本が好きだ。

新刊のインクの匂いも好きだし、古い本のかび臭くて、変色したページも哀愁漂う。

素敵な本は、本屋の目立つ場所に、誇らしげに並んでいる本の中にも、もちろんあるが、図書館の片隅に、忘れ去られたような、悲しげなたたずまいの本の中にもある。

一冊の本に心突き動かされた時、私は本を閉じながら、こうべをたれる。感謝の思いと共に…著者とは面識もないのに、時空を超えて、「心と心がつながった」そんな思いに満たされる。


「ぶどう社」は、神田にある小さな出版社だ。40年以上も前から「障害」というものをテーマに、筋の通った本作りを続けている。

昨年亡くなった先代社長の市毛研一郎さんは「ひとつの事をいろいろな言葉で語りたい」と仰っていた。

「ひとつの事」とは「障害というものを通して見えてくる人間の本質、真実」という意味だろう。


私が初めて「ぶどう社」を知ったのは24年前、長男の自閉症がわかった時だ。当時まだ、自閉症の本は本当に少なかった。今のようにネットもない。すがるような思いで「ぶどう社」の本をくり返し読んだ。親子心中を思うような、弱く未熟な若い母親の私に「ぶどう社」は進むべき道を示してくれた。


人生の終わりに「ぶどう社」は、また、私に進むべき道を示してくれた。本作りの参加によって…

ちょうど一年前、断捨離の最中に手にした長男の療育記録を「ぶどう社」へ送った。原稿用紙400枚近くあるその原稿を読んでくれたⅠさんは「200ページ以内の本」という条件で「本にしましょう」と言ってくれた。原稿を半分以下に煮詰め、また新たに200ページほど書き足し、またそれを半分以下に煮詰めていった。

一ケ月に一回はⅠさんと打ち合わせをしたが、ニコニコと私の話を聞いてくれているのは、その中に書き進めるヒントがないか探しているだけなんだと、すぐに気づいた。帰る間際にⅠさんのニコニコ顔は急に真顔の編集者の顔になり

「じゃ、その話原稿にして送ってくださいね」

「文章がうまいから…」と出版をOKしてくれたものの、褒めてくれたのは最初だけで…Ⅰさんの口癖は「ここ、いらない!」あげく「綺麗な文章にこだわらなくていいから、わかりやすく書いて!」

打ち合わせを始めてまもない頃、Ⅰさんに聞いた。

「なんで、この仕事を続けているんですか?」

「本って残って行くじゃないですか…だからいい本を作りたいんです」

行き詰った時は、そっと寄り添うように一緒に考えてくれる。さりげなく体調を気遣ってくれる。訳のわからない私の質問にもきちんと答えてくれる。プライベートを知れば、やんちゃなカワイイ人なのだろうと察しがついたが、本作りという霧の中にいる私にとって、Ⅰさんはいつでも、頼りになる水先案内人だった。


今年3月、本が出版の運びとなりⅠさんに聞いた。

「南裕子は、いったい何を伝えたかったんでしょうね?」

「本はもう、一人歩きを始めて…それは、読んでくれた人、一人ひとりが決めてくれるんだと思います」


先日、借りたい本があり「図書館の蔵書検索」をした。ふと思いつき、自分の本を検索してみた。

「驚いた」

国立国会図書館、国立特別支援総合研究所をはじめ、全国約7割の各県に私の本の蔵書があった。都内だけで12箇所、その殆どが貸し出し中、予約待ち5件なんていうのもある。図書館以上に、お金を払って、私の本を購入して下さったたくさんの人達…

…泣けてきた…

心から「ありがとうございます」

3人の子供達同様、「本」も私の手元から離れ、歩き始めていたんだね。


市井の片隅で名もなく必死で生きてきた。私の中の真実は自閉症の息子を含む子供達を不器用に愛し続けてきた。それだけだ。

そう遠くない未来に、私はこの世での役割を終える。

そう悩む事なんかない…「生」と「死」の最後の一秒の境を越える瞬間まで、人は誰でも生きているのだから…

ただ…20代30代の若さで、「長い闘病のはて逝く」母の姿を見つめ続ける子供達の気持ちを思うと…言葉がみつからない。

でもきっと、子供達の中に…そして本を読んで下さった見ず知らずの人達の中に…私の「想い」は繋がっているはず…そう信じたい。


研一郎先生…お盆でこちらの世界に帰ってきていらっしゃるんでしょう。

「私は、ちゃんと、ぶどう社の語り手の一人になれましたか?」

        


<神奈川新聞に書評を載せて頂きました>