「神父さま、私、死ぬのが怖いんです。死んだらどうなるのか知りたい。でも、誰も教えてくれないわ。だって、死んだ人に聞く事は出来ないもの。以前は、病気や事故で、突然に亡くなる人を気の毒に思ったけど、今は羨ましい。私みたいに徐々に体の自由を奪われ、痛みに耐えながら、じわじわと迫ってくる死と向き合うなんて、つら過ぎる」
神父は、天を仰ぐようにして、大きなため息をつくと、しばらく、うつむいたまま何も言わなかった。そして、
「力になりたいです。あなたは、教会の門を叩いた。全て、導かれているんだと思います。どんなに、救いがなく、つらい出来事でも、きっと、何か意味がある。私は、そう信じています。信仰を持つ事は、救いになると思います。きっと、求めている答えが見つかると思う。信仰は、人生の地図のようなもの。信仰を持たずに生きて行く事は、地図を持たずに旅に出るようなもの。順調に進んでいる時は、地図は必要なくても、あなたは、今、道に迷っている」
「そんな事を言われても、私にはわからない。私は、今、どうしたらいいの?」
「感謝しなさい。今、こうして生きている事に感謝しなさい」
「かわいそうに」「つらいよね」
そんな優しい言葉の裏側にひそむ、あくまでも他人事としか捉えていない人間の冷酷さに、これまで、真知子は、うんざりしてきた。神父の言葉は、厳しかったけれど、凛として、神の前に生きてきた誠実さが伝わってきた。
帰り際、ロビーの扉を開けようとした真知子は、ばたばたと、自分を追う神父の気配を、感じた。
「清水さん、これだけは…絶対に自殺はダメですよ。絶対に」
理知的であったはずの真知子は、今は、完全にコントロールを失っていた。自殺を考えていた事を、神父に見透かされたようで、どんな表情を返せばいいのか戸惑った。とりあえず、
「はい。大丈夫です」
と答えはしたものの、全ては、神父に知られているような気がした。
「でも、神父様、どうして自殺はいけないんですか?自分の命じゃありませんか?」
「違いますよ。命は、自分のものじゃありません。だって、あなたは、自分の意志で生まれてきましたか?今、自分の力で、生きていますか?自殺は殺人ですよ。自分のために、ずっと、寄り添い、働き続けてきてくれた、自分の命を裏切る事なんですよ」
「私の夫は十五年前に自殺しました」
神父は黙り込んでしまった。
「あなたも、息子さんも、その事で苦しみ続けてきたでしょう。自殺というのは、残された人は、とてもつらい。同じ苦しみを、また、息子さんに残してはいけない」
真知子はハッとした。自分の苦しみばかりにとらわれて、拓也の苦しみの事など、頭になかった。
「神父様、私、自分の事しか考えていませんでした。自分の事も、本当は、考えていないのかもしれません。ただ、今のこの苦しみから逃れたい一心で…人間って、弱くて、利己的なものですね」
「そう、本当に…でも、神様は、あなたを愛している。そうした一つ一つの事に気づいて欲しいから、いろんな試練を与えるんです」
「耐える事のできない試練を神は与えないと?」
「そうです」
真知子は、力なく笑った。
「私は、そんなに強くない」
「でも、あなたには、知恵があり、行動している。こうして、私のもとへ来て、話をしてくれた。心の底で、乗り越えたいと思っているはずです」
「そうかもしれませんね」
「あせらなくていいんです。つらい出来事が深刻なほど、簡単に答えなんかでません。つらい時は、もう、神様に丸投げすればいいんです。『神様、全てを委ねます。助けて』って。嵐の夜に歩き出そうとしても、弱ってしまうだけ。やがて晴れる日が必ず来る事を信じて待つんです」
真知子は、懇願するような神父の目を見ているうちに、見ず知らずの、こんな私の事を真剣に心配してくれる人がいる事をありがたいと思った。