今日のブログの結論、最初に言っときます。
(なぜなら長文だから)
言葉は文字通りの意味ではなく、
自分なりの解釈ができるようになって初めて「自分のもの」になる。
新宿の街宣リレーのあとは
靖国神社のみたままつりへ。
みたままつりとは、
日本古来の信仰にちなみ昭和22年に始まったみたままつりは、境内に数多くの献灯(みあかし)を掲げて戦歿者のみたまをお慰めします。
御祭神に感謝の誠をお捧げください。
とのこと(サイトより)。
東京での生活もまあまあ長くなってきてますが
みたままつりは初めての参拝でした。
大鳥居から神門前まで、ずらーっと献灯された提灯が並びます。
美しくて、いろんな場所から撮ってみる
圧倒される数でした。
境内には小サイズの提灯も
こちらはこちらで可愛い。
これ、全部個人や団体からの寄付(献灯)です。
なので提灯ひとつひとつにお名前が。
神谷さんの(松田学さんもありました)
そしてこちらは参政党
ずらーっと一面に。参政党としての他に、全国各地の支部からも。
圧巻でした。
とあるエリアは旧陸海軍関係者のもの、全国各地の遺族会のもの
で埋め尽くされていました。
これらを眺めているとふと、提灯ひとつひとつが
いのちの象徴のように思えてきました。
ひろく先祖すべて
先の大戦で命を落とした英霊たち
日本をつくり、守り、支えてきたすべてのひとたち・・・・・
そういう人たちの御魂が提灯のあかりのようだと。
その灯りの前で下の世代、つまり今生きている私達が
仲間と楽しんだり、家族と心を通わせたりしている。。。。
そういういのちを超えた、世代を超えた交流の場が
「みたままつり」という場なのかなと。
平和とはいのちが続く・次世代へ紡いでいけること、
このような(みたままつりのような)場が続いていくこと
なんだなってスコンと降りてきた。
物心ついた頃から
「なんで戦争って起きるんだろう」
「平和な世界になると良いな」
ってずーっとずっと考えてきました。
平和のための活動に携わりたいと思い、目指してきました。
ですが「平和」って、
定義がすごく難しいと思いませんか?
戦争がないこと≠平和
じゃないし
何をもって平和とするのかのイメージってしずらい。
平和な世の中にって言うけど平和ってなんだろうかと。
ですがみたままつりに来て
私にとって平和とは
平和=いのちが続いていくこと
(安心していのちを育むことができる状態)
という解釈をすることができた。
自分にも平和は作っていける・守っていくことができるんだと
初めて感じることができたんです。
これまで散々海外へ行きました。
アフリカ(モザンビーク)へボランティアにいったこともありました。
その頃の私は違和感を持ちながらも、
戦争がないことが平和だと思ってきたから、
戦争が起きない状態を維持すること≒平和
と思って、途上国と言われる海外へ行ってたわけです。
formigas(私が教えてた学校)の子どもたち
けれど遠く海外へ追いかけていかなくても
近くに平和はあったんだと。
(ちなみにモザンビークはとってもいいトコでしたよ。
行ったことは後悔してないし、あそこで生活できて
ほんとにいい経験させてもらったと思う)
モザンビークで住んでたおうちの高台からの景色
辞書を引くと、
平和=「戦争や紛争がなく、世の中が穏やかな状態にあること」
だけど、言葉どおりの定義じゃなく、自分にしっくりくる
解釈を見つけることのほうが大事。それが見つかると幻を追うのを
終えることができる。
ずっと追いかけていた幻、わたしの10代を
ようやく昇華できたと感じました。
世の中の定義はこうだけど、私はこう思う
言葉を自分なりに解釈する≒言葉を育てることが、
「自分の軸を育てる」ってことなんだと思います。
みたままつり、来年はぜひ!!