新幹線で大阪に向かっております。



今日は実家で母親と過ごして気がついたことを。


私達は意識するしないに関わらず、親の価値観を受け継いでいます。特に母親のそれは、かなり影響が大きいです。


良いところ、好きなところはそのままで、
あ〜(これはなあ…)と思うところは、新しく自分が良いと思うものに書き換えていけばいいんです。


ですが自覚が無いことには書き換えられませんよね。



自覚なく当たり前に刷り込まれているもののひとつとして強いのは、
「家事・料理・育児の手間=愛情」というもの。
そしてそのために「自分のことは後回しに」となっていること。


私の母は実家に滞在中、かなり私達をもてなしてくれました。
手作りのパンを焼いたり
児童館や公園に出かけるとなるとおにぎりを作って持たせてくれたり(実家は山の中なのでどこへ出かけるのも車で30分以上行かなくてはならない)、
料理はメインだけでなく鍋物、煮物、漬物、副菜、サラダと食卓いっぱいに作る
極め付けは、洗車して車の中も掃除機かけたいなーと言っていたら自分の車をやるついでに私達家族の車も掃除してピカピカにしておいてくれていました!!
(洗車は父ですけど)



そのどれもが本当にありがたくて、親の愛情をたくさん感じました。

ですがその分、
家族五人の洗濯物が増え洗濯を毎日4回回すことになったり
朝早くから起きて家事や料理、孫の相手と自分の仕事などしているため、お風呂の前にコタツで潰れている様子も度々見かけました。


腰が痛い〜と言っていたのでマッサージをしてあげると、足の踵がガサガサ。。お母さん、踵酷いよ〜ガッサガサだよ。というと、気付いているけど何もしていないとのこと。

このままだと踵切れたら歩けなくなっちゃうから、とりあえずクリーム毎日塗って、もっと油を食事でとったほうが良いよ!と強く言ってその日はオイルを塗ってあげましたが、、、


孫とお風呂に入って出た後もスキンケアする前にすぐ料理や洗濯始めちゃうし、疲れていても基本家事は自分でやるし、食事は皆んなが食べるのを見ながら座ってるより動いてる時間の方が長いくらいだし、いつも自分のことは後回しなんですよね。


手間をかけてあげることで愛情を示していると思っているから、自分がどうでもまずは家族!になっちゃうんです。


でも私が母に思ったのは、
そんなに無理して品数たくさん作らなくてもうちらは全然満足してるし、睡眠時間削っていろいろやらなくて良いよ。えらくなってしまうからもっと自分を大切にして!

でした。
注:えらく=辛くです。方言です。


手間をかけてくれることは、愛情があるからに違いないです。
ですが、手間をかけないことイコール愛情が無いことにはなりません。手間と愛情はイコールではないのです。
母は自分を犠牲にして手間をかけてくれるより、自分を大切にしてニコニコしていて欲しい。
私が母に思ったことは、たぶん子どもが等しく母に感じることだと思うんです。


あなたは自分犠牲にして、頑張っていませんか?
手間をかけないからと言って、愛情を受け取っていないわけではありませんよ。





さあそんな、手間=愛情を手放した私は今日はひとりでお出かけです。
ニコニコワクワクしてるとこには、そういう出来事が起こりますからね!
あー、めっちゃ楽しみです!!