美容師になって30数年が過ぎた。

実家をすっかり引き継いで丸13年。

なりたくてなった仕事だから、どんな時も仕事を嫌だとか辛いと思った事は一瞬たりともない。

ただ、去年、今年と、立て続けに健康を害して入院したりして思うように仕事が出来ないと、人並みに凹むし、情けなくなる。

しかし、そういうことも全て含めて、今日まで、大変だったことの方が多かったけれど、とても幸せな美容師人生を送らせて頂いている。

私を信頼してご来店下さるお客様、スタッフには感謝の気持ち以外にない。


今での美容師人生を振り返り、すぐ近い母以外に、私に多大な影響を与えた偉大なる美容師の巨匠たちに思いを馳せる。。

美容師の仕事は多岐にわたる。

ヘアカット、カラーリング、パーマ、ヘアセット、ヘアセットにも和装、洋装、社交ダンス、ブライダル、パーティーヘア、、エトセトラ、、エトセトラ、、

ヘアカットに関しては、きちんと勉強した美容師ならば、神とも言えるヴィダル・サスーン。

シャンプーの名前ではありませんよ。

ヴィダルは、「現代美容の祖」とも言われ、堅苦しいアップセットから女性の髪を自由に開放した立役者である。

私の英国かぶれは、ヴィダルのLondonのアカデミーで初代のアーティスティックダイレクターである、ロジャー・トンプソン
の華麗なるシザー捌きを見て、衝撃を受けて、本当に憧れたし、英国で学びたい!という原動力となった。

今でも大事に、日本で当時発売された古い教本を今でも大切にしている。

実際に、Londonのサスーンアカデミーに足を踏み入れた時の感動は今も忘れない。。

20代後半の私は、ただただ世界一の美容師軍団のオーラに圧倒され、世界に流行を発信し続ける本物の美容師の気概に触れ、刺激とやる気を大いに受けた。。

そして、超一流の彼らに共通しているのは素晴らしく謙虚で、素晴らしいハートの持ち主ばかり。。

日本の「先生」社会とは、おおきくかけ離れたフランクさに心を打たれた。

私もかくありたい。。

そう感じて、私は、経営者だが、実は「先生」と呼ばれるのは一番苦手。。

お客様やスタッフにはずっと名前で呼んでもらっている。(笑)

英国では、どんなに「偉い先生」も、フランクにファーストネームで呼び合うのが本当に心地よかったから。


その後、サスーンアカデミーを次々と独立した華麗なる美容師たちが、Londonに世界中に素晴らしいアカデミーやサロンを展開し、その中で、イタリア人のトニー・リッツォー率いるサンリッツというアカデミーが私にはフィットし、一生の付き合いとなる。

日本人で、ヴィダル・サスーンで偉大なる足跡を残した川島文夫氏も忘れてはならない。ボックスボブという名作を残し、日本のトップサロンで、今も現役を誇るスーパー美容師。
日本で初めてサスーンのヘアカットを華麗に再現し、広めた立役者。


他にも、ニューヨークで、日本人美容師の先駆けとなった須賀勇介氏、ジャネット・リンや、フェイ・ダナウェイを手掛け、Londonとは違う、抜け感が素敵だった。

日本のアップセットの神様、信竜淳二氏からは、「美容師は、美しいという文字を冠に頂く仕事だから、絶対に老け込んだらいけません。」ということを教わった。

直接の師匠、川邊サチコ先生からは、
日本人離れした稀有な美意識をとことん見せて頂き、美容の最高の時代を共に過ごさせて頂き、本当に心から尊敬して止まない。今でも現役で素敵にお仕事されていて、弟子としたら、嬉しい限りだ。


こうして思い返すと、直接的に、間接的に、本当に偉大なる先駆者の美容の巨匠たちに私は色々な気付きや学びを頂いて今がある。

幸せな美容師だとつくづく思う。。

サチコ先生、いつまでもお元気で頑張って下さい!










今日は早朝より、台風一過の晴天の下、晴れやかな、実に嬉しいお仕事をさせて頂きました。


母の同級生で、当サロンと同じ町内で薬局を営む薬剤師の先生が、薬剤師一筋の尽力に対して、叙勲の栄を受けられ、皇居に行かれる為の身が引き締まる着付けのお仕事でした。

母は朝からおお張り切りです(笑)

6時半からなのに、6時から店を開けて、ソワソワ。。

先生はとても83才には見えません。
20は若く見えます!素晴らしい!
髪もフサフサで染めてもいません!

本物の美魔女です!素晴らしい!

私もスタッフも、母も皆でワイワイ頑張りました!(^○^)

先生にも喜んで頂いて、衣装選びから頑張った甲斐がありました。

新緑の季節に相応しい、若草色の上品な色留め袖に白地に金銀の帯、本当にお似合いでしたクローバー

母がうろうろ落ち着かないし、ヨタヨタのくせに、口だけは出すので、最後の帯揚げを整える仕上げはお任せしました(笑)
大満足で満面の笑顔でした!

帯揚げをキュッとしめる姿はさすがでさした!この83才もたいしたもんです(笑)
普段のボケボケご隠居の影は潜め、すっかり プロの顔になりますから、あら不思議!

先生も大喜びで、本当に楽しかったです。






同級生って、いくつになっても良いですね~~♪


親子して幸せな思いをさせて頂きました!ありがとうございましたm(__)m


姿勢も美しく後ろ姿は30代か?の美魔女ぶりです!


先生、本当におめでとうございますm(__)m
これからもお元気で現役を貫いてくださいね!(^○^)
本日の朝一番のお仕事は、私にとっては感慨深いものでした。。

高校一年の若かった私に、多大なるインパクトを与え、私の心を美術という分野で自由に解放してくれた恩師が、当時の学校の
顧問を務める山岳部合宿の雪山で突然死して何年になるだろう。。

亡くなる2週間前に別件で、いつものごとく、モジャモジャ頭にボタンダウンのクタクタなシャツを着た母校の名物美術教師、通称「ヒエダ」がフラりと
現れた。
まるで、サヨナラを告げるかのように。。


その2週間後に、まさか彼が、突然死ぬなんて考えてもいなくて、、私が引き継いだ新しいサロンを嬉しそうに眺めて、変わらない目尻の深いシワを更に深くしながら、キメ台詞の「い~~いんじゃない?」を連発したものだ。。(笑)

「まあ、先生、卒業式も近いから、せっかくだから、そのボサボサ頭を何とかしたら?」と、私は、ずいぶん白くなってしまったヒエダのごま塩のボサボサ頭を、新しいサロンで小綺麗にカットして差し上げた。
ヒエダは、すごく嬉しそうにしていて、先生、長生きしてよ、今度美術部OB会で、温泉でも行きましょうよ、と和やかに語らっていた。


その2週間後に突然、、美術部のOB会の後輩から、ヒエダが雪山合宿に向かう途中、車内で亡くなった、と知らされ、あまりに突然過ぎて、事の次第がにわかに呑み込めずに、その場にヘタリこんでしまった。。。

なんでぇ?ウソだ、、こないだ会ったばかりだよ、私、、と、後輩に言うのが精一杯だったように記憶している。

その数週前に、もう一人の大切な恩師を亡くしたばかりだったものだから、ショックでクラクラして寝込んでしまった。

瞬間、、奥さまは大丈夫かしら、、と、頭をよぎった。
その悲嘆を思うと、電話も憚られた。

御夫妻は、奥様が教育実習でヒエダの下に付き、それが結婚に発展した、という、よくあるパターン(笑)
熱愛は有名で、私が美術部の部長時代にご結婚された。

で、部員一堂で、何を結婚祝いに贈るか、で協議した結果は、米俵一俵と、日本酒一升。。

高級品や巷の流行には一切興味のない、ボサボサ頭の粋人ヒエダには、これしかないでしょ~~と、生徒も本当に発想が素晴らしかった(笑)
お小遣いを出しあって皆で策を練って、本当に楽しかった。。(*^^*)

で、結婚式前日の放課後、お米やさんに男子の部員がリヤカーを調達してきて、米俵一俵を買いにいった。

祝い熨をガッツリ!愉快、爽快!(笑)

制服着た高校生がら街中をリヤカーひいて米俵と一升瓶。。
なかなか青春そのもの(笑)


で、件の粋人ヒエダの反応は、予想通り!
目尻のシワを深々と刻みながら、満面の笑顔で、デカイ声張り上げて

「い~~んじゃないっ?」

「お前ら、わかってるねぇ~~」

大満足して、受け取ってくれました。


ヒエダの「い~~んじゃないっ?」
に、在学中も、卒業後も何度救われたか知れない。。

大恩人の死は、今も思い出すと悲しい。

心配された奥さまは、しばらくは体調が芳しくなく、大変なご様子でしたが、時の薬で今は元気を取り戻され、ここ数年は私の母校に赴任され、ヒエダの遺志を引き継ぎ、3月末付けで、ご立派にご勇退なさった。


その、教師として、最後の壇上でのご挨拶を彩る、着物の着付けを本日させて頂いた。感無量。

明子先生の髪は真っ白になってしまったが、ご自身で糸から染めて、丁寧に紡いだ淡く美しい色彩の紬のお召し物姿の奥さまは、最高に美しく、曇天の下でも輝いていた!

明子先生、本当に長きにわたり、お疲れ様でしたm(__)m