12月12日に母が亡くなりました。
88歳でした。


昨年の8月にガンが見つかり、1年4ヶ月の闘病生活でした。

「私、悪いもの全部取ってしまいたいから」

と、手術も受けましたが、思った以上にガンが体内に広がっていて、病巣を取り切ることは出来ませんでした。


膵臓ガンのステージ4
妹は、やらなくていい!と言ったのだけど
母は、頑張って一日でも長く生きたい!と、抗癌剤治療を受けました。

今となっては、それがよかったかどうかはわかりませんが、母の意思で決めたことだからと思っています。


はじめのうちは、まだ元気だった母も、だんだんと体力が衰えていきました。


闘病を支える私も、そんな母の様子を見るのが辛く
家に帰ってきても
「どうしてるかな?」

と母の事が心配で、夜中に電話がくるかもしれない…などと考えているうちに、何度も目が覚めて眠れなくなりました



一番辛いのは母だけれど、私自身も心が折れそうで、体調も崩しがちになりました。


最後は緩和ケア病棟に入りました。
他の医師は、希望してもすぐに入院出来るわけではないと言っていたけれど、担当の医師に
「入院したい…」と母が言うと

「わかりました。今日入院できますからね」と

その日のうちに入院が決まりました。


緩和ケア病棟への移動もスムーズに決まり、担当だった医師には感謝しています。

緩和ケア病棟は静かな落ちついた雰囲気の個室で、母もゆったりと過ごせていたようでした。



ただ、緩和ケア病棟とは最期までの期間を過ごせる場所かと思っていたらそうではないようで



「小康状態になったら、転院先を決めてください」とのことでした。

こんな、呼吸も弱って食事もとれない状態の母が、転院などできるものなのか?と疑問に思いました。

母も転院の話が出ると

「ここに居られないの?明日追い出されるの?」

と、とても不安そうにしていました。



11日に転院の説明を聞いて

「じゃあまた来るからね」

と妹と二人で手を振って別れたのが、最期となりました。


次の日様態急変

病院に駆けつけたけれど、母は二度と目を開けることはありませんでした




「辛かったよね。よく頑張ったね。偉いねえ。」

そう言ってさすった母の手はまだ温かく、冷たかった私の手を温めてくれました。


いつかはこんな日が来るのはわかっていたけれど、来年還暦になろうという娘が、母との別れが辛くて悲しくて、夜毎泣いていました。



どんな時も私の味方で、助けてくれた母。
そんな母に、私は何か親孝行が出来たのだろうか?と、やるせなく思う2023年の歳の瀬です。