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銭 ―
戦で疲弊した京の庶民に、
藤吉郎たちが織田軍のイメージを
上げるため
銭を与える場面がありました。
当時、京にどれだけの庶民がいたかはわかりません。
室町時代、
長禄・寛正の飢饉(1459~1461年)が
起こります。
この飢饉は悲惨なもので「82000人の
死者が出た」(
『碧山日録』)と書いています。
一次史料ですので、まず信用できますが、
その半分の4万人として計算してみます。
天正十(1582)年頃の物価のサイトが
ありましたので、これを参考にします。
京都の米1石・・・500文(永禄~天正
年間:
『戦国の貴族』より)。
昔、1人が1日食べる米・・・5合として、
1日分・・・・・0.5文
4万人分・・・・2万文=20貫文
戦国時代、流通した宋銭(
永楽通宝)の
1枚の重さ・・・3~4gぐらい
つまり、藤吉郎たちは、美濃国~京まで、
2万枚(6~8万g=60~80kg)の
銭を運び、配ったことになります。
ドラマでは、数名で「
もろうてくだされ、
もろうてくだされ」と言ってますが、
この枚数と重さ、どうだったでしょうかねえ。
ちなみに、戦国大名の後北条氏は
5貫文当たり
1人の軍役を出す規則がありました。
20貫文なら、![]()
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4人の兵を出すことになりますね。
また、![]()
鉄砲が2艇買える値段だそうです。
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春になりました。
古代桜草が出てきました。

