フシギな同窓会 | 三龍建築士

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BOX・ドラマ・映画・・・ときどき読書(笑)の日々に変更~

このところ、不幸続きで昨日も一軒弔問に行ってきた。

90歳で心不全と言うことで、病気はあったにしても、こちらと

しては大往生か・・と出かけたが、ご家族は看病の甲斐なく

逝ってしまわれたことに大変落胆しておられた。


今日に至る経緯など、お茶をいただきながら話しているうち、

お互いかなりの年月会っていない事に気がついて、急に

なごやかなムードになり・・・苦笑

それからは、昔の話で盛り上がり、少しあちらも気持ちがうえ

上向いた所でお暇することになったので、ホッと胸をなでおろした。



帰り際、玄関先で見送りながら、

こんな事でもないと、もっと何年も会わなかったと彼は言い、

これも爺さんのご加護かなとつぶやいていた。



こう不幸が続くと、通夜・告別式・初七日・四十九日・一周忌・三回忌・・

その間にも、初彼岸やら新盆やら、しげしげと会うようになる。

若くして亡くなった方の法事だとそうは行かないが、今回のような

場合は、割と(不謹慎だが)和やかな会合になったりする。


法事と言うものは、こうして考えると生き残った人々のための会合

なのかも知れないな。

忙しくしていれば悲しみも紛れ、間を空けずにぎやかにしているうち、

落ち着いて故人の事を思い起こせるようになるのかもしれない。



そうであっても、今だに身近な人の死に対して後悔している事がある

なるべく穏やかな死を迎えてもらえるように看病してきたのだったが、

どうしても疲れ果てて、1日休みをもらった。

この先も続けていく看病を考えてのつもりだったが・・・

なんとその日に逝ってしまわれたのだ。

ワタシが来ないことで、がっかりしたのだろうか・・介助がなくて

苦しかったのだろうか・・。

なんで、あの日顔だけでも出さなかったかと思うと今でも悔やまれる。




木皿泉の「二度寝で番茶」を読んでいたら、お父様の死に際して、
全く似たようなエピソードが載っていてびっくりした。

死に際の人間と言うのは、常に大変なストレスを持っているから、

神経が参ってしまっているのだとかっぱさんは言っている。



自分だったらどうだろうか。そんなことも考えつつ、今夜もフシギな

同窓会に参加する。