検査結果を聞きに行くのは、本当にイヤなものだ。まるで、死刑宣告を受けに行くような気分だ。ざわつく待合室で、名前を呼ばれるのを待つ長い時間に、強いストレスで、新たな癌が発生しそうな気さえする。

 

 やがて、真知子の名が呼ばれ、診察室の扉を開けた。すでに、心臓が飛び出しそうなほどの動悸だ。先生は、真知子の方を見ずに、パソコンの画面に映し出された検査の映像を見ながら、静かに話し始めた。

「清水さん、今日は、お一人ですか?」

これまで、そんな事を聞かれた事はなかったので、真知子の胸騒ぎは広がり、鼓動は、ますます速くなってきた。

「はい。我が家は母子家庭で、一人息子は、大学生で、一人暮らしをしているものですから」

「そうですか」

と、言うと、医師は、気の毒そうな視線を真知子に向けた。

「実は、あまりよくないお話なんです。まず…」

と、医師は、ゆっくりと、話し始めた。

「初発の乳房、及び、所属リンパへの再発は見られなかったのですが、まず、右肺のこの白い幾つかの点、これは、転移だと思われます。それから、ここ、肝臓のこの部分、1センチ×2センチ程度でしょうか、これも、転移と思われます。それから、訴えられていた右足の痛みなんですが、腰椎の4番に骨転移がみられます。これは、かなり大きいので、この転移巣が、坐骨神経を圧迫しているせいだと思います」

 

 真知子の思考は殆ど停止してしまっていた。

ただ、残酷な医師の言葉だけが、機能していない白い脳に、滲むように、広がって行く。ガンガンとする頭の中で、ただ、

「拓也に、何て言えばいいの?」

そんな、事を思っていた。

 

 しばらくの沈黙のあと、真知子が、口を開いた。

「先生、それは、もう、治らないって事なんでしょうか?」

医師は、言いよどみながら、

「まぁ、そうとも言えますが、なるべく長く癌と共存できる方法を考えていきましょう」

 

肺、肝臓への転移については、化学療法を、骨転移の痛みについては、放射線療法を行う事になった。同時に始める事はできないので、先に放射線療法を始める事が決まった。一通りの話が終わると、医師は、パンフレットのような物を、真知子に渡した。「癌サーポートセンター」と書かれていた。真知子は、院内に、そうしたコーナーがある事は知っていたが、主に、末期癌の人達が利用する所であり、まさか、自分が利用する事になるとは、思っていなかった。

「経済的な事なども含めて、いろいろ相談ができますから、寄ってから、帰って下さい」

医師の言葉に力なくうなづき、真知子は、診察室をあとにした。

 

 検査結果を聞きに行く日の憂鬱は、毎回の事だったが、憂鬱であればあるほど「異常なし」のよい結果を確認したあとの、開放感と喜びは、この上ない。人はほっとすると、無性にお腹がへるものだ。帰路、これまで、真知子は、病院近くのお気に入りのレストランで、ランチを頼み、グラスワインで、一人で乾杯するのが、常だった。だが、今日は、食欲など、どこかに行ってしまった。真知子は、亡霊のように、そのまま「癌サポートセンター」を訪れた。実際の所、医師に言われるまでもなく、経済的な事をなんとかしなくてはならない。

 

「放射線療法、化学療法を受けながら、今の仕事を続けられるものだろうか?けれど、たくわえなど、ほとんどない。これから、治療費もかかるのに、どうすればいいんだろう?」

サポートセンターの担当者は、真知子と同年輩の女性で、とても、親身になって、真知子の話を聞いてくれた。

「そうですね」

「大変ですね」

「おつらいでしょう」

深くうなづきながら、話を聞いてもらえるだけで、真知子は、少しづつ、現実を認めるまでは、行かなくとも、何とか、くずおれずに、その場に立っていられるような気がした。担当者のその女性は、最後に口を開いた。

「あの、抵抗はおありだと思うんですけど…清水さんの状況から考えて、生活保護というのも、視野に入れたらいいと思うんですよ。生活保護を受けられれば、治療に専念できますし、治療費もかかりません。今日の今日ですから、決められないとは、思いますが…落ち着いて、よくお考えになって。もし、必要なら、区役所の福祉課へ、私が一緒に付き添いますから」

「生活保護」思ってもいない言葉だった。

「今日はなんて日なんだろう」

真知子は、めまいを覚えながらも、深々と頭を下げ、サポートセンターをあとにした。