれからの日本の指針
「総力を将来の建設に傾ける事」
「正しい道を進みその心を堅持」
「国体の真髄を発揚」
「世界の流れに遅れを取らぬよう」

全国民が実行することが、我が国を立派だった
古き良き日本に甦らせることなのである。

 繰り返すが今迄「敗戦した」と
殆どの人が思っている事は間違いであり、
史実は「日本は負けていなかったのだ」という事を
再認識し、これからの各人の行動を
180度転換する事が日本再生の
第一歩であることを確信し、
日本が立ち直る起爆剤にするために
本論文を発表したのである。


ーーー以上 論文


この一文に込められたメッセージは、
たいへん重要です。

「この上、なお交戦を続けるであろうか」
という一文には、原爆に対する報復措置としての
米国への日本の原爆投下をする、という
メッセージが込められている。

そうなれば、戦いには勝つかもしれないが、
「朕は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、
皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊に
あやまればよいか。」と陛下は述べられているのです。

国家間の戦争に勝つということは、どういうことか。
世界的名著である、クラウヴィッツの
「戦争論」によれば、戦争とは、
「国家の目的を達成するための究極の手段である」と
述べられています。

日本が大東亜戦争で目的としたものは、
「世界の平和と繁栄」です。
日本は、良心のために戦った。
だからこそハーグ陸戦条約を堅持し、
日本は、一般市民に対する虐殺行為を
一切やらずに戦い抜いたのです。

その日本が、一般市民を巻き込む
原爆投下を行ったらどうなるか。
なるほど日本は戦いには勝つかもしれない。
けれど、陛下は、虐殺を行ったという事実を、
皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊に、
如何にして謝れば良いのか、
と述べられているのです。

そして日本は、主体的に戦いを終わらせたけれど、
その日本が巻いた種によって、戦後、
世界の被植民地諸国は、次々と独立を果たし、
経済的繁栄を遂げるようになってきた。

考えてみると、それら諸国の国民は、
すくなくとも戦前までの
支配者側だった白人たちよりも、
いまでははるかに良い暮らしをしています。

ちょうど、戦前なら、よほどの大金持ちか大臣でしか
乗れなかった自動車に、いまでは主婦や働く人たちが、
当時の車よりもはるかに安全性、居住性の良い車に
乗っているのと同じように、です。

国家の行う戦争は、
戦闘行為自体が目的ではありません。
目的のために戦争をするのです。
そしてその「目的を達成」した国家が、
戦争に「勝利した」ことになる。
日本は、間違いなく、戦争に勝利したのです。


ーーーーここまでねずさんのコメント
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1373.html


植え付けられた自虐史観を見直し、
再度正しい歴史を身につけることが
世界に出て行く日本人として、
大切なことだと思います。
それが地に足をつけ、
責任ある立派な日本人になる
第一歩のように思います。

自分も祖先に誇れるような
日本人になりたい。




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Restrationのブログ-ONEPIECE52


【ストーリー】
時は大海賊時代。いまや伝説の
海賊王G・ロジャーが遺した
『ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)』を
めぐって、幾人もの海賊達が
旗をかかげ戦っていた。

そんな海賊に憧れるルフィは
海賊王を目指して航海に出る!!

ONEPIECEの52巻で

ある島で海賊王
ロジャー海賊団の
クルーで元副船長の
シルバーズ・レイリーに出会う。
そこで話しを聞くくだりで

ルフィの仲間のウソップが
シルバーズ・レイリーに
旅の目的であり、最終目標である
『ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)』の
ことを聞こうとする途中で・・・


ルフィ「宝がどこにあるかなんて
聞きたくねェ!!!
宝があるかないかだって
聞きたくねェ!!!
何もわかんねェけど
みんなそうやって命懸けで
海へ出てんだよ!!!

ここでおっさん(レイリー)から
何か教えて貰うんなら
おれは海賊をやめる!

つまらねェ冒険なら
おれはしねェ






レイリー「やれるかキミに・・・
グランドラインはまだまだキミらの
想像を遥かに凌ぐぞ!!敵も強い
キミにこの強固な海を支配できるか!?」



ルフィ「支配なんかしねェよ
この海で一番自由な奴が
海賊王だ!!!」



Restrationのブログ-一番自由な奴が海賊王だ


強い奴ではなく・・・。
一番自由な奴・・・・。
深いな~!
これが今、一番心に残っている。
共感するところです!!


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これも面白いです!
2より、この1がいいかな♪




8月30日にイベントがあります。
好評に付き!?第3回目の開催!!

内容はこちらのブログで書いてることでしたり、
マスコミが書かないようなことなどを
皆さんと話したいと思います。
今回は出来るだけ身近なことを
話せたらと思います。

日時:8月30日13時~17時
途中参加、途中退室可!
料金:無料
場所:憧憬ハウス(新潟市内)看板あり
住所:新潟県新潟市中央区柳島町4ー41ー4


参加を希望の方は直接お越し下さい。
どうしてもわからない場合はアメブロにメールを下さい。
Restrationのブログ-麻畑


ねずさんのひとりごと『大麻と国益のお話』↓
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1571.html

まず、植物としての麻とは?
アサ(麻、Cannabis)は中央アジア原産とされる
アサ科アサ属で一年生の草本で、
大麻(たいま)または
大麻草(たいまそう)とも呼ばれる。
伊勢神宮の神札を大麻と呼ぶ由来となった植物であり、
神道とも深い歴史的な関わりを持っている。

第二次世界大戦の終戦前までは、
日本では米と並んで作付け量を指定されて
盛んに栽培されていた主要農作物。


用途
麻は食用、薬用、繊維、製紙などの
素材として用いられる植物である。
衣類・履き物・カバン・装身具・袋類・
縄・容器・調度品
など、様々な身の回り品が
大麻から得た植物繊維で製造されている。
麻織物で作られた衣類は通気性に優れているので、
日本を含め、暑い気候の地域で多く使用されている。
また日本では神聖な繊維とされており、
神社の鈴縄、注連縄や大幣として神事に使われる。
横綱の締める注連縄も麻繊維で出来ている。

繊維を取った後の余った茎(苧殻、おがら)は、
かつては懐炉用の灰の原料として
日本国内で広く用いられ、
お盆の際に迎え火・送り火を焚くのに用いられる。

果実は生薬の麻子仁(ましにん)として調剤される。
麻子仁には陶酔成分は無く穏やかな作用の
便秘薬として使われる。栄養学的には
たんぱく質が豊富であり、脂肪酸などの
含有バランスも良いため食用可能であり、
香辛料(七味唐辛子に含まれる麻の実)
鳥のエサになる。果実を搾ることにより
油を得ることができる。この油を含んだ線香が
アロマテラピー用として市販されている。

ヘンプ・オイル (hemp oil) は、
ヘンプ(麻)の種子からとれる油脂である。
ヘンプ・オイルはボディーケア製品
潤滑油・塗料・工業用途など、
非常に広範囲に使われている。
また抗菌性の性質を持っているため、
石鹸・シャンプー・洗剤などの
成分としても使われている。
食用としても用いられ、オイルは
必須脂肪酸を8割も含むという特徴があり
人体が必要とするバランスにも秀でている。
バイオディーゼル(植物燃料)の原料として
以前から研究されており、最近注目され始めている。
以上のような製品原料として
ヘンプ・オイル使用を促進させるための
団体が現在数多く存在する。

THCをはじめとしたカンナビノイドには
医薬品としての効能がある。
日本では1948年に大麻取締法が執行される前で
「本剤はぜんそくを発したる時軽症は1本、
重症は2本を常の巻煙草の如く吸う時は即時に
全治し毫も身体に害なく抑も喘息を医する
療法に就いて此煙剤の特効且つ適切は既に
欧亜医学士諸大家の確論なり。」を謳い文句に
「ぜんそくたばこ印度大麻煙草」
として販売されていた。
1886年に公布された日本薬局方に
「鎮痛、鎮静もしくは催眠剤」として収載され
根拠に基づいた医療での検証は不足しているが、
多発性硬化症などの神経性難病緑内障に対し、
アメリカの一部の州やイギリスやカナダ、
オランダといった国で処方箋薬として認可され、
治療薬として試みられている。

そしてヘンプという植物から
プラスチックをつくる試みは、世界各地で
様々な取り組みがなされている。
ヘンプカーも造られています。
など、例をあげたらきりがありません。

こんなに有益なのになぜ
法律で禁止されているのか??

恐怖! 大麻・酒をめぐる黒歴史
[大麻講座その2・歴史編]↓
http://www.youtube.com/watch?v=aaOTAdp0TX8

それは一言で言うと
石油利権で儲けるため!
要はお金のためです。

石油で財を成したのは
ロックフェラー一族です。
今、石油で造られている、
服、サプリメント、日用品、洗剤、
プラスチックなどが麻があると、
邪魔だった為に禁止したのです!
日本の大麻禁止の医学的根拠も曖昧なのは
ご存知でしたか?
WHO(世界保健機関)の調査、実験によると、
酒、タバコより無害で
依存性はないとのことです。

『大麻は禁止すべきか、
五輪ドーピング検査で賛否両論
ロイター通信』http://jp.reuters.com/article/wtOddlyEnoughNews/idJPTYE87600L20120807
 
こちらの記事は最近のロンドン五輪の
記事ですが、論調が普段の日本では
考えられないと思います。
他の先進国ですと合法の国もありますし、
個人使用はシートベルト違反程度の
刑罰の国がほとんどです。
記事をみると問題は
道徳的なことについてが主です。

元々、麻を数千年と栽培してきた
日本の麻文化を戦後押しつけられた法律で禁止し、
日本の麻文化をここ60年や
そこらでなくしてもいいんでしょうか?
よくよく考える必要があるでしょう。

産業大麻プロジェクト
《日本人が大人になる時》 講演 - 武田邦彦↓
http://www.youtube.com/watch?v=eBof8WiGemA
0:11:30~武田邦彦さんの講演です。


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悪法! ! 「大麻取締法」の真実 ~「金の卵」を意識的につぶしている実情を知ろう/ビジネス社

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