こんにちは。
らんです。
前回の記事では
自分でもよくわからないことを
わからないままに書いていたのですが
コメントをいただいて
共感してもらえたことで
なんだか癒されました。
私ってどこかおかしいんだろうか
そんな不安から解放されて
自分1人じゃないって思えるだけで
安心感に包まれる。
人に聞いてもらえるってことは
本当にすごい癒し効果があるなと
実感しました。
コメントいただいた皆さま
ありがとうございました。
このことを踏まえて
ここからは
「消えたいと思うこと」について
書いていきます。
なかなか重い内容になります。
心が苦しくなりそうな方は
どうかここまでにしてください(-人-;)
三浦春馬さんが自死を選んで
手帳には
「死にたい」
の文字が残されていたこと。
とてもショックでした。
と同時に
ここ最近の私自身と
重ね合わせていました。
自尊心の低い私は
自分のことばっかりで
周りのことなんて考えられない。
特に
自分のことばっかりで
周りのことなんて考えられない。
特に
不安に心が飲み込まれてしまって
余裕がなくなればなくなるほど
どんどん視野が狭くなってきて
自分のことしか見えなくなる。
消えてしまいたい。
それしか考えられないとき
私の視野はかなり狭くなっている。
私がいなくなることで
周りの人がどれだけ悲しんで
どれだけ後悔して
その後の人生に
どれだけ影響を受けてしまうのか
そんなことさえ考えられなくなっている。
それでも
思考が
思いとどまっているのは
やっぱり
家族がいるから。
家族に迷惑かけられない。
家族のために生きなきゃ。
そう思っている。
家族のためだけじゃなく自分のために
生きられたらいいのだけど、
それは今回とは別のはなし。
視野が狭くなっていると思っても
まだ少しの余裕があるということ。
余裕が完全になくなったとき
人は
自分のこと以外意識できなくなって
死を選ぶのかもしれない。
私は
「消えてしまいたい」
って思っている時期
実生活では
できるだけそんなそぶりは見せない。
ちょっとテンション低いのかな?
って思われる程度まで
がんばって振る舞っている。
周りの人に心配かけたくない。
そして
死にたいとか考えてる人だって
知られたくないから。
真面目な人であるほど
周りの人の気持ちを考える人であるほど
人と違うと思われたくなくて
周囲に心配かけたくなくて
全然平気なふりを
見事に演じてしまうのかもしれない。
そして
誰にも言えないことで
追い込まれていく。
こんなこと考えてる私って
人としておかしいんじゃないか。
周りの気持ちを考えられない私は
ひどい人間なんだろうか。
そんな風に
どんどん
心が追い込まれてしまう。
自ら死を選ぶことは
大切な命を粗末にすることと言われていて
この世の中ではタブーだから
「死にたい」なんて
簡単に口に出せない。
でも
「死にたい」
の裏に隠れている本当の気持ちは
「死にたい」
じゃなくて
「楽になりたい」
なんじゃないかな?
少なくとも
私の場合はそうだった。
ただ楽になりたかった。
楽になるための手段が
死ぬことしかないのなら
そうするしかないのかな。
そう思ってた。
「死」はどうにもならないこと。
周りの人にとってはとても悲しいこと。
でも
「死」と
「死にたいと思うこと」
はまた別のもの。
「死にたい」と思ったことのある人は
どのくらいいるのかな?
自尊心の低い日本人は
一定数いるんじゃないのかな?
だったら
「死にたいと思うこと」自体は
そんなに問題視しなくても
いいんじゃないのかな?
「死にたいと思う気持ち」を否定せず
もっと気楽に吐き出せる世の中だったら
いいのに。
他にも
同じこと考えてる仲間がいるのなら
「私、今花粉症でつらいんだよね。」
って話すくらいのトーンで
もっとオープンにさらけ出せたら
いいのにな。
「この間、『死にたい』ってググったら
最初にいのちの110番が出てきた。
日本ってお節介な国だよね。」
こういう話を軽いノリでできれば
「死にたいと思うこと」自体は
問題ではなくなっていくのに。
そうして
苦しい気持ちを
誰かに聞いてもらえる環境にいれば
少しは心に余裕が出てくるかもしれない。
心に余裕が出てくれば
周りのことや
他にも楽になれる方法を
考えようという気持ちが
出てくるかもしれない。
生きているのも悪くないって
思えるようになるのかもしれない。
そんな風に思いました。
ここまで
心がずーんとなるような
重たい内容で書いてきましたが
今の私は気持ちが上がってきています。
今回の私の落ち込みから感じたことを
記録として残しておきたかったので
書くことにしました。
あくまで私の感じたことですが
気分を害された方いらっしゃったら
ごめんなさい。
次回からは
通常運転に戻れそうです。
ここまで読んでいただき
ありがとうございます。
それではまた
