今回も「質問に答える」の中からの抜粋です。

ーーー祈りは叶えられるものでしょうか。

「叶えられる時もあります。祈りの中身と動機次第です。人間はとかく、そんな要求を叶えてあげたら本人の進歩の妨げになる、あるいは人生観をぶち壊してしまいかねない祈りします。そもそも祈りとは人間が何かを要求してそれを我々が聞き、会議を開いて検討してイエスとかノーとかの返事を出すのとは違います。祈るということは、叶えられるべき要求が自動的に授かるような条件を整えるために自分自身の波長を高めて、少しでも高い界層との霊的な交わりを求める行為です。」

 

お祈りについて記されています。私自身も瞑想時やヒーリング時には必ずお祈りをさせて頂いています。ヒーリング時は、相手の快方を心から願う気持ちでお祈りをさせて頂いています。確かにびっくりするほど叶えられる時があるのです。それはきっと双方の思いが霊界に通じた時なのではないかと思っています。私自身のお祈りとしては波長を高められるよう、やはり少しでも高い界層(と言ってもいつも神様に対してお願いしていますが)と霊的に交信できることを望んでいます。正しいお祈りをさせて頂けていることに、ご守護霊様には感謝しかありません。

 

今回も「質問に答える」の中からの抜粋です。

ーーー自分の思念にはすべて自分が責任を取らねばならないのでしょうか。

「(精神障害などがある場合は別として)一般に正常と見なされている状態においては、自分の言動に全責任を負わなければなりません。これは厳しい試練です。行為こそが絶対的な重要性をもちます。いかなる立場の人間にも人のために為すべき仕事、自分の霊性を高めるべき好機(チャンス)、霊の成長を促進するための機会が与えられるものです。有徳の人や聖人君子だけが与えられるのではありません。すべての人に与えられ、その好機の活用の仕方、ないしは疎かにした度合いに応じて、霊性が強化されたり弱められたりします。」

 

私達人間にとって、とても大切なことを教えて下さっています。この世に生を受けてから今までの自分の言動に自信のある人は、そうはいないのではないかと思います。けれど、そのすべての言動に全責任を負わなければいけないと言われているのです。すべては必ず精算されるということですね。ただ、こういう事を知っている人は、世界中でどれほどいるのでしょうか。行為こそが絶対的な重要性を持つと言われております。でも私達人間は、その行為も自分の欲のためのものである場合が多々ありますよね。けれど、どんな人間にも人に尽くす機会や自分自身の霊性を高める機会、そして霊の成長を促進する機会は与えられているのだと言われています。それは特別な人だけに与えられたものではなく、すべての人に平等に与えられているのです。でも、知らなければその機会があることも、活用の仕方もわからないですよね。けれど、知ることができた人はその機会を有効に活用すれば霊性が強化され、益々霊的に進化できるのです。知らない人は疎かにしているつもりはなくても、霊性は貧弱なままとなってしまう、ということなのだと思います。いかに知ることの必要性が重要かということがわかります。知ることのできた人は好機を逃さず、活用の仕方として出来る限り人に尽くすこと、そして自分の霊性を高める努力を惜しまないこと、このことが肝要なのだと思います。

 

今回も「質問に答える」の抜粋で、愛について記されています。

ーー愛とはなんでしょうか。

「気が合うというだけの友情、趣味が同じということから生まれる友愛から、己れを忘れて人のために尽くそうとする崇高な奉仕的精神に至るまで、愛は数多くの形態を取ります。地上では愛Loveという言葉が誤って用いられています。愛とは言えないものまで愛だ愛だとさかんに用いる人がいます。ある種の本能の満足でしかないものを愛だと錯覚している人もいます。が、私が理解している限りで言えば、愛とは魂の内奥でうごめく霊性の一部で、創造主たる神とのつながりを悟った時に自ずから湧き出てくる魂の欲求です。最高の愛には一かけらの利己性もありません。すなわち、その欲求を満たそうとする活動に何一つ自分のためにという要素がありません。それが最高の人間的な愛です。それが人類の啓発を志す人々、困窮する者への救済を志す人々、弱き者への扶助を願う人々、そして人生の喜びを踏みにじる既得権力との闘いを挑む人々の魂を鼓舞してきました。

母国において、あるいは他国へ赴いて、そうした愛他的動機から人類の向上のために、言いかえれば内部に秘めた無限の可能性を悟らせるために尽力する人は、愛を最高の形で表現している人です。その表現形態にも様々な段階(ランク)があります。愛の対象に対する働きかけという点では同じであっても、自ずから程度の差があります。最も程度の低い愛、狭隘(きょうあい)で好意を覚える者だけを庇い、そして援助し、見知らぬ者には一かけらの哀れみも同情も慈悲も感じない者もいます。しかし宇宙には神の愛が行き渡っております。その愛が天体の運行を定め、その愛が進化を規制し、その愛が恵みを与え、その愛が高級霊の魂を鼓舞し、それまでに成就したもの全部をお預けにして、この冷たく薄暗い、魅力に乏しい地上へ戻って人類の救済に当たらせているのです。」

 

私達人間は愛についてどこまで知っているでしょうか。シルバー・バーチ霊の言われる愛は「愛とは魂の内奥でうごめく霊性の一部で、創造主たる神とのつながりを悟った時に自ずから湧き出てくる魂の欲求です。」とあります。ほとんどの人間はこの真実の愛に関して知るよしもなければ、この愛を実践している人は僅かではないでしょうか。常に自分の欲望がうごめいています。最高の人間愛とは、ひとかけらの利己性もないと言われています。人間としてそのような高みにまで行かれたのはイエス・キリスト様やお釈迦様でしょう。それを考えると普通の人間がそこまで達するには、何度生まれ変わって来なければならないかと絶望めいた気持ちにもなります。人間の多くの段階は、家族や恋人、友達止まりではないでしょうか。どちらにしても程度の低い愛のようです。ただ、見知らぬ人に対してひとかけらの哀れみや同情、そして慈悲の心がないとは言えないと思います。それは程度の低い愛であっても、心ある方の方が多いと私は信じています。けれど、シルバー・バーチ霊が言われる愛にはほど遠いものですよね。私自身、この内容を肝に銘じて、少しでも人のために尽くせる人間になれるよう、真実の愛の行動ができるよう、日々頑張って行きたいと思います。