40代半ばというのは、女性にとって、一つの転換期だ。平均寿命から考えて、人生の折り返し地点であると同時に、更年期の入口でもある。子供を持つ女性なら、子育ての最終段階でもある。けれど真知子は、そんな事を意識しては、いなかった。拓也の受験の事で、頭が一杯だった。東大、東工大、早稲田、慶応。それらは、子供の学歴として、母親なら、誰でも望む。でも、たいがいは、手が届かない場所だ。拓也なら、それを狙える。そんな優秀な子を持てる事は、すなわち、真知子の母親としての偏差値がトップに立つ事になる。オセロゲームでいえば、母子家庭としてずっと恵まれなかった、黒だった人生が、白に変わる瞬間だ。けれど、うきうきした意識とは、別の所で、体は、不調を訴え始めていた。規則的だった生理が乱れるようになり、頭痛にも悩まされるようになった。

 

「更年期」

そんな言葉が、真知子の脳裏に浮かぶ。拓也と共に、ひた走ってきたけれど、自分も、もう、そんな年齢なのかと思う。

「でも、まだまだ頑張らなくちゃ。拓也の受験が終わるまでは」

 

 真知子は、近くの婦人科で、健診を受けた。

気になる生理不順について相談したかっただけだったが、ついでに、子宮癌と乳癌の検査も受ける事にした。たとえ出産経験があったとしても、婦人科の内診や、乳房の触診は、恥ずかしいものだ。癌健診の必要性がわかっていても、ついつい先延ばしになってしまっていた。前回の癌健診から、もう、5年も経っていた。けれど、毎回、クリアしてきたし、「癌」などという言葉は、自分とは、関わりのないもののように思えた。

 

 「清水さん、どうぞ」

真知子が椅子に腰掛けるなり、年配の医師は、早口で話し始めた。

「子宮癌健診の結果は、一週間後に出ますから、何もなければ、郵送でお知らせします。問題は乳房の方でね。マンモグラフィーでも、エコーでも、ここに、腫瘍があるんだよね」

医師は、机の上の大きなデスクトップ型P.C.に映し出された画面を、ペンでさし示した。黒い画面に白く映し出された真知子の左乳房には、確かに黒く抜けたような丸が見える。唐突に切り出された話に、真知子の理解力は、ついて行けなかった。急に視野が狭くなったかのように、P.C.の画面も、医師の顔も、小さく見えた。追い打ちをかけるように、早口な医師の言葉が続く。

「腫瘍が悪性かどうか、調べた方がいいからね。このまま、針で、組織をとって、生検に送りましょう」

事態が飲み込めないまま、真知子はつぶやく。

「先生、それは、乳癌って事ですか?」

「うん、可能性があるから、調べるんだよ」

 

ひと昔前、真知子が子供の頃は、癌である事は、患者本人には、知らされない事が多かった。隠し通す事は家族のみならず、担当した医師にとっても、大きな負担だったであろう。けれど、そこには、患者の気持ちを思いやるという、気遣いがあった。現代の医師は、その負担を負わなくていい。「癌は、治る病気だから」そのスローガンを盾に、医師は、回って来た気の重い回覧板を、さっさと、患者へと、放り投げる。しかし、患者にとって、「癌イコール死」を連想させる事に、昔も今も変わりはない。

 

 真知子の思考は、停止してしまった。指示されるまま、上半身裸になって、診察台の上に横になった。左乳房に太い注射針が刺され、バチン、バチン、と音がする。痛みも恥ずかしさも、何も感じなくなっていた。結果は一週間後に、また、聞きに来る事になった。

 

 結果を待つ間の一週間というのは、なんて長いんだろう。心は、日々、振り子のように、大きく振れる。「癌に違いない」と落ち込んだり「いや、ただの良性腫瘍だ」と、希望を持ったり。「癌」か「そうでない」かで、その後の人生は、天と地ほど違う。夫や親族でもいれば、そうしたもやもやした不安を打ち明けて、少しは楽になれるのに。真知子には、誰もいない。それどころか、拓也に気づかれないように、いつも以上に明るく振舞ってみせた。

 

 結果を知らされる日が来た。待合室で、名前が呼ばれるのを待つ。受付の出入りをチェックしていれば、だいたい、順番の見当がつく。順番が近づくにつれて、真知子の心臓の鼓動は、速くなってきた。顔がのぼせて、めまいがしそうだ。

「清水さん」

名前が呼ばれた。診察室の椅子に座りながら、同じように、この椅子に腰かけた一週間前と、今では、時空が変わってしまったような気がした。

 

「結果から、申し上げますとね、悪性でした」

真知子の視野は、また、狭くなる。耳の奥で、カンカン、カンカンという、金を叩くような、小さな音がする。だが、そんな事は、おかまいなく、医師の言葉は、事務的に続く。

「総合病院の紹介状を書きますからね。それを持って、なるべく早いうちに、相談に行って下さい」

 待合室へ戻った真知子は、妙に冷静だった。

時計を見れば、まだ、10時だ。

「このまま、総合病院へ行って、今後の治療の事を聞いてみよう。癌なら癌で、それが事実なら仕方がない。でも、私は、まだ死ねない。拓也のために、まだ死ねない」

 

 総合病院は、予想以上の混み具合だった。受付で、カルテを作ってもらうのに、一時間もかかった。カルテと紹介状を持って「乳腺外科」と書かれた受付の前の長椅子に座って待つ。長椅子には、溢れるほどの人達が座っていた。乳腺外科の前なのだから、みんな乳癌なのだろう。これまで、他人事のように捉えていた「癌患者」。自分が、その中の一人になったのだという自覚がわかなかった。いかにも癌とわかる帽子を被った具合が悪そうな人もいる。真知子は、思わず、目をそむけた。

「清水さん」

診察室の中から、看護師が出てきて、名前を呼んだ。

「はい」

「あっ、清水さん?診察の前にCTを取って下さい」

CT検査室の場所を聞いて、真知子は迷路のような広い病院内を、渡されたファイルを胸に抱きかかえながら移動する。CT検査を終え、乳腺外科の前に戻り、ほどなくすると、やっと、名前が呼ばれた。乳腺外科の担当医師は、若くも年配でもなく、落ち着いた雰囲気の先生だった。

「突然の事で、驚かれたでしょう」

医師は、常識的な思いやりの言葉で切り出した。婦人科の事務的で早口な医師と比べ、真知子は、少し救われる思いがした。

「はい。しこりがある事に気づきませんでしたので」

「腫瘍の大きさは、約1センチです。これ位ですと、まだ、気付かない方は多いです。画像をみる限りでは、リンパ、その他への転移は確認できませんし、血液検査の腫瘍マーカーも、それほど高くはないので、完治へ向けて、手術を検討なさるのがよいと思います」

   

帰路、真知子は、相反する複雑な思いを抱えながら歩いた。一つは「癌だと確定されて、残念な思い」。もう一つは「けれど、まだ早期であり、治る可能性が高いという希望」。

 

帰宅後、真知子は、パソコンの前に座り、憑りつかれたように、検索し続ける。「乳癌」「乳癌手術の方法」「乳癌のステージ」「ステージ別余命」。真知子の場合は、ステージⅠ。

5年後生存率は98%。

「絶対に治る。治してみせる。癌は怖い病気だけど、早期で見つかって運がよかった。今回、検診を受けて、偶然見つかったのも、神様のお導きだろう」

 その時の真知子にとって、神様とは、その程度の存在だった。

「自分にとって都合のいい事は、神様のおかげ。願い事が叶わなければ、神様を恨むか、神様から罰を与えられたような気分になる」

今回の出来事で、真知子は神様に暴言を吐き続けてきた。

「なんで、また、私なんですか?母の死も、夫の死も、乗り越えて、人一倍頑張ってきたのに。たくさんいるほかの誰かじゃなくて、どうして、私が、乳癌なんですか?」

でも、もう、神様と、仲直りしよう。

「神様、どうか、癌が治りますように」

   

 夕食後、真知子は、拓也に切り出した。

「話があるの、実はね…」

真知子は、至極冷静に、話した。98%の人が、完治を望める早期がんなんだという事を、前面に出して、拓也に、よけいな不安を与えないように、気遣った。拓也は、だまって聞いていた。真知子の話が途切れると、

「おれにできる事、何でも、協力するよ」

 

 真知子は、拓也に上手く話ができたと思った。確かに、以前の拓也なら、癌という診断を受けても、前向きで、明るい真知子の姿に安心したかもしれない。けれど、17才の拓也は、もう子供じゃない。母親の顔色に一喜一憂するような時代は、とうに過ぎていた。

  

消灯したアパートの寝室で、二段ベッドの上段では、拓也がスマホを片手に「乳癌」について検索する。下段では、眠れぬ真知子が、寝返りを打つ。共に二人の上に、覆い被さるものは「死の影」だった。人は、誰でも、生まれ落ちたその瞬間から「死」を抱え生きて行く。けれど、同時に「死」は、覆い隠され、あたかも、存在しない出来事のように、生きて行く。けれど「癌」という言葉は、無情にも、覆われたそのベールを払いのける。人はみな、もがきながら、何とか、また、ベールの下に潜り込もうとする。

 

 皮肉なものだ。突きつけられた「死」ほど。人を、真剣に「生」へと、向き合わせるものはない。「死」という暗い影こそが「生」という光を浮き上がらせる。

 

「命って、なんだろう?」

二段ベッドの上下で、真知子と拓也は、同時に思う。ずっと、変わらずに、隣にいてくれると思っていた人どうしを、死は、分かつ。二度と会えない。話す事もできない。それは、つら過ぎる。

「死んだらどうなるんだろう?」

「死」は、無限に続く、漆黒の闇。真知子も拓也も、足元から這い上がってくる闇の中で、全てを見失いそうになる。

「助けて、助けて」

やがて、睡魔に引きずり込まれるように、小さな死を迎える。小さな死は、やがて朝を迎える。光と共に、新しい一日、新しい生が始まる。やがて夕暮れを迎え、必ず漆黒の夜がくる事を承知しながら、人は、光の中で、一日を過ごす。当たり前の一日は、人生そのものの縮小図のようだ。