物事を「損得」で考えるようになったら、離れてみる合図かも知れません。

 

 

 

 

 

突然の、強制終了がやってきました。

 

 

 

昨年の後半から感じていた違和感。

それはとてもとてもお世話になって、尊敬する人。

 

 

けれど、なんか「今」の自分とは合わないような気がしていました。

そこに居てはいけないような。。

 

 

でもお世話になっているし・・・

一緒に居たほうが良いかも知れない・・・

 

と思考の声が大きく、ずっと決定的な「結論」が出せないままでいました。

 

 

 

損得勘定で物事を考えるようになったら、それは手放す合図です。

本当に必要なもの、欲しいものってもっと純粋だから。

 

 

「大好き!一緒にいたい!なんかわかんないけど良い!!」

みたいな。得かどうかなんて考えません。

 

 

 

 

 

 

私の場合、その人との間で共通のWebサイトがあるのですが、どうしてもログインすることが出来ないのです。サイトの不具合かも知れないし、パスワードの変更連絡を見逃していたのかも知れません。問い合わせてなんとかすることも出来ますが、そうじゃないと思った。

 

 

わたしがズルズルと結論を出さずにいたから、「もう違うと思うよ」という合図が来たのでしょう。何か決定的な出来事が起きたわけでもないのです。でも、なにか違うという感じを受けるのです。

 

 

 

 

目で見えること(収入や知名度、容姿など)はわかりやすくその人を語る切り口になります。

 

けれど、見えているのはほんの一部。

 

その後ろには何倍もの見えていないものがあるのです。

小さい声だけど、身体の感覚・肌感覚って敏感。

 

「なんかわからないけど」

という感覚や違和感は大事なメッセージです。

 

 

それを聞き逃さないで、違和感のある方へ進まない。

頑張らない、逆らわない。

 

 

それだけで、自分のしたいこと・「自分」というものの輪郭ぼやっと見えてくるような気がしています。

 

 

 

思考の声にしたがっていると、ほんとに来るんですよ、強制終了が。

突然事故したり、災害に遭ったり。

小さい違和感ですけど、無視できないなーと思うのです。