今日は、自閉症の息子と教会へ…
クリスチャンには「だめクリ」と「まじクリ」があるそうだが…
当然私は「だめクリ」(体調悪く…サボりが多い)
その上、何かにつけ、私達親子は浮いている…
ありがた~い神父様のお話が佳境に入った時…
息子は大あくび…
私は (@_@) (+_+) (*_*) (これは、痛みどめからくる眠気ですネ!)
しか~し
こういう事言うと…みんなサーッと、ひいて行くから…公言した事はないんだケド…
「私は心の中に確かな信仰を持っている」
「どんな試練の中にいる時でも…神様に愛されていると感じている」
だから…
これまでの人生の中で何度もあった誘惑…
自殺・離婚・嫉妬・高慢・嘘(後半三つはチョイチョイあるがナ~)を、なんとか回避できている。
人生の中で、宗教の果たす一番大きな役割は…
「死」を前にした人の恐怖…大切な人と死別した人の苦しみ…それをやわらげる事だと思う。
「死」と向き合う時…
人は仮面をぬぎすてる。本当の自分が現れる。
これまで自分の「死」というものを、とても近く体感したでき事が3回ある。
「2回の手術で、手術室へと向かう途中」
「潰瘍性大腸炎の治療中、肺塞栓の危機に見舞われた時」
その時、価値観は反転する。
何より比重をおいてきた「金銭」「様々な物」などは、突然、くすんで見える。
積み重ねてきた様々な思い出が、走馬灯のように輝く。
「死ねって事は、生まれてきたからサ~」
「とにかく、この世に生まれてくる事ができて、よかったじゃないか…」
「死」と向き合うという事は…
自分の人生を再確認する事
茶化したり…誰かのせいにしている場合じゃない。
「命」の大切さばかり、いくら叫んだって、片手おちだ。
「死」というものが、どれほど荘厳なものかという事を、一度、よく考えてみる価値はある。
ちょうど、お盆で…ご先祖様の霊も戻ってくる事だし…