今日で多くの人が仕事納めという日ですね。
私は先に実家に帰省しています。
諸事情により息子と二人、新幹線。
お供たちを従えて(笑)
祖母が亡くなったとの報せを受け
年末年始の予定を早めて帰ってきました。
お葬式まで終え、
少しゆっくりしたいと思っているところ。
入院して一時危ない状況にあったものの、
そろそろ退院かもねと聞いていたところだったので
急な報せに驚きました。
そのときは祖母のことを思い出しうるっとしましたが、
通夜・葬儀の2日間ほとんど泣くことなく、
死に対して「悲しい」という気持ちを持つことはありませんでした。
子ども3人、孫が9人(8人)、曾孫10人、
自身のきょうだいが5人で甥・姪たち・・・・
2日間親戚一同が集い、
賑やかに、和やかに過ごしたことも大きいかもしれませんね。
そう。賑やか。
親族だけでなく、たくさんの方が弔問に来てくださったんですよね。
私の実家はお茶農家で、祖母の日常は家のことや稼業が中心。
働きに出るより「〇〇家の人」「〇〇家の奥さん」
としての時間が長かった人でした。
「職業」を通じての社会とつながりはありませんでしたが
それでも、趣味でやってた編み物や小さなことで
「お世話になったから」
と弔問に来てくれる方の多いこと。
職業や肩書がなくても社会や地域と繋がっていけること、
肩書やお金じゃない、人としてのほんとうの価値 を教えてくれる葬儀でした。
両親共働きだったので平日は祖母が家のことをしてくれ、
体調不良で早退のときは、学校まで車で迎えに来てくれていました。
家を出てからも両親・私の家族と4世代で旅行へ行ったり、帰省のとき一緒に
花火やバーベキューしたり・・・たくさん一緒に過ごしてきました。
また、好物の小豆をお土産に買っていくとか、ちょっとしたことですごく喜ぶような
チャーミングなおばあちゃんでした。
「ありがたいありがたい」「おおきに」というのを口癖のように言っていた祖母。
だからなのか、年の瀬の忙しいときではあるものの
式の日程を選ぶことができたし
たくさん弔問に来てくださったし
通夜・葬儀は晴れて暖かい日だったし。
送り出す側にとっても「ありがたい」状況を作ってくれました。
言霊(ことだま)、言葉のエネルギーってやっぱりあると思うんですよね。
「ありがとう」
という言葉をたくさん発してきたからこそ、
「ありがたい」
状況になるし、身近な人にも波及して
しあわせな記憶として祖母が遺るという循環に。
「どう生きてきたか」は死ぬときにわかるのだなと。
大好きだったおばあちゃん。
たくさんの愛と気付きを遺してくれたおばあちゃん。
ありがとう。
わたしもあなたのように、愛らしいおばあちゃんになりたいです。
これからは私がたくさん「ありがとう」
って言って、繋いでいきたいと思います。