同じ「言葉」という道具でで表現しているのでありながら、
村上春樹が感覚に訴えて世界観に引き込むのとは違って、
徹底したロジックと考察で納得させるのが森先生ではないかと思う。
ウォーカロンシリーズ
「デボラ、眠っているのか?」 森博嗣著
「私たちは生きているのか?」 森博嗣著
”・・・理念を打ち立てるほど、言葉だけの理屈を信じてはいない。
ただ、問題を地道に解決し、障害を取り除くことで、少しずつ生きやすく
なれば良い、というのが基本にある。正解値が得られないならば、
近似値で良い。誤差が小さくなる方向へ進めば、それは進歩なのだ。”
こんな文章を読むとなんだかミゾミゾ(笑)してくるわ~。
森先生のエッセイとかは読んでいると、けっこう退屈になって(笑)
アタマに入んないんだけど、小説の中でひょっとこんなくだりが出ると
ああそういうことかって。
ウォーカロンシリーズ、たまってしまったので2冊まとめて読んだら
3月はずっと、ウォーカロン(昔で言うアンドロイドかな。体の全部が
人工物。みためは人間と変わらない)と、体のほとんどが人工物に
なってる人間との違いとか、生きてることの定義とか、グルグル考えてしまっていた(笑)
例えば、両者の違いって神が降りてくるみたいな閃きがあるか
どうか?ではないかという考えに対して。
まったく関係ないモノや事柄を結び付けて解決のアイデアを思いつく。
それは人間だけなのか。
でもさ、人間の英知のほとんどをデータとして取り込んでいる
ウォーカロンが、そうしたものを結びつけるシュミレーションが
できないとは思えない。単にスピードの問題?
そしたらもう人間と隔てるモノなんてない。
ロボット3原則とか現実味を帯びてきた今、数百年後かには
人工のヒトモドキは人間と同等な存在になるのかもしれないね。