日常会話において声で伝えられる言葉は記録には残らないけれど、場合によっては人の見えない部分に記憶として強烈に残る…。良い意味でも悪い意味でも。
私は今日、自分の発した言葉で間接的に人を傷付けてしまった。
間接的にというのは、自分の発した言葉自体が直接相手を攻めたのではなく、自分の発した言葉とその場の状況、それとその相手が気にしていること(コンプレックスや短所)があいまって相手を追いつめたということだった(今日の場合)。
そこで私は、『自分がそれとなく発した言葉が知らないうちに人を傷付けている』という事を身を持って少し理解した。
『』内のことは、小中高時代に親や教師にずーっと言われ続けてきた事だったが、そうかもしれないなとは思いつつもいまいち実感が湧かなかった。
私自身の場合、本当に傷付くような事を言われたら、それに自分が真正面から向き合うと暗がりから這い上がれなくなるような気がして、傷付いたという気持ちをあからさまに表に出すことを避けたり、言われた嫌な事をできるだけ自分の中から抹消しようとこれまでずっとしてきたから、
大人(教師とか親とか)に、自分は傷付いた、などと簡単に言ってしまうような人は口だけで、大して傷付いてなんていないはずだ、本当に傷付いたらその事を思い出したくもないはずだから傷付いたことをまた他の人に言って自分から掘り返すようなことはしないはずだ、とずっと思っていた。
だから、そういう訴えをしちゃう人は本当に傷付いてはいないんじゃないかと思って、『』内の言葉のような事を完全無視こそはしていないものの、そこまで重要視してこなかった(正直に言うと)。
でも、今日は、相手がそれとなく言った発言から相手が傷付いたということを実感として感じ取ってしまったから、自分が今までずっと注意されてきた事に対して、反省の気持ちが湧いた。
人に言われるより実感した方が断然事の重大さに気づけるし、悪いことなら直したいという気持ちも強くなる。
私は大学生にしてやっと、今までずーっと言われてきた事が少しわかった気がした。
すぐに直すのは難しいけど、ゆっくり少しずつ直していきたいと思った。