さて、ここからは親にされてきて嫌だったことを箇条書きにしていきます。


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〇父親編


1.人と比べられる
2.私にだけ冷たい
3.女性の部分を否定される
4.上記と相反するようなセクハラ
5.私への無関心
6.劣等感をぶつけられる
7.価値観の押しつけ(自分はダメ、犯罪をおかしたら捕まるから犯罪はおかさないようにしよう、すごい人はほんのひと握り…など)
(…??私が知らんだけで犯罪歴でもあったか…?)
8.食べ物の押し付け
9.あてにならなさ
10.自分を愛して無い



○母親編


1.価値観の押しつけ(高すぎる理想、完璧主義、大学進学と企業就職への絶対的信頼)
2.条件付きの愛情
3.自己投影とコントロール
4.私の本質は無視
5.弱い自分は愛して無い



父も母も、一番下は自分自身に対してこうだったんじゃないかな?と私が感じることです。
これが真実というわけではなく、あくまでも当時の私が感じたことなので一方的です。
(それに私は被害者じゃない、私の価値観も同じようなものかと思う)



二人の似通っていたところは、


自分の価値観をとにかく押し付ける(自己投影?)
ものやお金、食べ物では徹底的に私を甘やかす(悩んでても友人からはうらやましく見えていたり)
私の価値観や気持ちは認めてもらえない
陰転した天恍星(あえて算命学的に…)
徳が高くない身強なので、内面重視せずとにかくゴリ押し


当時の父の根底には「自分を愛してない」
母の根底には「弱い自分は愛してない」があったんじゃないかと考えるのは、
私が褒められたり認めてもらえたポイントを考えた時に、
やっぱり受験で結果を出したときとか、勉強がんばって良い成績取ったときとか、何か高い目標を決めてやるぞ!ってなったときとか。(母)ごめんね、詐欺なんだけど……

父に関してはポジティブな声掛けをされた記憶はない。でも、私の友達の話になったり社会の役に立っているときは嬉しそうだったので、「誰かに認められる自分」に価値をおいている模様。

世間が納得するような、指針となるような結果
他人の承認。
もちろん、それを子供が持つのは喜ばしいこと。
子供のときの私もそれを望んでいた。親を喜ばせてあげたかった。(できなかったけど…)



でも、おそらく私がずっと欲していたのは
「自分の気持ち」
「自分のがんばり」
を、認めてもらうことだった。


2018年に、初めて伊豆の断食にいきまして。
隣に座った人が、50代くらいの男性の経営者のかたでした。
最後らへんに「トレイルウォーク」という山歩きがあって、体力のない私は心配していましたが、無事に歩き切ることができました。


みんなにも、歩けるかなぁ〜と言った私が歩ききったときに、そのかたが
「がんばったね」
と私に軽く言ってくれて。


がんばったねって言われたのが記憶の限りでは初めてで、めちゃくちゃ嬉しくて、
こんなに心からうれしい気持ちになったことってなかったかもしれない……
と、ちょっと感動してしまいました。


(昔はあったのかもしれないが…。
 それこそ、母は私のこと大好きとか大切とかはちゃんと言ってくれていたと思う。女性とのコミュニケーションが気楽なのは母のおかげ。ただ、親が心から何を嬉しそうにしてるかなどは子供だからかなんとなく見抜いてしまっていた。)


がんばったね、とか、どんな気持ち??
とかを、私は親に聞いてほしいと思っていたのかもしれない。
それを親に言っても無駄というか、そもそも重要視されないんだから、私も私の気持ちは人生の最初の方からすでにどうでも良くなっていった。


だけど、お金やもの、食べ物は不要なほど与えられる。高い教材とかペットとか…
お小遣いも小学生でほぼ何もせず1日100円とかね。
むしろ食べ物とかは食べないと父に嫌な顔されるので、それはそれでアレだが…。


で、ハムスターを何回も飼っていたけど、
私は結局ハムスターの命を大切にできなかったと思う。ガワは可愛いと思っていたけど、懐かれることもなく、亡くなっても泣くこともなく、悲しい気持ちも湧かなかった。
お世話も途中で飽きて、怒られることもなく親がやっていた。

命の大切さを本質的にはわからないまま大人になり、今もそうだと思う。