お久しぶりのブログです。
どうしても書きたくなったことができました。

ついにコロナ罹患してしまいましたガーンが、4年前のまっただ中からみれば前向き。コロナいじめに合わない時勢で、家族にもなんとかうつさず、熱が下がってから、安静にしつつふとん1、負担がないように、日頃出来なかった読書が出来ました。予防咳が少ないのが幸いです照れ

さらに(父の出身大学でもある)同志社創設者の新島襄の伝記を探していたら、父の遺言と、徳永先生のお手紙が一緒に出てきました泣くうさぎ

読書家の父は「1冊の本からそれを書いた人、そこに出てくる人に出逢える」と教えてくれました。


言いたいのは、「人を育てるには前向きに」

6年前に天へ召された名誉院長の著書、以前読み終わった分は再読と再発見、よく読んでいなかったのもあるので改めて通読できました。
サインを頂いたときは、「下手な字だねぇ」なんて冗談を仰っていたお茶目な所も懐かしいです。
創立記念日などの行事で広い学院内でも、偶然お会いすることも多く、お葬式にも幸い日程が都合がつき、行けました。
30年前に院長として赴任され、私は新卒で学院直轄の短大生寮で勤務しました。寮に住み込みなので、学院内に住んだという若い日が懐かしいです。日曜日に礼拝に義務的に行かされその際に、教会員の院長、奥様、教職員の方も多い世界。学生時代にレポートのため飯塚の教会を探して行った教会もありましたが、女学院教会は学校の礼拝の同じ形で馴染みやすく、小郡市という別の敷地にあった大学だけの卒業生の私には、曰佐にて、1年間特別な時間を過ごさせていただきました。
昨年のクリスマスにふと思い立って 学院の教会の日曜礼拝へ行ってみると(コロナ渦のなか、教会員や信者でないのにシニアの多い 集会へ行くのは…と遠慮していた)なんと、洗礼を受けるご子息夫妻が東京からおいでで、奥様ともにお会いできて、不思議と神様のお導きのように思えました⛪

30年前に、「ぼくのおばあさんも舎監だったんだよ」と、仰っていて、30年も経ってようやく理解。
そのお祖母さまは同志社女子に学ばれ、その夫「逆境の恩恵」の著者であるお祖父様もクリスチャン、教育者でしたが結核発症、お祖母さまがなんと20才のうら若きとき。闘病になんと16年。その逆境を、恩恵と捉えられるのもすごいですが、夫亡きあとは寄宿舎勤務をされて、お子様は他県のミッション系の寄宿学校へ送られました。その子育てのエピソードのひとつに、周りから「のろい」と言われるあるお嬢様は「お返事が良い」など、良いところを見いだして誉めてらしたとのこと。(のちに幼稚園長となられました)
一緒にいられるときはお母様であるお祖母さまを 囲む 皆様。5人のお子様をひとりひとり話を聞いてうなずかれて、暖かいまなざしをもって育てられたそうです。
クリスチャンの方皆様そう、と言うわけではないのでしょうが、本当に院長夫妻は私なぞのような者の話をよく聞いて下さって…。
さて、一般家庭の我が家。
ずっと働く母は、亡き父にはどうかわからないけれど、体育系で負けん気が強い分、人と比べて勝つようにと言われ続け比較されることが多かった(特に母方の従兄姉たちに比較される不安)

子どもの私にとってはたまに、「ハイハイ」と忙しそうに聞き流していたり、「今は忙しい、それどころじゃない」と聞いて貰えなかったショボーンからか、話を聞いてくれる方が嬉しく、そうして穏やかに子育てをしておられたご様子の、徳永ファミリーヒストリーがより羨ましく思えました。泣くうさぎ
母はそれで精一杯だったとは思いますが…。

徳永ファミリーは、牧師婦人や、教育者になっておられます。
徳永徹先生と従妹になられる、ある先生の心理学の授業も大好きで、 卒業後も何度か聴講していましたが…昨年とうとう天に召されました。
 学生時代に戦争中という体験をなさってこられて、皆様長生きでしたね。

福岡女学院は同族業者の学院ではないのですが、こうした皆さんが尽力されて女学院を守ってこられ、140年近くの歴史と伝統を、変わりゆく時代に繫いでいるのでしょう。


魅力学に通じるもの、 伝えていきたいもの。
先生方から教えられたことは生かされているのかしら?
とても足元にも及びませんが、これからでも何らかの世の塩・ 地の光となることは出来ますように。

#福岡女学院 #前向きに #感謝 #病気 #起こることは意味がある #自分が原因