ワンコが亡くなったブログを書いた。
本当はそこで終わりたかったけれど、モヤモヤした罪悪感があるので、残そうと思う。
以前、このブログのモラ男との回想録の中で、私が手術をすることになったことを書いたと思う。
遡るのは大変なので、読み返さなくて大丈夫です
いや、もう過去内容は本当にもういいというか
そう、私はモラ男と別れるということと、手術ということが重なった。
当時は悪性で寿命が残りわずかだと真剣に考えた。
それなのに、その後生きながらえてます
そう、身体的にも精神的にもボロボロだった私は、愛犬を一度手放した。
本当に断腸の思いだった。
その当時の私の気持ちは、私がこの先長くないかもしれないということ。
もう一つは1人になって多くの保護猫と当直勤務のある生活を維持できないかもしれない。
なので保護猫の譲渡もボランティアさんを通じて、ピッチを上げた。
ちょうど当時、以前モラ男と暮らしていた戸建ての近所に、年配のご夫妻がいらして、ワンちゃんを亡くして半年経過していた。
その地域の猫を保護したりした関係で、親しくお付き合いさせてもらっていた。
私のワンコはそのご夫妻にとても懐いていたので、この方達なら、私よりずっと幸せでいられるかもと思った。
勇気を出して、今の自分の窮状を伝え、ワンコをお願いしてみた。
ご夫妻で相談してみるとおっしゃってくれたけれど、すぐに快諾された。
そしてワンコはその家にお願いしたのに。
私はその晩から眠れなくなった。
ワンコを思い涙が止まらない。
なんて自分勝手な私なの。
どう考えてもワンコにとってはいつも家にいてくれるご夫妻の方がいいはず。
なのに、私はワンコの喪失があまりにも大きく、結局10日ほどで、泣きながらご夫妻にお願いして返してもらった。
一度手放したワンコは不信そうに私を見る。
ワンコの気持ちとしては、せっかく宝くじに当たったようにいいところに行ったのに、ちぇっだったのかもしれない。
だからその時にそのご夫妻の奥様が「戻りたくなさそうだった。」と言われてしまった言葉はすごく痛かった。
でも喪失が本当に大きかったので、とにかくどんなことがあっても、とことん大事にして守ろうと思った。
元々保健所にいたワンコをボランティアさんが引き出し、そのワンコを私達が譲り受けた形だった。
ワンコの生涯の中で飼い主に2度捨てられる経験となった。
最初はすごく人間不信のワンコだったので、私の信用は失ったと感じた。
でもまたすぐに元通りのワンコと私に戻り、私は失った大きさを思い知ったので、以降はすべてにおいてさらに最優先し、生活した。
でも一度手放そうとした後悔や罪悪感は、ずっと今でも心に残り続けている。
今回そのご夫妻の奥様にお手紙で訃報を知らせたら、返信が来た。
内容は「私が迎えに来た時に隠れてしまったワンコさんを思い切り抱きしめたら良かったと」とあった。
正直、ワンコを失った悲しみにプラスして悲しみを増した。
ワンコにしか本心はわからないし、最期が私の手の中だった事実は事実だけど。
優しいご夫妻の奥様だけど、その優しい奥様の手紙に深く傷つく。
あなたが迎えに来た時に隠れたのよ…
ワンコを失って大きな哀しみを抱えている私に、その一言っている…?
優しい人だと信じている。
悪意で言ってるのではないと信じている。
でも傷心の心をさらにヒリヒリさせてしまうということが、わからないだけなんだ。
結局、答えはわからないし、もう戻れない。
最後まで私はワンコを愛し続けた。
そして私の手の中で逝った。
それが良かったか悪かったかの判定はしなくていい。
その事実だけ。
私のワンコへの依存後が高く、別れることができず、私は私のできる形でワンコを守り、愛した。
なのにその手紙を読んでモヤモヤした罪悪感が消えない。
永遠に失うって、尽きない後悔とも付き合うことなんだ。