今日は、勉強会でした。
ヤコブからのお話でした。
神様の来臨についてと、
ヨブ記を少し読みました。
ヤコブ5:7-10
7 兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。
8 あなたがたも忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからです。
9 兄弟たち、裁きを受けないようにするためには、互いに不平を言わぬことです。裁く方が戸口に立っておられます。
10 兄弟たち、主の名によって語った預言者たちを、辛抱と忍耐の模範としなさい。
8 あなたがたも忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからです。
9 兄弟たち、裁きを受けないようにするためには、互いに不平を言わぬことです。裁く方が戸口に立っておられます。
10 兄弟たち、主の名によって語った預言者たちを、辛抱と忍耐の模範としなさい。
秋の雨と、春の雨について語られます。
秋の雨は、種が出る為に必要な雨で、
春の雨は、熟する為に必要な雨です。
この2つの雨の間に、私達人間はいます。
春の雨は、完成、来臨の意味です。
来臨の時に、神様はあきらかになられます。
私達の前にあらわれます。
今は隠れておられます。
隠れているのは、みんなを自由にさせて選ぶ権利を与えているからです。
もし、今、神様がでてきてしまうと、
みんな、畏れおおくて従うしかなくなります。
選ぶ自由がないです。
だから、
隠れてみんなを、
自由にさせてあげて、
選ばせてくれているのです。
そのように、愛してくれています。
私達はその中で、
神様を選ぶか、選ばないか、の責任が与えられています。
でも、
神様は皆を救いたい、だからイエスになり、
皆が救いを選べるように、
イエスとなり愛してくださっています。
私達が何を選ぶか、です。
ここで、キルケゴールの例え話が紹介されました。
とある王様が、
なんでもないとある農夫の女性を好きになりました。
結婚のプロポーズをしようとしました。
でも、もし、王様である身分をあらわして、
プロポーズしても、
財産、宝石、いい暮らし、いい身分、いい服、化粧品…
それらに目がくらんで、その女性に選ばれてしまうかもしれません。
それに、王様としての身分がある為に、
断ることができないで、引き受けるしかなくなってしまうかもしれません。
それは、愛がないです。
そこで王様は、プロポーズをする時に、
身分を捨てて、
身分を隠して、
なにも持たず、彼女と同じ、
なんでもない人になり、
農夫の女性の前にあらわれて、
プロポーズをしました。
この話は、ここで終わっています。
先はないです。
農夫の女性がプロポーズを断わったか、受けたかは、わかりません…
神様についても、その話と同じことです。
王である神様は、私達を真に愛する為に、
身分を捨て、身分を隠して、普通の人として、
イエスとなり
私達にプロポーズをしています。
そのプロポーズを私達はどう選択するか、です。
洗礼を受けることは、
神様、イエスとの結婚とも言われています。
神様の愛に応えること、
プロポーズにどう応えるか、です。
次に
ヤコブ5:11を読みました。
11 忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。
ヤコブは忍耐について話しています。
ヨブ記もここで、読みました。
ヨブ記は、
神に従う正しい人ヨブが、
サタンに様々な誘惑、試練を与えられ
試されるお話です。
ヨブ記は、
なぜ善い人なのに試練が与えられて、
苦しんでいる人がいるのか、
という問題について扱っています。
ヨブに与えられた、様々な災いは、
ヨブにとってのテストでした。
ヘブライ語では、サタンは、
妨げ、邪魔する、の意味です。
でもヨブは災いの中でも、
神様に忍耐して信頼します。
ヨブ記1:20-22
20 ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。
21 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」
22 このような時にも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった。
21 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」
22 このような時にも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった。
なぜ、このような目にあうのか、
わからないけど、ヨブは神様に信頼しました。
忍耐と祈りが、大事です。
ここで、神父様が、
ドイツのアウシュビッツの人の祈りを紹介されました。
太陽が輝いていない時でも
太陽が輝いていることを信じています。
今日の勉強の内容のメモのまとめです。
今日は、
キルケゴールの例え話が、
とても印象的でした。
イエスにプロポーズされている、と思うと、
嬉しくなりました。
あと、日々、なにを選択するか、ということを
問われているように思いました。
毎日の中で、地上的なものでなく、
神様的、天国的なことを、
選択できているだろうか、と
自らをかえりみる時間にもなりました。
その積み重ねが、救いの実りへと繋がっていくのだと思います。
日々の中で、
天国という、小さな救いを選びとれるように
なりたいです。