子どもを産んで親になって、どうやって子どもに向き合っていくかずっと考えていたけれど、これかなってことが自分の中ですこしづつ固まりつつあるので、それを書きたいなと思います。

 

 

 

親(母親)としての役割って、究極だけど   生むこと

                            生んであげること

 

 

なんじゃないかなと思います。

 

生んでそのあとの”育てる”ことは、親というより周りに寄り添う大人としての役割。

 

生みたいから生んで、

一緒にいたいからそばにいる

 

 

生むことも、お世話することも、一緒にいることも、もっと選んでいいし、主体的に選んでいるんだと自覚してほしい。

親のためとか、パートナーのため、世間のためとかじゃなく、ね。

 

 

”生む”ということと、”育てる”ということは別物

なのだと思うのです。だから育てることが性に合わなければ、手放してもいい。

 

 

 

私は子ども3人生んでいますが、自分は育児に向いていないと思っています。特に子どもと一緒に遊ぶことに対して。

 

でもそばで成長を観ていると楽しいし、かわいいなって思うし、癒やされるし一緒にはいたい。だから「できないこと」を頑張るのをやめたんです。

 

 

 

◎四六時中子どもと過ごすのは向いてないと自覚したから早々に仕事復帰して保育園に預けた

 

◎子どもの目線で一緒に遊ぶことは苦手だと思っていたところ、義理の弟が子どもと遊んでくれて、しかもそれを心から楽しんでくれてるとわかった

→定期的に遊びに連れて行ってもらっている

 

 

◎家事と育児を両方一人で引き受けるのは無理!特に3人なんて見れない!!

だから夫と役割分担して、夫がいない時は夕飯うどんだけ、とか簡単なものにしたり、お風呂を翌朝入るようにしたり。

 

 

子どもと一緒にいたいなら、気分よくいられるところまで「手放す」んです。

私は一緒にいたかったからそうした。

 

けど

産んだけれど育てられない・一緒にはいられないっていうんなら

子どもと離れるっていう人がいても良いんじゃないか、そういう選択肢があっても良いんじゃないかと思うんです。

 

 

「育てられないなら生むな」

って、聞くけれど、生むのと育てるのは別物だと思う。

 

子どもにとっては親と一緒にいないことが不幸なんじゃなくて、

自分を犠牲にして嫌々そばにいられたほうがよっぽど不幸だと思う。

「わたし、ここにいていいのかな?」

って自己肯定感下がっちゃう。

 

 

 

わたしは産んで、一緒にいることを選択した。

だから子どものためにも自分を犠牲にしない・我慢しないと決めました。それがそばにいる大人としての務めだと思うから。