朝陽・延昌寺の北塔と南塔遼寧省西部に位置する朝陽市は遼の時代、中京道の県庁所在地の一つで、興中府と呼ばれており、さらに歴史を遡ると342年から燕国の都だったこともあるという。延昌寺は非常に古い歴史を有していて、5世紀に一人の僧がインドから経典をこの寺に持ち帰ったという言い伝えが残っている。これは、玄奘三蔵の求法の旅よりさらに200年ほども前のことである。この寺の北塔は、北魏、隋、唐時代を通じて、数回修復され、1044年、仏教に深く帰依した遼の興宗の手によって大改造され、今日の姿になったものであるという。(遼・金王朝 千年の時をこえて-阿南・ヴァージニア・史代-より抜粋) まず、この延昌寺の北塔から。 朝陽の街から見た北塔北塔の12層部分の密室(天宮)と基礎部分の地下の密室(地下宮)から貴重な宝物群が発見されたという。この都市が契丹の歴史において重要な仏教施設だったことがわかる。続いて南塔。 延昌寺の境内の様子。
遼寧省の古城「興城」5月の連休に遼寧省の西北部を訪れた。その中で古城「興城」は、中国の城壁が良く残っている四大古城の一つ。西安古城(陝西)、荊州古城(湖北)、平遥古城(山西)とこの興城だ。 興城は明清代には「寧遠州城」とよばれた。明代、寧遠は遼東都指揮使司に属する「寧遠衛」であり、 山海関の外郭で辺境を守る重要な城であった。 1626年、明軍は攻め寄せてきた後金のヌルハチの軍を破り(寧遠城の戦い)、ヌルハチはこの時に紅夷砲の砲撃を受けた傷がもとで盛京に戻って間もなく死亡した。 風雨や戦争を経験したため外城は現存しないが、内城は修繕されて現在も使用されている。内城はほぼ正方形。城は四つの門があり各門は半円形の甕城で守られ上に二層の楼閣がある。城郭の四隅には砲台が置かれ、城内には十字型に大通りが走る。十字路の中央には三層の鼓楼がある。 興城古城の中央にある鼓楼。
春の長崎3月の連休に長崎に行ってきた。長崎は3度目だったが、メンバーに初めての人もいたので名所巡りをした。3月22日だったが、ちょうど桜が咲いていた。まずは大浦天主堂。ここの女神像は何十年前に高校の修学旅行で見たときと同じ表情で懐かしく感動的だった。続いてグラバー邸。桜が満開だった。<ここは元イギリス領事館だったろうか。オランダ坂などを巡り、楽しかった。
今年の桜桜も今が盛り。去年と同じ公園で桜を撮ってみた。何年か前までは花見酒を楽しんだものだが、最近はもっぱら眺めるだけ。3月の連休には長崎、平戸に行き、そこにはもう桜が咲いていた。その写真は次回にアップするつもり。
二紀展受賞作家新作展 知り合いの画家・浜村博司さんの個展や所属する二紀会の展示会を ときどき紹介してますが、今回は第63回二紀展受賞作家新作展の紹介です。 1月27日から2月2日まで銀座松坂屋の別館4階美術画廊での開催です。 浜村さんは長崎原爆をライフワークにしている画家ですが このライフワークについては以前の記事「ある画家」 を 見てください。 この絵は63回二紀展の出品作です。 ついでになりますが昨日、冬の青空がキレイだったので 一緒に載せてみます。