昨日、横浜市大で開かれた「野澤和弘さんの講演会」へ行ってきました。
テーマは「どんな命も輝いている。障害のある人もない人も暮らしやすい街に」
毎日新聞論説委員である野澤さんは、障害者差別のない社会の実現に向けて、精力的に活動を続けていらっしゃいます。

テンポよく、理論的で、ユーモアや本音も交えたトークで、一時間半の講演は、あっという間でした。

野澤さんには、自閉症の息子さんがいます。野澤さんのお話の中で感じる深い洞察力は、障害というものを肌で感じる日々の積み重ねに、裏打ちされているのだと思います。

お話の中で、共感できる事がたくさんありました。

一つは…
「誰でもが、老いれば、必ず、障害者になるのだから、障害は、他人事ではない」という事。
末期癌の私は、現在、足が不自由となり「障害者」です。けれど「障害者」と呼ばれる事に抵抗はありません。それは、自閉症である息子を授かったおかげです。差別的な意識を持っている事にすら気づかなかった若い母親の私は、息子を育てて行く中で、そうした差別意識から解き放たれて行きました。
「命」というものの価値に、序列をつける事は…
人を、なんて堅苦しく、生きにくくするものかと、教えられました。そうした価値感に縛られている限り「幸せ」は、どんどん遠のいて行くように思います。
「障害者」と共に暮らすという事は、「健常者」にとって「我慢する事」「譲る事」が多いのは、事実です。でも、その事を通して、学ぶ事は、たくさんあります。
そして「いつの日か、自分も障害者になる日が来るのだ」という意識を、心の片隅に持つ事は、とても大切な事だと思います。

共感した二つめは…
野澤さんは、私と同年輩の50代後半です。
「障害のある息子の未来は、次世代に託す」と、仰っていました。
私は末期癌ですから、そのお気持ちが、痛いほどわかります。
母親というものは「無償の愛」が、子育ての出発点であっても、だんだん「邪心」が入り込んできます。子供をマスコットのように意のままにしようとしたり…子供の手柄は母の手柄、反対に都合が悪くなれば逃げる…子離れしなくてはいけない時期なのに、つきまとったり、自分の方を向かせようとしたり…
「健常児」の場合は、そんな母親から、自ら離れて行きます。でも「障害児」の場合は、親子が共に自立できなくても、許されてしまう傾向にあります。けれど、親は、先に逝きます。社会に託して行くしかないのです。
野澤さんは、そこの所まで踏み込んで、御自身の使命として、息子さん個人だけでなく、すべての障害者が、暮らしやすい社会の実現に奔走されていらっしゃるのだと思います。

さて…
私も、余命が限られていようが…
できる事が、ほとんどないような体力ではあっても…
まだまだ、自分ができる事を模索しながら、頑張って行こうと思います。

小さな、このブログの中で…
これからも、発信して行きたい。
「自閉症の事」「末期癌の事」
野澤さんのように、立派な事は発信できないから…
一人の母として、女性として…
日々の暮らしの中で感じる事を、これからも、書いて行こうと思います。


皆様…
どうぞ、よろしくお願いいたします。

m(_ _)m








裕子