周りに合わせて





イエス

(キリストじゃないよ。YES)





と言っていたら…




そう言えたら、

どんなにラクだろうか。







周りと同じ方を向く

一緒に動くって、




不自由だし

面倒もあるけど、



楽なところもあるんだよね。








けれど、、、












それじゃ

こころが満足しないんです。









隙間風ピューピュー言ってるよ

冷たい風が入ってくるよって





こころが言うんですよね。










だったらもう、

従うしかないじゃないですか。


自分の心に。












誰しもに当てはまる

正解なんてなくて、




自分が心地よいほうを



それぞれが選んでいけば良いんです。










これまで散々、

周りを傷つけないほうを選んできたんじゃないですか?




みんなを悲しませないように。

負担をかけないように、って。









けれどそのことによって






こころに隙間風が吹くような




違和感に耐えられなくなってきたんじゃないですか?



そろそろ自分のこころに


従っても良いんじゃないだろうか。









自分のこころに従うことと


他人を否定することとは違う。




違う感覚を持っていても、

違う"正しさ"を抱えていたとしても、





お互いにうまくやることもできるんじゃない?











わたしは、

私にできることをやり切りたいです。




周りの顔色を気にして

角が立たないように…って



選択をしている時間は


もうないんじゃないかな。







ここ数日、

嬉しいこと

楽しいこともたくさんあったのだけど、





もやっとしたり

悲しいこともまあまああって、、、





↑の気持ちに落ち着きました。

降りてきた?というのか。










伝わるかなー

わかるかなぁ…





まあ良いや。

書いておきたかったので。