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神戸RANDOM句会

シニアの俳句仲間の吟行・句会、俳句紀行、句集などを記録する。

 

 福島 会津柳津――いわき塩屋埼

 

 

 

 

 ――柳津は美しい山峡の町である。

会津地方に多いカヤきの曲り家も見られ、高い石段を上った山上には虚空蔵を安置した古い寺があった。この町の八月旧盆の燈籠流しは、もう何百年もつづいているという。

 詩人秋谷豊(1922~2008)の「奥只見」というエッセイの1節である。「会津盆地の南部を列車は迂回して、まもなく山間部に入り、いくつもトンネルをくぐる」とも書かれている。

 只見線は1日6本。会津若松駅から田園地帯をU字型に南に迂回し、U字の左上に至ってようやく山に入り、短いトンネルを5つ抜け出ると、只見川に沿って走り、まもなく会津柳津駅に着く。柳津町(やないづまち)は人口3300人の小さな町である。

 

 20年ほど前、出張先の福島市で帰る時間をずらし福島県立美術館を覗いたことがある。そこで斎藤清(1907~ 1997)という版画家の会津の雪景色に魅入られた。のちに柳津に斎藤清美術館があることを知り、いつか訪ねたいと思っていた。

 ことし1月、明石市立文化博物館で「大正浪漫 グラフィックデザイナーの原点 竹久夢二展」で夢二が描いた川向うに円蔵寺のみえる「柳津風景」を見た。2月には村上篤直『評伝 小室直樹』に、小室が柳津の母の生家に疎開し、会津若松まで蒸気機関車に乗って通学していたとの記述を見つけた。さらに川内有緒『空をゆく巨人』を読んだが、いわき市が舞台だった

 福島が招いている。偶然が重なり、旅を思い立った。ウルトラマンに迎えられた福島空港から高速バスで、郡山を経由し会津若松まで2時間、そこから只見線各駅停車で1時間。とにかく遠い。

 

 

 

 

――柳津(やないづ)は美しい山峡の町である。

 出雲の足立美術館が「庭園もまた一幅の絵画」だとして、館内から広大な庭園を眺められるのと同様に、斎藤清美術館も館内から緑濃くゆったりと流れる只見川、川向うの段々畑と小さな集落、赤い円形の瑞光寺橋、その奥の福満虚空蔵菩薩円蔵寺が一望できる。静かなたたずまいの美術館で、雪の降り積む風景など会津の四季を楽しんだ。

 すぐ近くにある斎藤清アトリエ館では、作品とその作品の元となった風景写真と対比して説明を受けた。

 

夏なのに雪積む会津の景続く

山峡の町にアトリエ驟雨くる

 

 

 急な石段を上った先の円蔵寺境内は五月闇。風格のある本堂には釈迦如来。毎年1月7日に下帯姿の男たちがこの本堂で麻縄をよじのぼり大鰐口を目指す「七日堂裸まいり」はニュース映像で見たことがある。

 門前町の小さな通りにある岩井屋で蒸し上がるのを待ち名物のあわ饅頭のあつあつを食す。

竹久夢二の歌碑も、うぐい生息地の魚渕のそばにあった。

――みちのくのめぐしをとめは魚淵の魚にうの花購ひにけり


 

 

御朱印を戴き甍緑さす

蒸すを待つ粟饅頭や夏日傘

 美術館に近い河畔の宿に泊まり、翌日、会津若松、郡山経由でいわきへ。JR磐越西線・東線で行きたいのだが、本数の少なさで、高速バスを選択せざるを得ない。会津若松からいわきまで約3時間。車内から……。

 

浜通りへ風の騒ぐや山法師

除去土壌運搬車列炎天下

 

 いわき市立美術館に立ち寄ったが、常設展に蔡國強の作品はなく、早々に立ち去る。ここからは予約していた観光タクシーで4時間の市内見物。

 

 

  白水阿弥陀堂。左右の園池のまんなかの朱塗りの橋を渡ってお堂へ。阿弥陀如来がおわす。堂内で若い僧による案内がある。「浄土庭園」は蓮の花が有名だが、今の時期は花菖蒲が咲いている。御朱印を戴き帰りかけるとバスの団体客。静かな時間にお参りできてよかった。

阿弥陀堂こけら葺き寂しょうぶ凛

浄土に黙す夏帽のカメラマン

 

 

 

 

   塩屋埼灯台。映画『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年・木下惠介監督)は、この灯台長の妻の手記をもとにつくられた。灯台の中をぐるぐる105段のぼり、白波が立つ太平洋を眺める。

 すぐ近くに、美空ひばり『みだれ髪』(星野哲郎作詞・船村徹作曲)の歌碑と遺影碑がある。1987年夏、長期入院から文字通り不死鳥のごとく蘇ったひばりの復帰第一作である。

――暗(くら)や 涯てなや 塩屋の岬

見えぬ心を 照らしておくれ (『みだれ髪』)

 

百五段汗の飛沫や塩屋埼

復興の暗や涯てなや夏怒涛

 

  2011年の東日本大震災で、岩手県は三陸海岸、宮城県は石巻などの津波被害が大きく報じられたが、福島県は原発事故以外はほとんど報じられず、とくに関西ではいわき市は復旧復興従事者の宿泊地としか知られていない。

 といったことを観光タクシーの運転手に話し、津波で大きな被害を受けただろういわき市の海岸線の復興状況を見たいから、県道382号線を走ってほしいとお願いしたが、どうもうまく意思疎通が図れなかった。無口な運転手は「私も千葉に一時避難していた」と語ったのみであった。

 高さ7~8mの海岸堤防堤は完成し、道路山側の海岸林の松も育ち始めている。海水浴場などの砂浜や広大な太平洋は、車からはまったく見えない。

 

 

 

  いわき回廊美術館は、川内有緒『空をゆく巨人』で知った。いわき市の気のいいおっちゃんたちとアーティスト蔡國強の30年の友情ストーリーである。

 美術館と呼ぶより公園といった方が正確に思える。シンボルの“自己責任”で乗るブランコもある。蔡國強の作品「廻光-龍骨」、「火炎の塔」もあった。そして99,000本をめざす「いわき万本桜プロジェクト」。

 ――私たち日本人全員の意志で原発を利用し事故を起こした為に、未来の子供達へ、負の遺産を残してしまうことになってしまいました。〔…〕すごい悲しさ、悔しさを今さらながら感じています。なんとかならないものなのでしょうか!

 春、桜の花が満開に咲いているのを見て、2 0年後、3 0年後の未来の子供達に、山一面の桜を見てもらえるようにしようと思いたちました。万が一いわきに住めなくなった時でさえ、いわきの土地を愛していた人達の気持ちが伝わるくらい、沢山の桜の木を植えたいと思っています。(同書、「いわき万本桜だより」)

 

絆なれ万本桜植へ始む

夏天仰ぐ火炎の塔も龍骨も

 

 

 

 いわき駅から常磐線特急「ひたち」。雨の品川に1泊し、翌朝、ラッシュアワーのなか東京駅へ。

 2013年の青森、14年の岩手、秋田、15年の宮城、山形と続けた東北へのひとり旅は、16年に体調を崩し、福島を残したままになっていた。16年から3年連続で原因不明の3つの呼吸器系難病を患った(いまのところ日常生活に支障はない)。ということもあって今回の福島は、妻と娘の“付き添い”つきの旅だった。“自問自答”のひとり旅と違ってにぎやかでゆとりがある。

 そして東京駅で神奈川県藤沢市住む弟と合流し、五輪準備中の東京見物となった。

 

六本木スカイデッキに涼嵐 (涼嵐は造語)

汗噴いて五輪準備といふ化粧

 

(2019年5月)