個人商店も回りまして。
建物老朽化により立ち退きを言われたお店。
今は次の店舗探してるらしくて、もしかして最悪は閉店するかもと。
個人商店二件目。
そこは、家賃値上げで、次の店舗を探してるらしくて、安心しました。
末っ子娘と私は、個人商店のご夫婦を「お父さんお母さん」と呼ぶ間がらで。
私は、お父さんに「もう何処行ってもね、閉店の話しばかりで、お父さんとお母さんの付き合いもうじき25年になるよね。絶体にやめないでね」と
娘も「うん、お父さんとお母さんって呼べる人いなくなるのは嫌だよ。私が結婚するときには、来てね」
私「相手もいないのにね(笑)」と爆笑しました。
ナフサ問題も、話してて、お母さんが、「ranran ちゃんちょっとこっち来て」と。
ビニール袋や、トレー山積でした。
さすがお母さん、YouTubeや、ネットニュースチェックされてました!
昔本当に色々困った時に、お父さんとお母さんに、私と娘が助けて貰った事があって。
私だけではなくて、お父さんとお母さんは、若い頃にご苦労されて、人の気持ちが良くわかる方で。
回りの人に親切で誠実なご夫婦なんです。
お父さんとお母さんと、「そうか、もう足掛け25年の付き合いになるんだよなぁ、娘ちゃんもまだ赤ちゃんだったよなぁワシらも年取るよなぁ」
そうですよ。
私もミニスカートはいてたもん。
と昔話しをして。
駅前の商店街回ったら、うん。
浦島太郎になってた。
老朽化なんで、もうビルや、マンションに、様変わりしていて。
道路工事もあちこちでしていて。
道路通行をしていた警備員さんが「まっすぐ行くの?」と尋ねられて私は「はい、まっすぐ行きます」
警備員さん「じゃあ待っててね」と。
片方の道路を通行止めして一車線で。
警備員さんが「お待たせしたね」と。
私は「有り難う」と
娘も通り過ぎる時に「有り難うございます」と
警備員さんは「こちらこそ有り難う」と。
ふっと思い出して足が遠退いていた、お店数件回ってみたけど。
違う店になっていたり、空き店舗に、なっていたり。
567禍になってから、極端に引きこもりでしたから。
4年外食もしてませんでしたし。4年ぶりの外食は2回だけ。
人付き合いはほとんど電話でした。
かもしくはソーシャルですタンスでしたし。
お金貯めて備蓄備蓄でしたし。
災害用のグッズ買ってでした。
一件行きたかった、おうどん屋さん閉店でした。
寡黙なお父さんと、気さくなお母さん、口ベタだけど、優しいお兄さんの家族経営の、おうどん屋さん。
美味しくてね。
おうどん屋さんの近くに住んでいた時、体調悪い時に、お兄さんが出前持って来てくれて、良かったらこれ食べてと、差し入れして下さったりして。
お世話になりました。
お兄さんは私よりも少し年上で優しい人でした。
もっと早く気がついていたら最後に行けたのに。
店の前の閉店の張り紙見て娘と、ショックでした。
娘の高校の校長アメリカ人に「何処か美味しいお店知りませんか?連れて行って下さいデートしましょう(笑)」と。
その、おうどん屋さんに一緒に行きましたら。
アメリカ人校長は「美味しいでぇす!」と絶賛でした。
お母さんも片言の英語で、話してくれて、日本文化や「うどんのルーツ」など説明してくれて、アメリカ人校長一週間に3回通ってました。
それぞれ、色々な思い出あります。
なんか凄くセンチメンタルになりながら回りました。
田舎に来て言葉方言解らなくて。
色々ありましたが、気がつけば郷里よりも長くいて、ちゃんと人間関係や、知り合いとか、作ってたんだよなぁと、出会いと別れ。
また、いつかあえるさぁ。
今一番思うのは、お礼を言いたかった。