自分がはじめから当たり前に

できちゃうことに関して、

人は無頓着になりがちで、

そのせいで、

知らない間に誰かを傷つけて

しまいがちで、

もっというと、

傷つけたことにも気づかない

のかもしれない。

 

なんでもできる人は、

誰かに頼ることが無くて、

そのせいで、

助け合って困難を乗り越えて

得られる絆を

失いがちかも知れない。

 

あるいは、


誰かを助けてあげることが、

いいことだと思い込みがち

かもしれない。


誰もが生まれた時から

当たり前に持っている、

自分でやってみたいという

(潜在的には失敗すら

 してみたいという)

欲求を踏みにじってしまう。

 

なんでもうまくいくことだけが、

正しいと思うことは、


失敗を許さず、

リカバリーの気力を奪い、

人を古い偉い人の彫像のよう

にしてしまう。

(あとは、壊れるのを待つだけ)

 

なんでもできることが、

良いこととは限らない。


はじめからできちゃう人は、

残念なことに、

できない人の気持ちが

絶望的にわからない。


言い換えると、

実は、わからないという、

できないことが

セットでくっついている。

(その意味で、

なんでもできる、なんてことは

この世にはないのかもしれない。)

 

出来ちゃう自分も、

できない自分も、

タダの凸凹であり、


究極、

どちらが凸でどちらが凹かは

わからない。


でも、だからこそ、

せめて自分の専門家

になっておくことは、

(自分の凸凹を知っておくことは)


助け合ったり、

無知を予測したり、

失敗への対応をしたりするときに、

そこそこ役に立つのでは

ないだろうか。