二十二歳の僕はいやはやど~しようもないほどの生真面目だ。
普段から勤勉に努め、休日すら家族のために家事の一切を一人で行う。
欲望の類の物は持ち合わせておらず、有るとしたらそれは勤勉欲と言えばピッタリかもしれない。
如何に人のため、社会のため、国のため、世界のためになるかを模索し続けている。

その答えは彼が死ぬまで出されないだろう。
なぜならその答えとは彼が死ぬまでに行ってきた全ての行動に等しいからだ。
それは他人がその偉業を讃えた時初めて形を成す。
その時こそ彼は天国で生まれて初めての自己満足に浸ることだろう。
欲が満たされるのが死んでからなんて、何て皮肉な話しだ。
もし彼が僕の友人の中に居たとしたら、こんなにも友人としての魅力が無いヤツはそうそういないだろう。
欲が無いヤツに、欲ゆえの僕の悩みを共感なんてしてくれるわけがない。
即刻他人の関係性に戻したい。

こんな三人が僕の中に同時に存在する。
じゃあ僕は一体何者だ?
さぞかし想像もつかないほどの事をしでかしてるに違いない。
そう思った人がいるならばそれは大きな間違いだ。
本当の僕はそんななれもしない架空の僕を想像するだけで、社会の枠から漏れないように必死で生きている極一般的な人間なのだから。
ただその三人になる可能性はいつでも持っている。
非日常のきっかけはほんの些細なことで、その原因はいつも近くに居る君かもしれないという危機感を常に忘れずにいてもらいたい…。
僕の中には二十歳の僕と二十一歳の僕と二十二歳の僕が住んでいる。
二十歳の僕は本当にど~しようもないほどの脳天気だ。
例え空から槍が降ってきたとしても、彼はそれを異常気象ぐらいにしか思わないだろう。
彼にはそんなことよりも頭の中のはちきれそうなほどの妄想を実現させることの方が大事なのだ。
思いついては実現できずに許容量を超えて忘れ、また思いついては忘れの繰り返しを二十年間続けている。
しかし彼はその毎日がどうしようもなく楽しそうなのだから、まぁそんなに危惧することではないだろう。
なぜなら彼の妄想は妄想の範疇を超えておらず、世界には全くと言って良いほど干渉していないからだ。
ましてや日常生活なんて物は、彼の妄想の中には含まれていない。
妄想さえできれば一般的な生活なんてもんは彼には必要ないのだ。

二十一歳の僕はこれまたど~しようもないほどの遊び人だ。
酒に女にギャンブル、全ての欲望に対して彼はとても従順だ。
例え第三次世界大戦が勃発しようとも彼は米国人に戦車での50メートル走を挑むだろう。
景品はいつものごとく卑猥な映像集か、油でコーティングされた食品一年分といった類の物だ。
彼にとって価値の有る物とは、その一時だけ己の欲望を満たせる物なのだ。
もし何かしら人のため国のためになり、表彰状なんて大それた物を貰えたとしても、その数秒後には表彰状は便所紙に変わっていることだろう。
なぜだって?なんのことはない、便意を感じ便所に入り、しこたま排泄物を排泄したところで紙が無いことに気づいたのだ。
その時たまたま持ち合わせてた紙が表彰状だったということだ。
ケツを拭く前にためらいはなかったのかだって?そんなものは存在しない。
表彰状を見つけてからケツに表彰状が触れるまでの時間は1~2秒の間、その時間彼の頭の中は安堵の気持ちしかない。
これでケツを拭けて、またすぐに女のケツを追っかけ回せると。
遊び人もここまで行くともはや拍手物だ。

彼を阻害する物はもう時間ぐらいなものだろう。
彼は恐らく破天荒ゆえ短命だろうから、なおさら時間は天敵だ。
ふと寂しくなった。

いつもは何だかんだと言いながらも友達とバカな事をしていれば、こんな感情は湧いてこないのに。

疲れてるからかな。

疲労は卑怯だ。

精神的な疲労は特に。

自分のイヤ~なとこをくすぐってくる。

自分が偽善者で、本当は何もかも自分のためにやってるんだ。

嫌われたくないから、常に好かれていたいから。

自分は結局そんなヤツだってイヤな自分が言ってくる。

その度に僕は、そう思うなら勝手にしな。

そうやって自分を蔑むヤツが僕は一番嫌いだ。

こう言ってやるんだ。

僕は大丈夫。

自暴自棄でも何でもない。

ただちょっと繊細なだけ。

図体ばっかりデカくてもダメだね。

心がヤワイんじゃさ。

でもそんな自分も嫌いじゃあない。

同じように心が繊細な人の気持ちを分かってやれる。

こんな良い部分も有るから。

人に共感してもらうって嬉しいよね。

つくづく思うよ。

自分が認められたような、共感してくれた人が凄く愛おしく見えるような。

そんなぽかぽかした気持ちになる。

だからこんな女々しい僕でも、誰かに共感した時、その誰かをぽかぽかした気持ちにしてあげれるなら、女々しい僕も大切だって思えるんだ。

臭い言葉を言ってるなぁって自分でも思うけれど。

臭いのが何だい!って僕は思うよ。

本当に大切なことは臭過ぎて臭過ぎて、もう笑けてきちゃうようなもんなんだ。

その時の笑顔はきっと、すっげぇキラキラしてると思う。

夕焼けみたいに、夏の空みたいに、大切な人の優しさみたいに。

だからまた前向こうって思える。

別に頑張んなくたって良い。

前向いてるだけで、もうすげぇ頑張ってるもん。

前向いてりゃ良いんだ。

そうすりゃいずれふとした時に、頑張ってる自分がきっと見えるはず。

それがいつか何て分からんけど、そん時に、あぁ頑張ってんなオレって、ちょっと自分を誉めてやろう。

もう今からその時が楽しみだ。

ほっほぉ~い!