いま私は心のこと・スピリチュアルと、ファッションを学んでいるのですが、一緒に学んでいる人や教えてくれる師、友人などには、
「バイタリティあるよね~」
「子どもがいても好きなことやっててすごいよね」
ってよく言われます。
このあいだ、
「どうして子どもが小さいのにそんなに自由に行動できるの?」
って聞かれたんですが、
「生むのは私しか出来ないけど、育てられるひとは他にもたくさんいるじゃないですか。自分がやらなきゃいけない仕事は終わったなーって思ってるんですよね」
とっさに口から出た言葉がこれで、私自身がとても驚きました。
で、その後じわじわと言葉が自分に染みてきたんです。
そうか、私一人で育てようと思ってないからだなって。
だから私は自由そうに見えるんだなあ。
子どもに対して、過度に責任を負っていない。
母がずっとそばにいなきゃ、とか
バランスのよい食事を摂らせなきゃ、とか
毎日シャンプーしないと、とかとか。
〇〇しないと△△になっちゃうよ~
というネガティブな紐付け。歯磨きしないと虫歯になっちゃうよ~、的な。
そういうのがあると、どんどん視野が狭くなっていく。△△にならないために、〇〇をしないといけない、できないと子どもがかわいそうだ。出来ないのは母親に責任があるでしょう・・・
こんなループで、私がやらなきゃ、〇〇をやらないことに責任を感じてしまう人、多いんではないかなと。
子どもに対して、「ひとりで」じゃなく、「いかにたくさんの人に関わってもらえるか、大切にされてもらえるか」に、私は意識を向けています。親はみなそれについて心を砕くべきなんじゃないかなーと思っています。
だって、社会ってそういうものじゃないですかね。上手く言えないけど。
どんなやりたいことも、
どんな夢だって、人との間で成り立っていること。
小さい頃憧れた仕事だって
スイミングスクールの先生とか(幼稚園児の私)
通訳とか(小学生の私)
プリキュアとか(長女)
アイドル!?とか(長女、笑)
今している仕事も。
人と関わらなきゃ生きていけない。
だったら小さいうちから沢山の人に関わって、かわいいねって言ってもらって、愛されていることを実感していくほうが楽しく生きていけると思うんです。
母親がやらなきゃいけないことって生むこと以外にはなくて、その先は安心して周りに、社会に委ねて良いんだと思います。子育てはその後の”選択”。オムツ替えだって授乳だって、やりたいこと・やれることをやったら良いんじゃないかと。
親としての『責任』みたいなものを握りしめながらだと、どんどん苦痛になってきちゃうよね。
私は責任からじゃなく、自身の選択として子どもと一緒にいるつもり。
母乳9割くらいで育てているので、卒乳まではあまり離れないでいようかなーと。
その時が来てほしいような、卒乳すると寂しいような・・・毎回複雑なんですよね・・・・
長女も次女も、アプローチは違うんですけど、人との関わり方がうまいなって思うんですよね。社会に対して変な警戒がないというか。
だからこのまま、委ねて、信頼して、社会に受け入れられている実感をもって大きくなってくれると良いなと思うんです。
信頼すれば、信頼が自分に帰ってきますからね。