うちの末っ子のトシは、養護学校高等部の3年生です。
卒業後の進路を考え、来週は福祉施設に実習に行きます。
今日は、その挨拶に行ってきました。
約束の4時まで、学校から一旦家に戻るほど時間もないので、コンビニに寄って、飲み物と小腹を満たすためのおやつを買い、公園の駐車場でチョット休憩。
「トシ君!今日は家にまだ帰らないの。 これから施設にご挨拶に行きますよ。 お行儀よくして、静かにお話聞いてくださいね。 わかりましたか? 約束できる?? ちゃんと約束できるなら、このおやつあげるから!」 と、母と息子のかけ引き。
トシは、「コクン」とうなずいて、両手を合わせ「お願い」のポーズ (。-人-。)
施設到着、降車拒否もなく、先陣きって施設内へ、
「やる気満々だね!」
実習打ち合わせ中は、どうにか一人ソファーに腰掛けていたけれど…
じっとしているのも、20分が限度かな?
帰りたいモードスイッチON
「何卒よろしくお願いいたします」と何度も頭を下げて、挨拶終了
ふうー
夜のニュースを見ていたら…
知的障害者の施設で起こった虐待を、隠しカメラで撮影した生々しい映像。
数々の暴言と暴力は、正視するに耐えられず、被害者が我が子とだぶって、ただただ涙があふれました。
「指導」とは言えない行為と、憎しみさえ感じられる加害者の形相が、目を閉じると浮かんできて、なかなか寝付くことができませんでした。
一年前から虐待の通報を受けていながら、きちんとした調査も指導も行わなかった、今回の発覚も、逃れられないように外堀から埋めていくやり方をして、ようやくです。
施設管理者や行政のずさんさ、その責任は大きいと思います。
施設職員の間では虐待がわかっていても、そのことに触れることも、上に相談することも出来ない体制があったのでしょうか?
トップに立つ人の姿勢が、そのまま施設の運営に反映されるものだと思いました。
ひと昔前に比べたら、障害者福祉もずいぶん充実しています。
我が子が小学部に入学した頃は、放課後にあずける施設もなく、帰宅後も長期休みも家族が見守るしかなく、母親が外に働きに出るなど、とてもとても、できませんでした。
健康な人であっても、けがや病気などで障害を負ってしまうこともあります。
特に何の異常もない、健康な妊婦生活を送った私は、子どもに障害があるなど、思いもよりませんでした。
障害があることは、特別枠でくくられることではない、身長や体重の大小があるように、世の中にはいろんな人がいる、その同じ枠の中にいるのだと認識してもらえたらいいなぁと思います。
私は学校のPTA広報委員をしていますが、広報紙を通じて、普通の子に産んであげられなかったことに心のどこかで負い目を感じ、育児とその悩みを一人で抱え込んでしまっている母たちの心を、少しでも解放してあげられたらいいなと思っています。
育児に疲れ、体をこわし、寿命までも縮めてしまわぬように。
子どもに捧げる人生で終わってしまわぬよう、障害の子がいたって、自分の人生を生きることは許されることなのだと。
そしてその発信は、そのまま自分自身にも向けられています。
自閉症である自分の心のうちを綴ったエッセイ「自閉症の僕が跳びはねる理由」を書いた東田直樹さんは、あるドキュメンタリー番組のなかで言います。
「子どもが望んでいるのは、親の笑顔です。僕のために誰も犠牲になっていないと子供時代の僕に思わせてくれたのが僕の家族のすごいところです。」
どんなに障害の重い子であっても、笑顔でハツラツと自分の人生を生きる親の姿を見ることは、きっと嬉しいことなのだろうと思います。
虐待のニュースでは、施設利用者の保護者が
「……それでもここしか行くところがないんです」と答えたのが印象的でした。
唯一の救いは、カメラを設置して、告発した職員がいたこと。
人材不足で、必ずしも福祉をこころざす人ばかりが働いているとは限りませんが、その仕事で給料を得たなら、その仕事のプロとみなされます。
プロ意識とモラルを持ってやっていただきたいと思います。
この事件は、被害に遭われたご本人やご家族はもちろんのことですが、私たち障害の子を持つ親にとっても、大きな衝撃と心の傷を与えました。