昨日のブログを読み返していました。
私、あの時、うゎあーん、と本気泣き始めたんですけど、はっ、これ書く!と、記録し始めたんです。
そんでその後寝た。
朝は目覚めの良い朝でした。
ということは、ですよ、
この気持ちを自分で吐き出して、そんな風に思ってたんだ、と共感した形になって、スッキリしたということなんですね。
我慢しながらゲームを続けるのはやめようと思います。
これ、夫にしていたことと、おんなじです。
息子、ゲームやりたい
→
1人でできない というか、1人ではしたくない
→
私が我慢してつきあう
夫、趣味やりたい
→
他の人とじゃなくて、私とやりたい
→
まったく、それには興味がないのに、つきあう
なぜなら、息子、や夫 が、私がやらないと悲しむから。
でも、やめます。
息子には、別の提案をしてみようと思います。
一緒に遊びたいなら、私が一緒にやりたいもので。
合わせるんじゃなくて、話し合う。すり合わせる。
夫の趣味のは、もう、夫から、やめようと言ってくれました。
関係が悪くなった?ため、私とは離れてやりたかったようです。でも、おかげで、他の人とできました。私はやりたくなかったので、これも私の望み通りです。
ここにきて、夫との関係も、全て私の望み通りだったのではと思うことがあります。
距離を置いた関係
世間一般の常識では考えられないかもしれないけど、それが居心地がいいのです。
息子は、今は小さいですからお世話します。でも、18歳とか自分の世界を持って、距離を持ちたいです。
あなたはわたし
わたしはあなた
どれくらい、素直に正直に生活できているんでしょうか?
先日、私の好きな監督のソフィアコッポラさんの写真展に行ってきました。偶然見つけた情報で、お昼過ぎていましたが、これは行こう!と。
2月から新しい映画が始まるようで、その写真や今までの撮影風景などでした。
私、好きだなーやっぱり。
この、雰囲気。
と、感じていて、ニュースレターを見ていると、
なんと、2010年ごろからの作品、全然知らなかった!
私を置いてきてるんです。
好きなものも変わるんですもちろん。
でも、変わらないものもあるんですね。
だから、まだみてない映画があと2本も観れるなんて、嬉しいなーと思う今日この頃でした。
そして、その日のお風呂の時間、
息子とやってるゲームなのですが、
(お風呂が暇すぎて、私がてきとうにはじめた)
1人が一文作って、そこにありったけの質問をしていく。
という、ゲーム。
息子は、
僕はぬいぐるみとお散歩していましたが、ぬいぐるみが歩かなくなってしまいました。
こんな一文だとしたら、、
僕はどこに行こうとしていたの?
ぬいぐるみは、どの子?
どうして歩かなくなったのかな?
その後歩いた?
目的地には着けた?
とか。 まあ、そんな風に。
結構、楽しいんです。
正解ないしね。
それで、私も一文作ることになって、想像力のない私は、今日のことを文にしました。
私は今日写真展に行きました、とても感動しました。
それで、質問をしていくうちに、
息子 どうして今までの映画を見なかったのですか?
好きだったら見ればよかったじゃん。どうしてー?
...。
その通りでござんす。
私の返答。
そうなんだー、でも、その時は、観たいというアンテナがたってなくてさ。
と、答えました。
その時はその時で最善なのです。
面白いな〜と思いました。
雪の日、朝早くから、雪かきをして、私たちが通れるように、歩道を作ってくれる皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。
おかげで、進めましたもの。
お迎えまでもあともう少し。
ゆったり過ごします。