こんばんわ。
らんです。
らんです。
前回記事にした長男のおトイレ問題。
集団生活を送る上で
今後困ったことになりそうで
心配ではあります。
でも
コメントいただきましたが
このような症状が出ることは
全然おかしなことでも
珍しいことでもないですよね。
長男の話を聞いたとき
ふと思い出したことがあります。
私は小学5年生のとき
足の手術を受けました。
直後は自分でトイレに行くことができず
ベッドの上でシビンの中に出すよう
看護婦さんに言われました。
でも男の人なら突っ込めばいいけど
表現ごめんなさいm(__)m
女の場合どんなにしっかり当てていても
絶対に漏れてきそうで
どうしてもできない。
「下に防水パッド敷いてるから
気にしなくて大丈夫だよ。」
そう言われて
がんばって出そうとしても
どうしても出ない。
結局歩けるようになるまで
導管することになりました。
気持ちの上では
長男もきっとこんな感じで
気にするなと言われても
どうしても気になってしまうんだろうな。
男の人は隠さないのが当たり前。
でも長男みたいに
それが当たり前じゃない人もいる。
男だから男らしく
女だから女らしく。
そういった風潮が
段々と薄れてきたとは言え
まだ私たちの思考に刷り込まれている。
それが悪いわけではない。
女である私は
男らしい人にはやっぱり惹かれるし
男の人は
女性の優しさに触れて
安心することもあるだろう。
でもそれが全てではなくて。
男の人でも
繊細で優しいところがあっていい。
女の人でも
強さたくましさを持ち合わせていい。
私たちの親の世代は
戦中戦後を生き抜くために
集団生活において嫌なことでも
みんなと同じことをする必要があった。
弱音を吐くことは
みっともないこととされた。
特に男の人は強くなければならなかった。
そんな時代を生き抜いた親に育てられた
私たちもまた同じように
男だとか女だとか
強さだとか優しさだとか
周りからはみ出してはいけないだとか
わがまま言わない子はいい子だとか
そんな思考が
大前提として残っている。
でも時代はもう令和。
そろそろ
お互いの価値観や生き方を
尊重する時代になってもいいんじゃない?
男子トイレに仕切りがないこと。
それを当たり前だと思う気持ちと
恥ずかしいと思う気持ち。
本当はどちらもあっていい。
それは当たり前のことで
「恥ずかしいと感じるなんて
情けないやつだ」
とさえ思っている人でも
もしかしたら小さい頃は
恥ずかしいと感じていたのかもしれない。
長男には
「恥ずかしいと思う気持ちは
もってていいんだよ。
ただ
まだ環境がそこまで追いついてないから
日常生活で困らないよう
対策を考える必要はあるね。」
そう伝えていきたい。
不登校問題。
おトイレ問題。
長男は
いろいろと問題を抱えているようだけど
実は問題でもなんでもなくて。
本当はたくさんの人が
抱えているかもしれない気持ち。
それを抑えることだけが正しいのか
だんだんと曖昧になってきている
そんな時代が来ているように思います。
近い将来
みんながより生活しやすい社会が
築かれていることを願ってます。
ブログをたずねてくださった皆さま
ありがとうございます。
それではまた
