こんばんわ。
らんです。
らんです。
昨日
コロナに関する記事を投稿してから
私って心配性すぎるのかなぁと
思いました。
自分のことだけじゃなくて
他人の行動まで気になってしまうなんて。
こういう心配性なところ。
自分で嫌になる。
人は人。
自分は自分。
自分は十分気をつけて
手洗いうがいマスク。
3密を避ける。
推奨されている行動を取っていて
これでかかったらもうしょうがないよ。
やるだけのことはやったんだから
心配して過ごすより
どんと構えていればいいよ。
本当はこういう思考でいたいのにな。
今は世界中の人たちが同じ状況にいるのに
そんなに気にしない人たちが
確かにいるわけで。
そんな風におおらかに考えられたら
生きるのが楽になるのかなぁとか
色々と考えました。
ふと
どなたかのブログで見かけた
『色んな種類の人間がいるのは
人類が生存するためだ』
という言葉を思い出しました。
今回のコロナ騒動で
「なんとかなるでしょ。」
って外出自粛しない人もいれば
「怖いから絶対に外に出ない。」
って完全に自粛する人もいる。
もし
外出自粛しない人ばっかりだったら
確実に感染者が増えて
人類は滅びてしまうかもしれない。
逆に
完全に自粛する人ばっかりだったら
コロナは早いうちに終息するだろう。
これまでは
細かいこと気にし過ぎる人
慎重な人
臆病な人
ってどこか敬遠されがちだった。
でも
人類がこれまで生き残ってこられたのは
細かいこと気にする人
慎重な人
臆病な人
がいたおかげなんだろう。
反対に
人類がここまで発展してきたのは
大胆で行動できる人
がいたおかげ。
臆病な人だけだったら
大きなマンモスに挑もうだなんて
考えもつかないだろうし。
大胆な人だけだったら
当たって砕けろってマンモスに突進して
全滅してただろう。
いろいろな種類の人間がいたことで
人類は発展しながら生き残ってこられた。
だから
臆病な人も
大胆な人も
みんな
これまでの人類の歴史に貢献できていると
もっとドヤ顔していい

これは個人に対しても言えることで
大胆に行動できたから
今の生活ができている。
慎重に考えたから
今まで生きてこられた。
慎重で臆病で
小さいこと気にする自分。
嫌な部分だと思ってきたけど
そんな自分は
尊敬に値する存在。
コロナに対して
心配しすぎる自分に疲れたとき
こう声をかけてみる。
そんな私でいいじゃない

↑ガッキー風に。
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ありがとうございます。
それではまた
