おはようございます。
ご無沙汰しておりました。

実は義母が他界しました。
満中陰法要と初盆を無事に済ませ、ほんの少しだけ落ち着いたので久しぶりにblog更新をすることにしました。



義母はとっても元気で、まさしく大阪の肝っ玉オカンでした。
そんな義母との別れは突然やってきたのです。

私が夕方、そろそろ仕事を切り上げて自宅に帰ろうと思っているところに、義母が外出先から帰ってきました。
義母は私ににっこり微笑んで『遅くまでお疲れさんやな』と労いの言葉をかけ、会社の上にある母の住まいに上がって行きました。
それが、元気な義母の最後の姿でした。

私はそれからすぐに自宅に帰ったのですが、その後、用事で上に行ったパパが苦しんで倒れている母を発見しました。
すぐにパパは救急車を呼び、私にも連絡してきました。

近くの病院に搬送されたので、私もすぐに病院に駆け付けました。

義母の緊急手術が始まり、待っている間にも親族が続々と控え室に集まってきました。
ただただ見守るしかない重苦しい時間が深夜まで続き、手術が終了。
その後、主治医の話。
非常に危険な状態ということでした。

身体中にいろんな機器や管が繋がれ、意識がない義母。
それでも私たち家族は再び元気な姿になると信じて疑いませんでした。
それから二日後、懸命な治療の甲斐もなく、親族全員に見守られながら義母は旅立ってしまいました。
74歳でした。

死因は肺塞栓症
いわゆるエコノミ症候群のような症状だったようです。
乗り物のような狭い空間に何時間も同じ姿勢でいると発症しやすいとは知っていましたが、義母はとくにそんな状況下ではなかったので、どうして・・・と悔やまれます。

義父の三回忌が終わったばかりだったし、これからゆっくり義母と旅行に行ったり、いろいろ親孝行をしようと思っていた矢先だったので、本当に本当に残念でした。

義父の時は現役の会社役員だったので大きなお葬式になりましたが、義母は家族葬ですることになりました。
ところが義母と親交のあった方々が突然の訃報を知り、たくさん駆け付けて下さいました。
供花もたくさん頂きました。
結局、義父の時とあまり変わらないくらい立派な通夜・葬儀を執り行うことができ、改めて義母の人柄、人望の厚さを知ることができました。


あまりに急だったので、ゆっくり義母を偲ぶことさえできないくらい最近まで忙しくしておりました・・・。

突然、逝ってしまった義母。
本当に本当に悲しいです。
もっと長生きして欲しかった。
お義母さん、お疲れ様でした。
今まで本当にありがとうございました。


ようやく49日が終わったばかりで、これからの後処理が今まで以上に大変そうです。
遺品整理や相続の問題など山積しております。
今でも義母を偲んで訪ねてきてくださる方も多く忙しくはしておりますが、私たち家族はみんな元気です。
時間があればまたボチボチ更新していきたいと思います。