長男の病気発覚時、次男は9ヶ月だった。

面会には当然連れて行けないし、主人は日中仕事で不在だ。

私は専業主婦で、保育園にも通わせていなかった。


長男の病気という現実を受け止められないまま、面会時間の前に役所へ行って次男の預け先を探すことや、医療費助成制度の申請など事務的な手続きを数多くこなさなければならなかった。


この時期は、長男の治療も移植になるのか、化学療法だけなのか、これからどうなるのか見通しも立っていないし、その中で次男の保育園は認可も無認可もどこを探しても一向に見つからず、こんな緊急事態に手を差し伸べてくれる保育園がひとつもないなんて、と夫婦揃って市役所の人に談判しながら涙してしまったこともあった。

車で1時間ほどの場所に私の実家があるが、父が身体を壊し、母が父と高齢の義母の2人をW介護していたので孫の面倒を頼める状況ではなかった。


そんな中で唯一の救いだったのは、長男の病気発覚の数日前に、それまで海外にいた義母が一時帰国していたことだった。

次男の面倒はひとまず義母が引き受けてくれることになった。



そんなバタバタの中、1クール目が終わり、外泊は挟まずに即2クール目の抗がん剤が始まった。



骨髄抑制の期間を経て立ち上がってきた血球の数値を見て、主治医がすごく嬉しそうに報告しにきた。

「血小板がぐんと上がっています。骨髄状態が良い証拠です。もしかしたら寛解に入れたかもしれません。」


血小板の数値がそこまで大事なのかと、このとき初めて知った。
それ以降は常に血小板の数値に振り回されることに、、、


何はともあれ、1クール目よりも効いたらしいと知って、すごく嬉しかった。



ここでようやく外泊が許可されて、緊急入院から約1ヶ月半ぶりに自宅に帰ることができた。


2クール目と同時進行で骨髄バンクからのドナー探しも始まった。


息子は結構多いタイプだったらしく、候補に困ることはないと聞いて少し安心した。



そして保育園問題も、2クール目と同時進行で探し続け、義実家の近くで受け入れてくれる保育園が見つかった。


義実家は病院からも、主人の会社からも近いので、しばらく義実家に家族揃って居候させてもらうことになった。





2クール目を終えてのマルクの結果は芽球が12%残っていた。


1クール目後よりも大幅に減ってはいたが、寛解ではなかった。


4クールくらいの抗がん剤を経て寛解まで持っていってから骨髄移植をすることが理想的な流れだと説明された。




2泊3日の外泊を終えて病院に戻ってすぐに髄注、3クール目開始。



この頃から咳が止まらないことが増えた。

病棟ではRSウイルスが流行していて、他の病棟に隔離された子が何人かいた。



そして息子も、嫌な予感が的中することになる。。