
今年の元旦は、夕方に緊急地震速報。震源は能登半島。遠く離れた神戸でも長いゆっくりとした揺れ。これは大きい。テレビをつけるとどこも同じ映像。落ち着かないおせちの夕食でした。
翌日から、輪島朝市通りの焼失、倒壊した家々、津波と地盤隆起による漁港の壊滅。進まない救助活動と積雪の避難生活など明らかになると、29年前の阪神・淡路大震災の記憶が蘇りました。
明石海峡を震源とする震度7の10秒の揺れは、神戸の市街地を縦断し、芦屋、西宮、宝塚を襲い、建物を倒し、鉄道・高速道路・港湾を破壊し、都市機能を麻痺させ、あちこちで猛火。数千人の人命が失われ、20万人が不自由な避難生活を強いられました。

全国からボランティアが駆け付け、避難所や公園のテントで被災者を支援。電気・ガス・水道・鉄道・道路・港湾などの不眠不休の復旧、膨大な瓦礫の撤去、進まない仮設住宅・復興住宅の入居、孤独死と見守り、多難な生活再建、区画整理による復興事業などに10年余りの歳月を費やし、震災の傷跡はほぼ癒えましたが、最後に新長田南地区の復興再開発事業が残りました。
いま、44棟目となる事業の最後のビル(仮称・新長田キャンパスプラザ)を建設中。この夏に完成すると29年に及んだ復興事業はようやく完了です。
第40回神戸RANDOM句会は、事業完了間近の新長田と海辺の漁師町・駒ヶ林を訪ねることにしました。春です。どんな名句が生まれるでしょうか。
新長田へ
2024年4月3日(水)、JR新長田駅改札口に午前10時が集合時刻。
昨日までのぽかぽか陽気から一転、朝から雨。気温も花冷えで低めです。
八十路春ひねもす雨の苦々句会 ひろひろ① …〇数字は句会での得点
風雨なり愛犬一人春句会 ひろひろ
市営地下鉄の新長田駅は、開業以来お馴染みだった「鳩の駅」からスマートな「鉄人28号の駅」にイメージチェンジされています。早く着いたので、若松公園の雨の鉄人に会いに行きました。

新長田・駒ヶ林をゆく―――――――
鉄人28号モニュメント

春の雨鉄人の腕空に伸び 弥太郎②◎ …◎は句会での特選句
鉄人がぬれてゆこうと春の雨 稲村
春雨に打たれ鉄人飛び立つか 見水②
実物大18mの「鉄人28号」は2009年に復興のシンボルとして設置されました。
「グーンと飛んでく」鉄人28号のテレビアニメに親しんだ子供は、今は60~70代。戦闘機や戦車のプラモデルを夢中で組み立て、リモコンで遊んだ世代です。
「鉄人28号」「伊賀の影丸」「三国志」…グイグイ物語に引き込む漫画を描いたのは隣町・須磨出身の横山光輝(1934~2004)。敗戦の年は多感な11歳の少年でした。

神戸は開港以来、華僑と共に発展し、南京町や関帝廟のある街。商店街では町角に「三国志」の英傑の石像を置き、「三国志」のイベントで町を盛り上げています。
今、西市民病院の若松公園への移転整備が進められており、4年後には新病院をバックにした鉄人が見られそうです。
待ち合わせのJR新長田駅へ。
JR新長田駅集合
午前10時、全員集合。本日の参加者は、つきひさん、さくらさん、どんぐりさん、へるめんさんの女性4名、男性は一風さん、蛸地蔵さん、稲村さん、ひろひろさん、見水さん、弥太郎さんの6名の計10名。英さんとろまん亭さんは参加希望でしたが都合が合わず欠席。
まず、この駅の券売機の横に鎮座する「寅地蔵」にご挨拶です。
寅地蔵

駅うらら寅さんに会ひ句友(とも)に会ひ つきひ⑤◎
のどけしや寅さん地蔵と目が合った へるめん②
花の雨何処へ行こうか寅地蔵 見水
1995年12月に公開された映画「男はつらいよ 寅次郎紅の花」は、冒頭に神戸の被災地でボランティアに励む寅さんの姿がテレビの記録映像に登場。美しい奄美の島での恋物語の後、ラストシーンは焼けた瓦礫の残る長田の菅原市場。寅さんは奄美の手土産を提げて仮設のパン屋「いしくら」の前に。店から出てきた大助・花子に「きれいな店が出来たじゃないか」とほめ、市場の会長の芦屋雁之助やエキストラの人に「苦労したんだなあ。本当に皆さんご苦労様でした」とねぎらい、迎春を祝う華やかな在日コリアンの踊りの輪に入っていきます。踊りの輪は手前に引かれ、六甲を背に被災生々しい神戸の街。翌年、寅さん・渥美清は亡くなり、この映画が遺作になりました。
「寅地蔵」は、被災した長田に元気をくれた寅さんへの感謝を込め、地元商店街が置いた守り神。山田洋次監督からの人情あつい長田の人たちへの礼状も添えられています。

午前10時15分、本日のスケジュールを相談します。
天気が良ければ、寅地蔵→鉄人28号→長田漁港→駒林神社→海泉寺→昼食→句会場の順でのんびり回遊する予定でしたが、雨がだんだん激しくなる予報なので、「鉄人」には寄らずに、タクシーで長田漁港に行き、駒ヶ林を吟行の後は、昼食までふたば学舎で待機することにしました。
出発します。駅を出て、駅前広場のタクシー乗り場へ。新長田はいい街になっています。
新長田のまち
古い地図を見ると「新長田」はなく、「駒ヶ林」があるだけです。
兵庫の町を一歩出ると農漁村が広がっていた「神戸」は、幕末の開港で国際都市になり、1889年に神戸市が誕生。市域は現在の中央区と兵庫区東部の21㎢で人口は13万人。7年後、林田区(現在の兵庫区西部と長田区)を合併し、市域は37㎢、人口は18万人に。
臨海部で、造船・紡績・製粉・車両などの工場が操業し、背後の西神戸の町工場では、明治時代はマッチ、大正になるとゴム靴が盛んに製造されました。
海辺の駒ヶ林の町の北は田んぼ。駒ヶ林の人たちは漁業と農業を営んでいましたが、1914年に耕地整理で田んぼを4間幅の道路で碁盤目状に区画割。町に接する東西道路は6間幅でした。
神戸には仕事を求めて各地から人々が集まってきており、区画割された田んぼは次々と長屋と路地になり、住商工の混在する町に。六間道や大正筋に商店街が出現します。1920年の町名変更で、駒ヶ林は現在の日吉町・若松町・大橋町・腕塚町・久保町・二葉町・駒ヶ林町に変わり、やがて市電や市バスが通り、町に子供たちがあふれ、人情のあつい下町になっていきます。
神戸市は須磨と西灘を合併し1939年に人口100万人を突破。長田区は20万人の町でした。
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戦災で神戸は焼け野原になりますが、六間道や大正筋の商店街は被災を免れ、遠くからも買い物客。物資不足の中、この町でケミカルシューズが考案され、地場産業として急成長します。
1954年、商店街とゴム工場の誘致運動で、国鉄(現在のJR)の兵庫駅と鷹取駅の間に「新長田駅」を新設。この町は「新長田」と呼ばれるようになります。
1965年、大橋地区で国道・浜手幹線を拡幅。地元が協力して全国初の市街地改造再開発を実施し、神戸デパートが開業。三宮センター街の再開発と中央幹線拡幅の手本になりました。
自動車が急増し、市電が廃止。1977年に名谷と新長田を結ぶ市営地下鉄西神線が開通すると新長田はターミナルに。駅前に大丸も開業します。
1980年代、神戸市は「山、海へ行く」で大変貌。ポートアイランド・六甲アイランドに街ができ、西神・北神に市街地が広がり、市営地下鉄が全線開通すると、旧市街地で産業の停滞、住宅の老朽化、人口の減少といった「インナーシティ問題」が浮上します。
1989年、神戸市は「インナーシティ総合整備基本計画」を策定。進めるプロジェクトとして、地下鉄海岸線の整備をまず掲げ、この町については、新長田駅前再開発・五位池線(タンク筋)整備・大規模工場跡地の活用・長田港再開発を掲げました。
地下鉄海岸線は1994年に着工され、2001年に開業しています。
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1995年1月17日、阪神・淡路大震災発生。市内の焼失面積の6割以上が長田区。市は震災から2カ月後にJR新長田駅の南側約20haの地区での市街地再開発事業の都市計画を決定します。
地区の土地を市が買い取り、地区の生活者は、再開発後に区画を買い戻すか地区を離れるかの選択を迫られました。早急な決定に地元の反発がありましたが、その後、街区ごとの協議会で地元の意見や提案を聴きながらまちづくりが進められました。
元の街に戻って店を再開したが戻らない客足、多額の共益費の負担、地下や2階の空き店舗の多さなどは、たびたびマスコミなどに取り上げられました。
29年に及ぶ復興事業。時代も人も変わりましたが、地区の居住者は震災前より増え、県・市の合同庁舎ができ、県立専修学校・大学の建物がまもなく完成。今年から西市民病院の新長田駅前への移転工事も始まる予定です。
世界一安全な町になった新長田に、これからどんな未来が待っているでしょうか。
長田漁港
午前10時20分、駅前広場からタクシー3台に分乗しで長田漁港へ。
下っていくのは通称タンク筋。臨海地区に長らく大阪ガスのタンクがありました。
建設中の仮称・新長田キャンパスプラザや新長田合同庁舎を右に見ながら、地下鉄海岸線の「駒ヶ林駅」。六間道のアーチを抜けると工場跡地に建ったホームセンター・アグロガーデンの大型店舗。東側には天然温泉・あぐろの湯もあります。右折して海岸の通り。午前10時25分、長田漁港の魚市場に到着。
街中を歩いて10分春の海 一風
タクシーを降りて漁港の春の海 一風②

競りは終わっているので魚市場はがらんとしています。タクシーを降りてきた10人の「不審者」に、事務所から人が出て来られました。
「海にはまったら危ないからね」
俳句のメンバーでここに来たことを話すと、にこにこと朝の競りやいかなご漁のことなどを話して下さり、全員集合写真のシャッターも押していただきました。
競終る漁港に一羽春鴎 さくら②
春の海漁船静かに揺れている 弥太郎①
新長田長閑な港魚跳る ひろひろ
駒ヶ林の漁師さんは現在約40人。漁協では「フィッシャーマンズマーケット」や「親子で楽しめる!駒ヶ林漁業体験ツアー」など市民との交流も行っています。
船溜まり雨に打たるる残り鴨 見水⑤◎
春雨や低く飛び交う磯千鳥 へるめん①
雨けむる長田のみなとユリカモメ 稲村
群鴎小さき漁港で春陽待つ 蛸地蔵②◎
駒ヶ林の港の歴史は古く、奈良時代から平安時代に遣唐使船も出入りする良港として栄え、平清盛や足利尊氏もこの地を踏んでいます。松林の続く浜では季節ごとに異なる魚が獲れ、漁師・加工屋・商人で賑わい、「ハヤシ千軒」といわれました。
明治になり、1875年に魚市場を開設。1899年には駒ヶ林の魚問屋の八尾善四郎(1845~1918)が私費を投じて兵庫運河を完成させます。須磨(武庫)離宮には駒ヶ林の魚が届けられました。
町の北の田んぼは市街地に変わり、戦後は浜を埋め立て1961年に長田港が完成。漁港とともに淡路フェリーの発着場や金属製品や重油の積み下ろし港になります。
春雨や小路の隅に地蔵堂 弥太郎②
が、町の人口は次第に減少。町では1991年に駒ヶ林まちづくり協議会を発足させ、震災復興を経て、2007年に「駒ヶ林あかるく住みよいまちづくり構想」を策定。海辺のまちの歴史を引き継ぎながら、路地や空地の整備など、安全・安心で美しいまちづくりに取り組んでいます。
蛭子神社
道路の北側に赤い鳥居が立っています。漁師が船の安全と豊漁を祈る蛭子神社です。
午前10時35分、激しくなるはずの雨が、晴れ男・一風さんの願いが届いたのか、小止みになり、五分咲きほどの桜の参道で、気分がぱっと明るくなりました。
雨の中今咲き始め桜花 一風①
幹黒く生霊御座す大桜 さくら①
桜雨吟行なれば濡るるとも さくら②
満開の桜におうてえびすがお 稲村
花の宴咲き急ぐもの散るもあり どんぐり①
参道の石灯篭に刻まれた建立の年は享保16年(1731年)。魚供養碑が置かれています。
戎社の魚供養碑花の雨 どんぐり③
春の雨蛭子神社の碑をぬらす 弥太郎

春雨も桜に優し社殿越し 蛸地蔵
年毎に別れの増ゆる桜かな つきひ①
八十路連今日も元気花香る ひろひろ②◎
今日は寄りませんが、路地を西に入ると供養塔のある史跡・平忠度の腕塚堂があるようです。
平薩摩守忠度は「タダ乗り」で有名で、平家物語でも人気の武将。木曽義仲に追われて都落ちの際に、師の藤原俊成に歌集を託し、俊成は勅撰の千載集に読み人知らずで載せました。
さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな
平氏は軍勢を立て直し福原に集結しますが、義経の奇襲で崩壊。知章や敦盛、そして忠度らがこの地で討死しました。
ゆきくれて 木の下かげを 宿とせば 花や今宵の 主ならまし
忠度が最期に遺した歌です。
駒林神社
東に200m歩き、午前10時40分、駒林神社へ。
蛭子神社は漁師たちの神社でしたが、駒林神社は旧駒ヶ林村の家々を氏子とする八幡神社です

春雨や神社の鳥居静まれり 弥太郎①
木の芽雨神社の鳥居隷書文字 へるめん④

赤い大鳥居の傍らに「いかなごのくぎ煮発祥の地」の碑があります。
「いかなごのくぎ煮」は、いかなごの稚魚(新子)の佃煮で、神戸の郷土料理。
いかなごは春の風物詩で句にも詠まれています。
旗立てゝ鮊子舟は又沖へ 高浜年尾
いかなごの命ひしめく朝の網 野崎昭子
小女子のまなこのほろと煮くづれぬ 成田智世子
30~40年前には昼網の新子が神戸のスーパーでも安く売られ、各家庭で炊かれました。漁獲量が激減したため1993年から漁の解禁日を設定し、今年は3月11日。大阪湾内は自主休漁し、播磨灘に出漁しましたが、不漁のため1日で終了になりました。
いかなごのくぎ煮なつかし春の街 蛸地蔵①
いかなごのくぎ煮の碑あり雨しとど つきひ
鮊子(いかなご)のくぎ煮の発祥駒が港 一風
においするくぎに発祥駒林 稲村②◎
平安時代、駒ヶ林にあったという玄蕃寮(税関)の出先の役所はこの辺りといわれています。
神社の由来によれば、文政13年(1830年)に社殿を整備。1893年に拝殿を新築。1924年に社殿等を修築し、村内の小祠を合わせて「駒林神社」としたとのこと。

年間を通じて、厄除祭や春の例祭、夏祭、七五三などの祭りや行事があり、千年以上続いたという1月15日の駒ヶ林左義長(けんか祭り)はこの神社の名物行事でした。その年の網入れの優先権を賭けて漁師が東西に分かれて「お山」を倒し合い、毎年大勢の見物客で賑わいましたが、1959年に砂浜が埋め立てられ中止になりました。
境内の奥に稲荷社が鎮座。駒ヶ林出身の無声映画時代のスター・澤田清の呼びかけで、玉垣に往年の名優、大河内傳次郎や片岡千恵蔵、入江たか子、山田五十鈴らの名を刻んでいます。

花あかり名優たちの石柱に つきひ②◎
春雨じゃ濡れてオヨヨの大河内 見水④
神社の北側を囲む板塀は伊勢神宮の式年遷宮で使われた杉板だそうです。
海泉寺
駒ヶ林神社を出て、北側に回ると、高松線の道路をはさんで真北に海泉寺があります。
海泉寺は1289年創建の臨済宗の禅寺。1874年に火災にあって現在地に移り、本尊は鎌倉時代の阿弥陀三尊仏。駒ヶ林のご先祖たちは東の地区にある海泉寺の墓地に眠っています。
午前11時、山門をくぐると大銀杏。境内は一面に白い小石が敷かれ、気持ちが引き締まります。
天目指す銀杏の枝の鴉の巣 どんぐり
大銀杏今年も芽吹く命かな 蛸地蔵②◎

震災で全壊した本堂は、街の復興を見届けて、2016年に再建されましたが、寺と親交のあった湯川秀樹博士(1907~1981)の銘による1964年鋳造の「全人類の幸福を祈る鐘」は失われたままです。残された石碑が核兵器廃絶に力を注いだ博士の悲願を留めています。
春の波博士の祈り海渡る 見水

博士の墓は京都ですが、海辺の駒ヶ林のこの禅寺に位牌が納められています。
花の寺一粒万倍みくじとや どんぐり②
花の寺鉄人の絵馬雨雫 どんぐり①
湯川博士の長き戒名菜種梅雨 つきひ⑤◎
午前11時10分、寺を出て北西に300m歩きます。
ふたば学舎
午前11時20分、午後に句会をするふたば学舎へ。事務室で了解をいただき、共用スペースでしばし休憩です。本日の会費を徴収し、各自、句づくりに専念。

二葉小学校は、1929年に西隣の長楽小学校から分離して開校。前年1928年に東隣の真陽小学校は日本一のマンモス校になり、教室が足りず二部授業。二葉小学校は近隣住民の寄付や住居移転などの協力を得て開校しました。戦災に遭わず、長田区役所が空襲で焼失したときは、一時この学校に移転しました。
震災にも耐えましたが、2006年に長楽小学校と統廃合して駒ヶ林小学校になり閉校。歴史的価値のある建物で、3階まで届く蘇鉄の大木も見事です。
天をつく蘇鉄に校舎春の風 一風②
旧校舎に蘇鉄高々春の雨 へるめん
春の雨昭和の学舎静かなる さくら
花の雨板張廊下懐しく さくら②◎
よみがえる二葉小に春つどう 稲村

二葉小学校は、閉校後、「ふたば学舎」として残し、地域活動の拠点として活用され、教室を貸会議室にして一般開放。レトロな校舎はドラマのロケなどにも使われています。
各階には、屛風絵をもとに作られた一の谷の合戦のジオラマや、この学校の生徒達や美術教諭の残した作品、震災記録写真を展示したコーナーなどがあります。
駒ヶ林の魚処―――――――――――
12時になったので、季楽魚処「清本の店」に移動。
2月の下見のとき、句会の昼食会の場所は、新長田なら北京料理「神戸飯店」と、豪華ランチの試食の後で予約しようとしたら、「水曜日は定休日です」。
あわてて近くを歩いて探した店が、季楽魚処「清本の店」。六間道沿いの隠れ家のような店。駒ヶ林の漁港に上がった新鮮な地魚料理の店です。

到着して用意された席に着き、ビールを注文。つきひさんは数日後に米寿。お祝いの乾杯です。
「どうしてそんなに若いの」
「いろいろと社会参加しているからよ」
俳句のこと、朝ドラのこと、Z世代のこと…、堰を切ったように話題は尽きません。
鯛・鰆「清本」海の幸満載 へるめん
十人の仲間かしまし春句会 蛸地蔵④◎
春句会みなの顔みて美味し昼 ひろひろ
駒ヶ林魚市場直送の鯛や蛸、地元のサーモンなどの刺身とホウボウや目板ガレイの煮つけなど、ここでしか味わえない新鮮な薄味の地魚料理を美味しくいただき、瓶ビールは珍しくサッポロビール。満腹になりました。
午後1時、昼食会終了。ごちそうさまでした。店を出て、句会の会場のふたば学舎に戻ります。
ふたば句会――――――――――――
午後1時5分、事務室で鍵をもらい、予約していた1階の貸会議室1-3号室を開けます。
会議室1-3号室は、教室のスペースにロの字のテーブル。ゆったりした部屋です。
人数分の座席を作り終えると、各自5句を完成させ短冊に書きます。提出期限は午後1時45分。

集まった短冊をばらして手分けして清書し、選句表に貼り付け。
この間に各自好みの飲物をお聞きしてひろひろさんと一風さんが自販機で購入し、つきひさんの差し入れのほうらく饅頭と一緒に配ります。
饅頭と飲物をいただきながら一服。長田名物・ほうらく饅頭は、つきひさんが集合前に新長田駅前の店で出来立てを購入されたので、しっとりやわらかで優しい甘みのこし餡と粒あん。
午後2時10分に選句表を人数分コピーして全員に配付。各自、自作以外の気に入った6句を選びます。特選1句2点、その他5句は1点で、各人の持ち点は計7点。参加者10名の総点数70点の争奪戦です。
今回の賞品は、どんぐりさん、へるめんさん、一風さんの3人で3月31日に新長田の商店街に出向き、選んだもの。当日句会場に届けるよう依頼し、「結いの島」の店の人が運んで来ました。
今回の賞は、震災の年に長田でロケし、寅地蔵になった寅さんからの賞にしました。
各賞は「男はつらいよ 寅次郎紅の花」の登場人物、賞品は寅さんが長田に手土産で提げてきた奄美の食品です。

午後2時25分、つきひさんとさくらさんの進行で、特選句から順番に選んだ理由も挙げながら発表。50句全部に点数が付けられて作者が明かされました。
午後4時、句会は終了。
高得点句
本日は5点獲得句が3句と、4点句が3句ありました。再掲します。
駅うらら寅さんに会ひ句友(とも)に会ひ つきひ⑤◎
待ちに待った春がやっと来ました。
船溜まり雨に打たるる残り鴨 見水⑤◎
漁港は鳥の楽園。残り鴨の哀れ。
湯川博士の長き戒名菜種梅雨 つきひ⑤◎
さすが日本人ノーベル賞受賞第1号。
木の芽雨神社の鳥居隷書文字 へるめん④
書家らしい観察。鳥居の隷書は見たことない。
春雨じゃ濡れてオヨヨの大河内 見水④
駒林神社の稲荷社の玉垣に懐かしい名。
十人の仲間かしまし春句会 蛸地蔵④◎
「清本の店」にご迷惑かけたかな。
表 彰
午後4時10分、獲得点数により表彰式です。
優勝は、つきひさん(13点)、準優勝は見水さん(11点)、第3位は蛸地蔵さん(9点)。第4位はへるめんさん・さくらさん・どんぐりさん(各7点)、第7位は弥太郎さん(6点)、第8位は一風さん(5点)、第9位はひろひろさん(3点)、第10位は稲村さん(2点)。出句5句すべて得点のパーフェクトは今回はいませんでした。
賞品は12個用意していたので、余り2個は「ランダム賞」。全員であみだくじをして、弥太郎さんと稲村さんに。
女性軍4名対男性軍6名は34点対36点でした。

午後4時30分、部屋を片付けて退室し、鍵を返却。
ふたば学舎を出て、大正筋商店街へ。商店街の路面には、野球選手・俳優・お笑い芸人らの手形を陶板に焼き付けて埋め込んだ「長田スター街道」があり、ふと足元を見ると、東京進出前の、2010年のお笑い芸人「千鳥」のノブと大悟の手形がありました。

新長田一番街を抜け、鉄人28号と髙取山にさよならして、午後4時50分に解散。
雨もほぼ止み、せっかくの「お好み焼きの街」に来たので、久々に有志で反省会を行いました。
10人の連衆の花の雨の吟行と地魚の昼食会、学舎での句会で楽しんだ時間はあっという間。
下見の一風さん、見水さん、賞品選びのへるめんさん、どんぐりさん、飲物調達のひろひろさん、句会運営のつきひさん、さくらさん、「本当に皆さんご苦労様でした」。

今回は、初めて長田で吟行。震災復興で生まれ変わった新長田と、海のまちの歴史を引き継ぐ駒ヶ林を歩き、海泉寺では、湯川秀樹博士の深い祈りにも出会いました。

博士の祈りにあやかり、3つの願いを挙げるなら、
① 能登の人たちが1日も早く元の生活に戻れますように。
② ウクライナとガザの惨禍が即刻終わりますように。
③ 阪神とヴィッセルが連覇の夢を果たせますように。
そして、あと1つ。
自由と遊び心の神戸RANDOM句会が永遠に続きますように。
2024.4 写真・文/mimizu
