新型コロナ感染症が日本国内、特に東京都内でも蔓延し、様々な人々の生活に影響を与えています。

営業自粛を要請されると思われる業種の方々は非常にご苦労をされていることと思います。

 

 東京オリンピックも延期となり、たくさんのスポーツの試合やイベントが中止、延期となっています。人々の集まる施設は閉鎖され、外出もできず、人々の生活に閉塞感を感じるようになってきました。

 

 僕の方では病院はそれほど影響があるわけではないですが、現在も新型コロナ感染症を実際に利用されている先生方は心身ともにお疲れのことと思います。心より敬意を表します

 

 開業物件に関しては東京オリンピックや働き方改革により今までの建築計画とは違い、ずいぶんかかるなぁ~という印象でしたが、この感染騒ぎで少し遅らせた方jがいいのかな?と思い始めてきました。

 

 開業準備はこのまま着々を進めて、いつ開業になってもいいようにしていきます。、

最初の事はオリンピックが終わった9月~10月ごろに開業したいなと思っていましたが、

今は10月~来年1月ぐらいまでの間での開業を考えています。

 

 一体いつになったらこの新型コロナ感染症騒ぎが収まるか分かりませんが、世界の人々一人一人が感染症対策を行っていけば、必ず収まることと思います。

 

 検査キット治療薬、ワクチンなど今も研究開発されており、新型コロナウィルスと戦う準備も着々と進んでいると思います。

 

 日本の緊急事態宣言は遅すぎる、罰則規定がないなどと世界から批判されてもいるようですが、日本の医療体制や国民性を考えれば、日本が世界に先駆けてこの感染症を鎮圧することができるのでは?と思っています。

 心からこの新型コロナ感染症が収まることを願っています。

 

 日本国民とは言いませんが、自分の周囲の人々と力を合わせて、頑張っていきましょう!

 世界的に新型コロナウィルス感染症が猛威を振るい、感染症患者、感染による死亡者が増え続けています。

 いつこのパンデミックが終息するのか先行き不透明な日々で、不安な日々を送られていると思います!

 

 全世界の英知を集め、人類全体が結集してこの感染症に立ち向かわなければならない事態となりました。

 オリンピックは1年延期が決定し、様々なイベントが自粛され、人々の生活にも暗い影を落としています。

 

 新しいクリニックはこれから建つ事になっているのですが、オリンピック需要や働き方改革により今までよりも完成までの期間が大分かかるようで、コンサルタントもビックリしていました。

 さらにこのコロナ感染症の蔓延で、トイレがないとか色々と障害が出てきました、その前はエレベーターが無いと設計会社に言われていました(笑)!

 

 現在はクリニックにj搬入する機器や物品などを検討しながら、クリニックの内装や構造を打ち合わせしています。ハード面も大事ですが、もちろんソフト面、一緒に働くスタッフも大事ですので、募集要項などや面接内容などについても検討しています。

 

 どんな人と働きたいかということは以前にブログにも書きましたが、どんなチームにしていきたいか、どんな医療をしていきたいか、などはいくら考えてもなかなかまとまりません!

 

  実際に働くスタッフと一緒に考えた方がいいのでしょうが、まだスタッフ募集もしていませんし、何よりまだ開業時期もはっきりと決めていません。

 やはりこのコロナ感染症騒ぎが落ち着かないと、なかなかい決まらないかも知れません。

 

 僕は今年の9月を目標に開業準備をしてきましたが、この時期に開業をする予定の先生方の

心中は察して余るほどで、本当に困っておられることと思います。

 先行きが不透明なだけに、どうしたらいいのか?この時期の開業をするのか?先に延ばした方がいいのか?悩んでおられるj事と思います。

 

 ハワイで医師をしている同級生からも、ハワイは外出禁止令が発動され、街はゴーストタウンのようだと聞いています。

 またNYの医師は遺書を書いてから職場に向かっているとの記事も送られてきました。

 

 この新型コロナ感染症が一刻も早く収まることを願っています。

また、こういった時期にはデマまがいの情報も溢れ、どれが本当でどれがデマなのか分からなくなることもあると思います。

 

 こういった時こそ、冷静に落ち着いて行動することが大事だと思います。

政府の会見や報道に耳を傾け、どんな状況にも対応できるようにし、パニックにならないよう

日本人全員が力を合わせて乗り越えていきましょう!!

 

 

 今は高島平に勤務して2年になしますが、その前は阿佐ヶ谷の河北総合病院という病院に10年ぐらい務めていました。

 阿佐ヶ谷は中央線で新宿からも近く、また病院も駅から歩いて5分程度と通勤には便利でした。

 

 阿佐ヶ谷は中野から西荻窪までは街の混み合いというか風情が似ている気がします。

吉祥寺まで行くと、少し街に余裕があってゆったりとした雰囲気になる感じがします。

 

 阿佐ヶ谷は長かったせいもあり、街を探索したり、整形外科の先生方と飲みに行ったりと

街を歩くことが多かったように思います、。

 通勤も電車だったり自転車だったりと家からも意外と近いこともあって、遅くなってもあまり気にせずに帰れるというのがあったのかも知れません、

 

 阿佐ヶ谷には色々と有名なお店があるのですが、鮨屋の『なんば』、焼肉の『サトーブリアン』、餃子の『猪八戒』辺りは結構知られているのではないでしょうか?

 

 その中でも『なんば』は荻窪にあった時から知っているお店で、現在は店主の難波さんは日比谷の方に移られましたが、現在の阿佐ヶ谷の店主の高岡さんは河北時代の患者さんだった縁もあり、たまに顔を出させて頂いています!

 

 『サトーブリアン』も以前は貸し切りで新年会や納涼会をしていましたが、予約が非常に取りにくくなってしまったために、現在は行っていません。現在は中杉通り北側に三号店ができたようなので、少しは予約が取りやすくなったのでしょうか?

 

 僕は焼き肉よりも焼き鳥の方が好きなので、阿佐ヶ谷だと『バードランド』、『すぎもと』、『鳥平』、『酉の』などに行きました。

(残念ながら今は『酉の』と『鳥平』は閉めてしまったようです。(『酉の』は荻窪にはあります。)

 

 他にもイタリアンの『Lupi32』『チキンレッグ』、餃子の『Washin』

鮨の『じゅうぞう』などにも行きました。

 

 病院の近くにハヤシライスのすごく美味しい店があったのですが、現在は閉めてしまっていて、閉店を知っていれば最後にもう一回行きたかっただけに残念です。

お昼御飯に結構食べに行っていました。

 

 阿佐ヶ谷だけでなく神楽坂や新宿~吉祥寺など、今思えば河北の整形外科の先生方とはいろんな所に出かけました。

 高島平は車通勤なのと店が近くにあまりないので、歓迎会、納涼会、忘年会、新年会以外には、ほとんど行くことはありません。

 

  そういった意味では、僕にとっては阿佐ヶ谷は食の街という印象が強く残っています。

 整形外科医は専門医になるための試験を卒後7年で受けます。

試験に合格すると整形外科専門医となります。

 ちょうど河北にいる時にその試験があり、合格することができました。

 

 河北にいらした先生でよく患者さんをご紹介してくださる先生がいました、

F先生とお呼びします。

 

 F先生は股関節が専門の先生で、そのため股関節の患者さんを紹介して下さいました。

最初は僕よりも前に河北にいた先生が股関節の手術をしていたのですが、その先生が病院を退職することになりました。

 F先生からの股関節の患者さんがその後僕のところに来るようになり、いつの間にか僕は

股関節を専門とするようになりました。その後、股関節専門医として今までやってきました。

 

 杉並区の人々はとても礼儀正しく、人情に厚い方が多く、僕は大好きです

武蔵野赤十字病院でもそうでしたが、中央線沿線の患者さんはとてもいい患者さんが多いと思います。というわけで、長く中央線沿線の物件を探していました。

 

 診察では今まで以上に笑顔で患者さんの話をよく聞き患者さんの不安を取り除くよう心掛けました。

 

  話をよく聞くことにより、的確な診察、検査をし、正確な診断をつけることを大切にしました。

 

 また日々新しい知識を取り入れるための勉強をし、手術に関してもどうすればより時間を短く、合併症が少なく、正確な手術ができるか、他院への手術見学にも行くようにしました。

 

  整形外科は痛みを訴える患者さんがたくさんいらっしゃいますので、なるべく痛みが少なく痛みを取り除く患者さんへの負担をできるだけ軽くすることを考えながら、今でも診療を行うようにしています。

 

 現在は2年前から高島平中央総合病院にいますが、病院は変わっても心掛けていることは変わりません。

 

 患者さんから、『今日も病院に来て、元気をもらえた!』 と言って頂ける整形外科医になれるよう、今後も日々努力をしていきます!