ある晴れた日の午後の事、
綿雲の親子が、こんな話をしていました。


「ねぇ、お母さん、
どうして、ぼくは、人間と遊べないの?」

「坊や、私達が降りて行ったら、
人間は、びっくりして、逃げて行ってしまうよ。
そしたら、誰と遊ぶの?
遊ぶ人なんて、いなくなってしまうよ。
それに、もし、降りる所を間違えたら、あの大きな海に落ちてしまう。
そしたら、私達は、溶けて、塩からい海の水になってしまう。
坊やは、それでもいいの?」

「うん、ぼく、海の水になってもいいよ。
海の水になったら、
海に住んでる魚達と遊ぶ事ができるもの」

「でも、坊や、海の水になったら、
一生、暗い海の中を見つめているばかりで、
もう、人間の姿を見る事はできないよ」

「それもそうだね、お母さん。
でも、どうして、ぼくは、人間に生まれなかったんだろう。
ぼくは人間の子になりたいな」

「坊や、そんな事を言っても仕方ない。
人間になる事はできないの。
でもね、
人間は、百年も二百年も、生きられないし、
もしも、人間になったとしたら、
この広い世界を、一目で見渡す事が、できなくなってしまうよ。
坊やは、雲の坊やでいるのが嫌なのかい?
私達、綿雲は、
人間に、きれいだなぁって、楽しんでもらう事ができるでしょう。
それに、
雨雲さんは、ものすごい雨を降らせて、
人間を、驚かせる事もできるし、
雪を降らせて、
人間の子を喜ばせる事もできるんだよ。
坊やは、それでも、雲でいるのが嫌かい?」

「うぅん、お母さん、
ぼく、やっぱり、雲の坊やでいるのが、一番いいや」

坊やは、大きく、うなづいてみせました。

でも、それを見ていた人間には、小さな雲が、風にふかれて動いたようにしか、見えませんでした。



これは…
私が、小学校5年の時に書いた「お話」

昨日のブログでふれた「親友」が、
気に入って、とって置いてくれたの…

書いた本人が、よく覚えていないんだケド…(笑)
ありがたいです。


「書く」という事は…
読んでくれる人がいて、広がって行く。

「書く」という事は…
残って行く。


やっぱり、私は、書く事が好き。

書く事で…
本当の自分の気持ちに気づく。

書く事で…
自分気持ちを整理して、前へ進める。


人生の残り時間が、
あとどれ位あるのか、わからないけど…

最期まで…
正直に、書き続けて行きたいナ







裕子