独身時代が長く、
働いていたころは
赤ちゃんや幼児と接する機会は皆無
身内や周りにも小さな子供がいなくて
子供と言葉を交わしたり遊んだり
ふれあう機会がなかった
だから
息子を妊娠した時も
どうやって
赤ちゃんや子供と接したらよいのか
イメージがわかなくて、
正直、嬉しいとかよりも
漠然とした不安しかなかった
今から思えば、
子供がいる生活を経験してみたい
という以外にも
今、子供を生んでおかなければ
いつか後悔するかも
というような自分勝手な理由が
少なからずあった
出産直前になっても
赤ちゃん用品や産後の準備もせず、
子供が生まれることによって
諦めなければならなくなる事柄を
考えてみたり
この先の自由への制限を思うと
憂鬱にすらなった
自分には母性がないんだな
自分なんかが
母親になっていいんだろうか
でも、前に進むしかない
そんなことを思いながら出産
不思議なもので、
我が子を初めて胸に抱いた時の喜びや
この子をなんとしても守らなければ
という使命感と覚悟
もうこの瞬間に死んでもいいと
思えるほどの
満足感とも達成感とも違う
幸せの中にある安らぎのようなもの
小さな存在がただただ愛しくて、
こんなにも自分の意識が変わったことに
とても驚いた
それでも
子育てとは出産がスタートで
成人するまでは延々と続くもの
そして成人しても親子の関係は続く
周りに頼れる身内が誰もいなくて
自分が病気の時や育児に疲弊したり
非常時や緊急時、
先が見えないことへの不安や
自分に全てがかかっているという
プレッシャーが常にあり
精神的に追い込まれ
追い詰められ続けても
そこから逃れられなくて
情緒不安定になっていった
そんな私と常に一緒にいた息子は
どんな想いだっただろう
どのような時もすぐに状況を察し
我慢強くて繊細な息子
まだまだ甘えたい幼児期なのに
悲しくて泣いてもすぐに泣き止み
手紙やさりげない言動で
いつも笑顔になって
私を励まし元気づけてくれた
息子は悪くないのに
問題があるのは私自身なのに
子供に気を遣わせ謝らせるなんて
自分が母親じゃなければ
自身をもっとコントロールできる母親であれば
息子はもっと違った成長や幼少時期を
過ごせたのではないか
もっと自由に遠慮なく
自分の想いを吐き出したり
我慢せずに行動できたり
したのではないだろうか