拒食症かも ② | 拒食症から過食症へ、摂食障害の娘とのthe奮闘記。

拒食症から過食症へ、摂食障害の娘とのthe奮闘記。

2015年4月に拒食症と診断され、2度入退院を繰り返しその後、過食症に。2016年12月にアメリカロサンゼルスにある摂食障害専門の居住プログラムに自ら行くことを決意。
アメリカと日本の摂食障害に対する治療法や意識の違いについて伝えていけたらと思います。

いつも元気でひょうきんなクレアちゃん。

 

 
 
だけど義妹に連れて来られたクレアちゃんは、どこか怯えているようで、終始うつむいたまま。
 
 
 
娘はクレアちゃんに、自分がなぜ2度も入院したのか、知っているか尋ねた。
 
 
 
摂食障害でしょ?
 
 
うんそうだよ。摂食障害には拒食症、過食嘔吐そして過食症ってのがあってね。
 
 
私の場合は拒食症で2度入院したの。
 
 
誤解されやすいのが、食べていないのが拒食症であって、ちゃんと食べてるから拒食症ではないと思ってしまう事。
 
 
カロリーさえ気を付けていれば、ファーストフードしか食べない拒食症の人だっているし、ヘルシー志向だと言って、カロリーの低いものばかり食べる人だっている。
 
 
運動も毎日することが習慣になって、カロリーを消費することで頭がいっぱいになって。
 
 
消費カロリーより摂取カロリーがかなり低いと、体に栄養が十分届かず、徐々に体の機能が落ちていくの。
 
 
私の場合、まず生理が止まり、抜け毛、甲状腺の異常、皮膚がかさかさになり、低体温、低血圧、低心拍になった。いつ死んでもおかしくないくらい体は弱っていた。
 
 
居住プログラムで出会った子は、たぶんクレアと同じ年に拒食症になってまだ18歳なのに骨粗鬆症と診断されたんだよ。
 
 
早い段階でこの病気の恐ろしさを知ることによって、いつでも引き返せる。でもね、ある段階に入ってしまうともう引き返せないの。どんどん摂食障害にコントロールされてしまう。
 
 
自分だけじゃない。家族をみんな巻き込んでしまうんだよ。
 
 
クレアが拒食症の疑いがあるとは言ってないんだよ。だけどこの病気のこと知ってほしい。
 
 
 
 
そう訴える娘は、この2年ですごい成長したなと感慨深いものがあり、また自分の病気をさらけ出してまでクレアちゃんに伝える勇気にも感動した。
 
 
 
 
だけど義妹の反応はすこし違った。
 
 
自分のストーリーを私たちにシェアしてくれてどうもありがとう。 そう言った後に、
 
 
最近はちょっと食べる量も減ったかなとは感じてるけど、ちゃんと3食食べている。
 
 
それに、いつも学校で何食べたか聞いているし、私もクレアの年頃には急激に体重が落ちたこともあったし。
 
 
以前がちょっと肥満で偏食だったけど、今はヘルシーになんでも食べれるようになった。
 
 
娘を擁護し、そして自分もまた、まさか自分の子が摂食障害になるわけないという考えのようだった。
 
 
 
 
それでも娘は、
 
 
摂食障害は恥ずかしい病気、誰にも知られたくない病気かもしれない。
 
 
だけど自分と周りの家族がその病気を理解して、認める必要性があること。
 
 
否定し続け、理解しようとしないと、どんどん摂食障害に侵され、取り返しのつかない状態になってしまう。
 
 
 
 
そこでダンナが、
 
 
まあ、今は成長段階で背も伸びている時期かもしれないし、それで急激に体重が落ちたのかもしれないし。
 
 
ダンナはクレアちゃんと義妹を思って発言したのだけど、それが娘を怒らせてしまう結果に。
 
 
 
 
義妹とクレアちゃんが帰った後に、
 
 
なんであんなこと言ったの?
 
クレアを思って言ったことだろうけど、怖がらせないといけないの。
 
自分に思うところがあったから怯えていたんだよ。
 
クレア自身、体重がどんどん減って今は一番ハッピーな時期。
 
厳しいようだけど、怖がらせないといけないの。
 
 
2年前、入院先の病院で初めて自分が摂食障害と診断された娘。
 
 
どんどん痩せていく自分に誰も摂食障害だと忠告してくれる人がいなかった。
 
 
私もまさに、自分の子が拒食症だなんて思わなった。
 
 
だってちゃんと食べていたから。
 
 
 
その後、娘の部屋に行き、パパをあんまり責めないでね。
 
 
パパは優しすぎるから、どうしても相手のことを思って擁護してしまうんだよ。
 
 
だけど、ママは感動したよ~。
 
 
そう言うと、
 
 
なんか長い道のりを経て、やっとここまで来た感じでしょ。
 
 
と、照れくさそうに変顔をする娘がとても愛おしく感じた瞬間でした。