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(風呂から引き上げの全裸対応)

爺さん 婆さんの

パジャマ、下着上下、サンダルを袋に詰めて、台所の壁にさげました。

誕生日を書いた紙も、ついでに入れた。



長袖パジャマ上と、半袖肌着は、袖を通して一体化してみました。
はたして、着せやすいのかな~?



用意が風呂から上げた
全裸に対応した用意というのは、人として間違いとは思うのですが


こうも続くと、私が用意するしかない



婆さんのときは、オムツのゴミと混在していて、家探し。
爺さんの時は、二回とも奥さんのくせに婆さんが、役立たずでした。


使わず、すごせたら、厄落としの焼却処分しようと思います
妖怪ブームのため、この書庫を検索されるようですが、

すみません・・・あの妖怪ではなくて。



※  農家に棲む妖怪の事です

発見場所 自宅の風呂場

1回目      2013/1     婆  当時79歳 



2回目      2014/10    爺     85歳



 3回目     2015/1   爺     85歳

高齢のため、三度とも救急搬送。三度とも、風呂の のぼせ 湯あたりというのかな。





去年十月は、朝から具合が悪いというので、
今日は入らずに寝るように言ったものの、言う事を聞かず入浴。

気付いた時には、意識不明でした。

救急車が来るまでに意識は戻ったが、念のためと言う事で

救急車のお世話になりました。



三度目の今月、爺さん二回目の救急搬送騒ぎですが、本当に呆れる話です。



私たちが、農作業から戻り、私は毎日慌てるように、夕食の準備をします。

その前から、ずっと台所を陣取って、テレビを見ながら、大声で笑っています。

私はイライラとする台所が、家の中で一番大嫌いな場所ですが、

息子や旦那が仕事を終えて帰ってくるので

本当に歯を食いしばりながら、殺意を抑えながら、食事の準備をしています。



時間差で、帰ってくる旦那と息子のトラック音がすると、

急いで服を脱ぎ出します。しゃべりたくないから待ても言えません。もう少し早く入って上がるようにと、何度も言うのですが、一度も聞いてはくれない、人に対して思いやりなど、皆無な爺です



その日は、寒い日だった。

トラックの音がして、「今入るな、息子(旦那)を先に入れてやれ」と言いたかったが、

勝手口が開くと同時に、他に人がいると、弱った老人風を装って、

小さく呻きながら、ゆっくり脱ぐのですが

ビックリするくらい、バナナみたいに、するっと脱ぎました。



夕食を終えても、爺は出ません。台所では寒いので旦那も息子も、自室へ行きました。

軽く一時間たったでしょうか、婆さんの絶叫が聞こえました。

「爺ちゃんが、湯ば、吐いたり飲んだりしちょる!!」



・・・?? 旦那が、猛スピードで風呂場に行くと、半分湯船に浸かった横顔で、口から息と同時に

飲んだり、吐いたり・・・と言うよりも、水面が揺れるというか、そんな感じだったかも。



でも、意識はありませんでした。 うっわ 風呂で死んだとなると、

この風呂場の利用は気持悪いな・・・・と過りながら、旦那と二人で、湯船から引き上げました。



人間を、風呂場から出すのは、重労働。家では、三度目なので、手順は前より上手になっていました。

膝のことは忘れるくらいだから、私は回復したんだと笑ってしまう。



でも、引き上げるとき「トーチャン とーちゃーん」と、旦那の叫び声には泣きそうになりました。

こんな爺さんでも、旦那には師といえる父ちゃんなんだもんね。





婆さんは、引き上げる時うろうろして入口をふさぐので、私が「邪魔 あっちいって」と怒鳴り

キャスター付の椅子に座らせ、風呂から出しました。バリアフリーって大事ね。

救急車を呼ぶ時、今回は慌てました。110だっけ、119だっけ、えーっとえーっとと慌てました。

119119と、連打しました。爺さんの意識は、混濁しています



風呂場から出して、着替えさせようとしたとき、下着など持ってこようとしないので

「服、なんか羽織るものでいいから、浴衣とかないの??」

『そんなのはない、私はなーんも知らん なーんも知らん』と婆の絶叫に殺意が湧きました。



息子が、自分のパジャマを持ってきました。

私の母が息子に買ったもので・・・ちょっと残念でしたが息子の機転には感謝でした。



肌着を持ってこようとしないので、そのまま着せていたら、「寒かろう」と婆さんは文句を言います。

どうせ、診察するから、このままで診察して、入院なら着せてやれば大丈夫。病院は寒くないし。



それに、前回入院した時に、新調した前開きの下着を、使わずにしまって置くように言ったけれど

聞くと、また『私はなーんも知らん』と、絶叫するんで、手が出そうでした。触りたくないからしないけど。



爺さんの意識は、救急車が来る前に戻ってきました。

これで死んでも、風呂場ではないからって、安心したんだけど。



救急車に乗せたとき、隊員の方が、「また意識不明になったようです」と私に告げ

私は、誰にも言いませんでした。下手に怖がらせてもイケないんで。

今から、どうなるのかな・・・・と、手配など、ぼんやり考えていました。



それから、着替えをもって、車で搬送先へ行きました。

少し待っただけで、もう大丈夫ですよと、すぐ、帰る準備でした。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ゾンビ。   力が抜けました。 私より健康なんだね











ちっ
お久しぶりです 今日は、久しぶりの更新です

あれから、半年が過ぎました。

おととしの夏に、左ひざの前十字靭帯を断裂して、再建手術をしました

「「ウエイトや、仕事量を考えて、医師も「強め」に作っておいたよ」」
と、私がお願い通りに、男性並みに前十字靭帯をと作っていただきました。

リハビリも、手術の翌日から始めるほど、すぐに松葉づえを使わなくていいほど
回復に時間はかかりませんでした。希望が持てました

しかし、恐怖感はぬぐえませんでした。何をしても怖いのです。
私の左には、ニーインツゥーアウトの癖があると、リハビリの先生から教えられました。

(以下 拾い)

ニーイン・トゥアウト(Knee-in, Toe-out)とは立った状態でヒザを曲げたときに
ヒザ(knee)が内側(in)に入り、相対的につま先(toe)が外側(out)を向くことを言います。
      ヒザや足首の構造上、この動きは自然な動きで正常な足の動きの中でも起こるのですが、
異常な足ではこれが程度も継続時間も過度になり、
本来は起こらない場合にも起こり、様々なトラブルを起こします。
http://www.ukiyubi.com/image/photography/knee-in01.JPG

画像は拾いました。私ではありません

これを教えてもらってからの恐怖は他に無かったです。
なにをしていても、キレるキレる・・・・とそればかり思っていました。
リハビリしても、寝ていても、寝返りが怖かった。
リハビリに、毎週のように通っても
膝は、なかなか伸びませんでした。ずっと、少しだけ曲がっています

そして、10か月くらいたったころ、曲がった足から下った坂道で、
スライディングのように左足は伸びきって、バキッと音がしました。

調べて頂いたら、全部ではないけれど、部分断裂しているという事でした。

手術の時、中を見たときに、30-50%なら温存、
70%なら再建手術と言う方針で再手術をすることになりました。

一年足らずの再手術に、先生も残念がっていましたが、
やってしまったものは、しょうがない。術後の痛みに耐えたら
今後こそは、半年でバレーも始めよう、生まれ変わろうと思っていました。

手術。11か月前に見た膝の中は、今回、とても酷いモノでした。
靭帯が切れて、毛羽立っているとのことでした。
羊毛のように毛羽立って膝の中を埋め尽くしているような感じでした。
11か月前の膝の中は、軟骨の様子、後十字靭帯、半月板など、場所がはっきりわかりましたからそれはもう、素人目に見ても、汚い膝の中、先生も驚いていて、
裂けている場所がわからないのか驚いていました。

チョキチョキとハサミを使って、毛羽立ちを刈り取ると、ようやく見えたのは
半分だけ残っている前十字靭帯でした。
その、前十字靭帯は、半分きれていても、人よりも2倍に成長していて
先生もまたまた驚いていました。

この残った靭帯を温存するか、取り替えるかは、私に委ねられました
「取り替えてください」と、太かろうと、私に残った靭帯は半分しかない。
また切れる恐怖を持ち続けるのなら、またやり直した方が良いと思ったからです。

そして再建手術になりました。残った靭帯は、先生も驚くほど
切れなかったようで、靭帯って、育つんだ、人工的に移植したって、治るんだと
ここで初めて、理解し、またバレーも続けれらると、農作業よりも
バレーが出来るようになるんだと、嬉しく思ったものでした。

前回、膝蓋骨(皿)の下から取った靭帯は、今回は、膝横の内側からの移植で
もう移植が出来る靭帯は、右ひざしかないと脅されました(笑)

その靭帯は、鶏のささ身にあるよな腱で、真っ白でツヤツヤピカピカの真珠色でした

術後の痛みは、前回より長くは続かなかった。すぐに始まるリハビリも、普通に歩けるし
松葉づえも、5日くらいでなくなりました。順調すぎる快復を見せました

リハビリも4か月くらいで卒業して、すぐにバレーも農業にも復帰することが出来ました


切れてよかった。自分には、持て余すくらいの強い靭帯過ぎて
鍛えるのが、なかなか追いつかず、いつも引っ張れて、曲がったまま。
キレなかったら、ずっと一生、曲がったままだったと思われます。

そして、半年弱の私に、新しいソフトバレーのチームが出来ました。
今まで、所属していたチームには戻りたくありませんでした。

次回は、そのチームについて、吐き出させてください。

前振りが長かったので、ごめんなさい