絶え間なく続く、悲しみと苦しみの中で、心の皮は、厚くなって行く。固く固くざらざらと。固い皮の中で、柔らかい心が悲鳴をあげる。

「助けて!壊れてしまうよ!」

その声は誰にも届かない。自分自身にさえも。

止まってしまったような時の中で、無意識のうちに食べ、眠る。心とは別に、命が叫ぶ。

「生きろ!」と。

 
 
 
仕事に子育てに、毎日、忙しくしていた真知子だったが、生活保護を受け、3週間に一度、通院する他は、用事がなくなってしまった。杖をついて、ゆっくりと歩く事はできたが、ほんの少し歩くと息切れがして、外出は、家の周りに限られた。ちょっとした食料品の買い物にも、難儀したが、現在の真知子の状態では「要支援」の判定で「要介護」の認定は下りなかったため、これといった支援もなかった。
 
物事には「表と裏」「本音と建て前」がある。
仕事関係の友人は、
「困った事があったら、何でも言ってね」
と、別れる時に言ってくれたが、それは「建て前」だと、真知子には、わかっていた。
主治医は、真知子の癌が全身に広がり、抗癌剤でアナフィラキシーショックを起こしてから、妙に、よそよそしくなった。
「教師」「医師」等は、ひと昔前まで、「聖職」と呼ばれていた。もちろん、現代でも、そうした立派な人は多い。けれど、自らの保身に汲々として、聖職者とは、ほど遠い人達も、目立つようになったように思われる。真知子のように、医師のマニュアルから、外れてしまった患者は、やっかいなのだろう。主治医は、優しい言葉を選びながらも、通院の度、渡されるのは、痛み止めの、医療用麻薬ばかりだった。
 
右足の痛みは、日に日に、ひどくなっていた。ずきずきと化膿しているように痛むのではなく、おもに、寝ている時に、突発的に起きる。足全体をねじ切られるように痛む時もあれば、針をちくちくと刺されるように痛む時もある。一番耐えられないのは、ナイフで刺されるような痛みだ。「やめて!助けて!」と叫び声が出てしまう。真知子は、エビのようにまるくなり、痛みの間隔にあわせて、ピクピク痙攣しながら、痛み止めの麻薬が効き始めるのを待つ。
 
拓也が、学期末テストを終えたら、取りあえず、このアパートに帰ってきて、ここから通学したいと言っていたが、それまでのあいだ、真知子は、本当に孤独だった。拓也は、真知子の身を案じて、毎晩、電話をくれるが、拓也に愚痴をこぼした所で、痛みがよくなるわけでもない。「大丈夫、なんとかやってるわ」と、答えるのが常だった。痛み止めの副作用で、食欲がわかず、5キロも痩せてしまった。鬱々として、精神状態がおかしくなって行く自分を感じていた。