見水の俳句紀行
日曜の朝は「遠くへ行きたい(読売)」と「小さな旅(NHK)」が楽しみ。意外な出会い旅はつい見てしまう。
近いようで遠くなかなか行けないのが富山。米どころで海の幸に恵まれ、万年雪の立山連峰に抱かれ、人々は豊かに暮らし長寿。日本の理想郷のように思える。
雪渓の立山連峰空遠く
休暇村のPR誌を見ていた息子が、5月下旬の休暇に家族旅行しようと提案。行先は北陸。羽咋の「休暇村・能登千里浜」を2連泊で。能登半島の地震からまだ1年半。奥能登の輪島や珠洲は復興が進んでいないが、半島の付け根の羽咋は旅行者を受け入れているようだ。
息子はゼミの卒業旅行が能登で、その後も富山の友人と黒部や高岡に行っている。当方も高校の修学旅行で黒部に行き、18歳の夏に羽咋・能登島・輪島でキャンプ。能登の大自然と人々の優しさに触れた。
バスはゆく半島の果て雲の峰
神戸のわが家から能登の羽咋までは約400キロ。クルマでは休憩なしで5時間。1泊では往復するだけだが、2泊なら富山にも足を延ばせる。
◆◇◇◇
5月19日、朝8時半出発。舞鶴若狭道は対面交通がありトンネルが続くので運転は息子に。
原発銀座を抜けて敦賀。ジャンクションから敦賀湾・敦賀の街が一望。北陸新幹線も見える。
敦賀は芥川龍之介「芋粥」で連れて来られる京のはずれと思っていたが、新幹線で東京と直結する街になった。北陸道を北へ。11時前に南条SA。越前おろし蕎麦と焼き鯖寿司で昼食。
越前は焼鯖寿司とおろし蕎麦
山嶺を抜け、鯖江、福井、九頭竜川を渡り、新緑の越前をひた走る。広がる畑は一面麦の秋。
金色の穂麦の続く越の道
石川県に入ると北陸道は海沿いに。尼御前SAで休憩。義経の都落ちを共にしてきた従女・尼御前が取り調べの厳しい安宅の関を前にここの岬で入水したという。砂丘と防風林が延々と続く小松市。道路沿いはコマツなどの大工場が並ぶ。
「あれは、立山?」
息子がつぶやくので見ると、東側に白い山脈らしきもの。
「立山かなあ…」
うっすらと雲か山脈夏の空
雪の残る山脈のようなものが見えただけでも来た甲斐があった。
金沢西インターで降り、街中を走って、「のと里山海道」へ。制限速度80キロの無料の一直線の高速道。
「次は、なぎさドライブウェイやな」
目で探していると、それらしき表示が。インターで降りると、カラフルな別荘地?に迷い込んだ。後で調べると金沢市のベッドタウンの内灘町の団地。電柱がなく開放的で外国の町のようだった。「のと里山海道」に戻り、道の駅・高松で休憩。目の前は海水浴場で、レストランや足湯、特産のぶどうのモニュメントがある。石川のスイカは甘いが、ぶどうもきっと甘そう。
今浜インターで降り、「千里浜なぎさドライブウェイ」の入口へ。
「千里浜なぎさドライブウェイ」は今浜から千里浜まで全長8キロ。日本で唯一、クルマで走れるなぎさ。砂が細かく水で固く締まっているので車道として許可されている。
日盛りに打ち寄する波群れ千鳥
終点まで走り、「休暇村・能登千里浜」に到着。予定より早いので、市内を回ることにした。
羽咋市は縄文遺跡や能登一の宮の神社が残る町で、人口約2万人。古い家々は渋い下見板張。スーパーに入ると米は北陸米。息子は北陸限定あられ「ビーバー」を見つけてカゴに。
午後4時、「休暇村・能登千里浜」にチェックイン。海側の部屋だが窓の外は防風林。
1階の温泉へ。泉質は塩化物泉で温度は52.4度、湧出量が多いので源泉かけ流し。
夕食は午後5時45分から。連泊の夕食は日替わりだが、新鮮な地元食材に満足。郷土料理の治部煮もいただいた。
◆◆◇◇
5月20日、朝5時に温泉へ。朝の露天風呂は最高。
7時からの朝食はビュッフェ。自慢の北陸米の焼きおにぎりや珍しい車麩の料理。最後に濃いコーヒー。
海を見に行こうと息子を誘い、浜辺まで散歩。浜茄子が咲き、道端は浜えんどうが花盛り。浜辺に出ると果てまで続く浜に打ち寄せる波。ゴーゴーと潮騒が耳をつんざく。この沖をかつては船荷を満載した北前船が通ったのだろう。
かまびすし潮騒寄する夏の能登
浜茄子の沖高田屋の船の影
8時30分出発。昨日付いた海砂をコイン洗車場で洗い流す。今日の目的地は山里を抜けて富山県の氷見と高岡。棚田が続き、重厚な造りの家々。蕎麦処もある。県境を越え氷見市。氷見市は人口約4万人だが、漁港で水揚げされる富山湾の「氷見ブリ」は全国ブランド。漁港の食堂は朝から営業し、獲れたて(きときと)のブリ丼や海鮮丼が人気らしい。近くに「道の駅・氷見番屋街」があり、海産物店や食事処が入っている。
昼食にはまだ早いので、息子は高岡市内の人気寿司店に11時で予約。
氷見の商店街を抜けると、あちこちに地元出身の漫画家・藤子不二雄Ⓐのキャラクターを置いた「まんがロード」。鳥取の境港のゲゲゲの鬼太郎の水木しげるロードのよう。
「道の駅・雨晴(あまはらし)」へ。二上山が海に没する高岡市のはずれの断崖に設けられ、海沿いをJR氷見線が走っている。逃避行の義経が雨宿りした「義経岩」があり、富山湾越しに3,000m級の万年雪の立山連峰が望めるという絶景スポットだが、今日は見えない。
「見えたらあの辺りかな」
大伴家持の歌碑と芭蕉の句碑がある。
馬並めていざうち行かん渋谿の清き磯廻に寄する波見に 家持
わせの香や分入右は有磯海 芭蕉
大伴家持は、30歳前後の5年間、越中の国司として、ここからほど近い伏木の館で暮らした。越中は東大寺領の荘園が多く、家持は、大仏建立を進める橘諸兄のために荘園の収穫増に励み、一方、歌人として後に万葉集に残す多くの歌をこの地で詠んだ。「海ゆかば」もここでの作。
芭蕉は、奥の細道で秋田から新潟、富山までの長い日本海沿いの道を曾良と歩き、早稲の実る新湊から右手の雨晴や氷見の磯辺に立ち寄ろうとしたが、漁師の小屋しかないと聞き、諦めて俱利伽羅峠を越え金沢に向かう。
伏木は高岡市のシンボル二上山(274m)の麓の閑静な住宅街だが、国宝の浄土真宗・勝興寺、北前船資料館、万葉歴史館などがあり、港を望む丘は神戸の山手のよう。神戸っ子が紀州の山々を眺めるように、伏木の人たちは立山連峰を眺めているのだろうか。作家の堀田善衛(1918~1998)は伏木の廻船問屋の家で育った。
高岡の市街地に入ると路面電車「万葉線」の軌道。神戸の市電は50年以上前に廃止されたが、ここでは現役。ドラえもんのトラムも走っている。
寿司店に到着。11時の開店を前に行列ができていた。黒板に氷見漁港で仕入れた魚を書き出し、数人の職人が手際よく握っている。わが家は手頃な盛り合わせを注文。きときとの富山湾の海の幸。
まずつまむ氷見きときとの鯖にぎり
昼食を終えて通りを進むと、「藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー」の案内板。
「入って見よか」
ドラえもん、のび太、しずかちゃん、ジャイアン、スネ夫…は半世紀前からおなじみのキャラクター。自然に足が向かう。
加賀を百万石にした二代藩主・利長は、加賀・能登・越中を治めるため高岡に城を築いたが、一国一城令により廃城に。その後高岡は工芸品や銅製品で発展。人口約16万人の都市だが博物館や美術館があり、美術館の2階に「藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー」を設けている。
人気の施設「藤子・F・不二雄ミュージアム」は川崎市にあるが、ここは「のび太」だった藤本少年の世界。案内パンフの表紙は「すべては、このまちから はじまった。」の言葉と生み出されたキャラクターたちがふるさと高岡の町を静かに見降ろす絵である。
はじまりは素晴らし万緑の野山
安孫子素雄(1934~2022、藤子不二雄Ⓐ)が小学生のとき氷見市から高岡市に転校し、藤本弘(1934~1996、藤子・F・不二雄)と出会い、まんが描きに夢中に。
二人は手塚治虫を訪ねて宝塚まで行き、おずおずと作品を見せると、漫画の神様は激賞。
東京に出て、トキワ荘で漫画修行。
「オバケのQ太郎」や「パ―マン」、「ドラえもん」で人気作家に。
その後コンビを解消し、藤子不二雄Ⓐは「怪物くん」や「笑ゥせぇるすまん」、藤子・F・不二雄は「大長編ドラえもん」や「キテレツ大百科」で日本を代表する漫画家に。
稚拙な子供時代の漫画、急成長し目を見張る傑作、ドラえもんやのび太の手書きの原作…
見入っているうちに、これらの作品は「高岡の至宝」と思えてきた。
余韻に浸りながら駐車場を出て、国宝・瑞龍寺へ。
参道「八丁道」の側道を奥に進む。
「この道で合っているか」
「間違いないよ」
寺院の前に駐車し、拝観料を納め案内パンフを受け取って中へ。
広大な伽藍と巨大で厳かな木造の建物群。芝を敷き詰めているので、緑が美しい。
青芝の七堂伽藍すがすがし
「江戸時代によくこんな建物が建てられたな」
と、息子。投じられた巨費と高度な木造建築の技術への驚き。今では考えられない。
建てたのは加賀三代藩主・前田利常。二代・利長への感謝と弔いの寺としてこの地に建てた。
司馬遼太郎は「加賀百万石の長いねむり」というエッセイに、三代・利常の器量人ぶりや、300諸侯中最大の加賀藩が幕末に動かず、美術工芸と秩序美が残ったことを面白く書いている。
次に向かったのが、街の中心部にある高岡大仏。
高岡の初代大仏は13世紀に遡るが、木造のため焼失を繰り返した。現在の大仏は、地元の熱い思いと地場産業の鋳造技術を注ぎ、30年の歳月をかけて1933年に開眼。90年経っているが、艶々とよく光っている。観光客も多いが、地元でよほど愛されているのだろう。
涼しげに大佛鎮座空青し
「日本三大大仏の3番目は、兵庫大仏か高岡大仏か。どっちやろ」
と息子に聞くと、
「高岡かなあ」
平家ゆかりの能福寺に鎮座する兵庫大仏は金物の町・三木で造られた美しい大仏なのだが。
来た逆コースで羽咋に戻る。帰り道も晴天だったが、立山連峰には出会えず。
温泉で汗を流し、午後6時から夕食。昨夜と献立が変わり、牛すき鍋や魚の煮付け。煮付けの魚は「あから」。のどぐろに似た日本海の魚で、地元ではよく食べられているらしい。
食事を終え、1階の売店をのぞいていると、どっと数十人の中国人団体客が到着。
◆◆◆◇
5月21日、7時に朝食に行くと、すでに中国人団体が賑やかに食事中。予定が詰まっているのか、さっさと引き上げ。隣の席では欧米系の中年夫婦が食事。公共の宿・休暇村がこんなに国際化したとは。
今日も快晴。どの道で神戸に帰ろうか。
「雨晴に寄り、高岡から高速で金沢。北陸道・名神で帰ろう」と息子。
雨晴で富山湾越しの立山連峰に遂に出会えぬまま、芭蕉の「奥の細道」のコースで金沢へ。
金沢の街に入ると新旧いろいろな建造物。迷いながら石川県兼六駐車場のビルに到着。向かいは県の物産館でその横に紺屋坂。 この坂を登れば金沢城と兼六園の2つの台地をつなぐ石川橋。土産物店の並ぶ紺屋坂はインバウンドや修学旅行生であふれている。
金沢城と兼六園はそれぞれ最短で30分で回れるが、兼六園だけ回ることにした。
夏衣国際色の紺屋坂
霞ケ池に身仕舞正す夏木立
兼六園の入園料は意外と安く、高齢者は県外の客も無料。
「姫路城が値上げしたら、金沢に負けるワ」と息子。
金沢城は大阪城と同様、本願寺の跡に築かれた。向かいの台地に前田家は営々と庭園を造った。台地の上に湖のような霞ケ池。ことじ灯籠からゆっくり一周したが飽きさせない。水位を利用して噴水まで作っている。
金沢は三大都市圏から遠かったが、今は東京から新幹線で2時間半。戦災に遭わず京都とともに日本文化を残す金沢にはこれからも世界中から大勢の人がやってくるだろう。
物産館に懐かしい生姜の煎餅「柴舟」があったので買い、帰途に着いた。
柴舟のゆるり涼しき遠い日々
北陸路行きも帰りも麦の秋
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5月23日、能登の旅から2日後、大相撲夏場所で大の里が優勝を決め、初場所からわずか2年で横綱に昇進。出身地で被災地の石川県津幡町は6月29日に祝勝パレード。小さな町は3万7千人のファンで沸いた。
阪神・淡路大震災の後、「がんばろうKOBE」で大活躍したオリックスのイチローと重なった。
「石川県に生まれなかったら相撲をやってなかった」と語る25歳の横綱の今後が楽しみだ。
唯一無二夏場所を終へ里帰り
2025.7 mimizu記




























