ここ数日、岐阜のネトウヨ戦士・MOGA君と安倍元首相銃殺事件(以下、山上事件と称する)について、あれこれ言い合っていたのですが、こちらの攻勢に堪りかねたMOGA君に怒りの出禁処分?を食らってしまいました(笑)。

 

彼のブログはコメントフリーなので、出禁処分と言っても「コメントを見つけ次第削除する」という対応なのですが、彼はコメントを書かれると反応しなきゃ気が済まない性質なので、こうせざるを得なかったということでしょう。

 

私の反省すべき点としては、彼の脳のキャパシティを考慮せず長文を一度に連投しすぎたことですね。こちらは真面目に論じているつもりでしたが、当のMOGA君は単なるノイズ(荒らし)に感じてしまったようです。

 

私のコメント投稿スタイルはメモ帳に書き貯めた文章を一気に投稿するスタイルなのですが、相手には「興奮して連投してきている」ように感じるのでしょう。今後は小出しにしながら投稿するように努めたいと思います。なおMOGA君は「夜中の25時に投稿してきたずらw」と私を論っていますが、これも日中書き貯めたコメントを寝る前に一気に投稿しただけのことです。

 

そういうわけで、此方もこれ以上突っ込むのは止めようと思ったのですが、一か所だけ看過できない記述がありましたので、訂正または削除を彼に求めました。詳しくは以下のMOGAブログの記事をご覧ください。

彼は速やかにこちらの要求に答えてくれたので、ひとまず彼には素直に感謝のメッセージを送りました。

 

しかし「訂正か削除でいいのに、なぜわざわざブログに訂正記事を上げたのか?」と思って記事を開いてみたら、どうやら彼はどうしても私に“いっちょかみ”したくて、わざわざ記事を書いたようなのです(笑)。

 

 

 

☆“量刑基準”という概念が分からないMOGA君☆

 

私のMOGA君に対する要求は、以下のことでした。

 

「私は長崎市長銃殺事件の判決が1審死刑→2審無期懲役と推移したことは知っていたし、知っていた証拠もある。それなのに“ラム夫は推移を知らずに書いてきた”と断定して吹聴するのは、私に関するデマの流布なので訂正または削除を求める」

 

MOGA君はこの要求自体には応じてくれたのですが、今度はこんなことを言いだしました。

 

MOGA「コイツは何故知っていながら、その事をMoGaのブログには書かなかったのか、もう分かりますよね(笑)それはとどのつまり、そこまで言及してしまうと己の主張の補強材料としては弱いからなんですよ。」

 

如何にもネトウヨらしい“下衆の勘繰り”です(笑)。

私はMOGAブログに「長崎市長銃殺事件は無期懲役が確定しており、安倍銃殺事件でも検察はこの判例を参考にして無期懲役を求刑した、だから山上に死刑が求刑され死刑判決が下る可能性は無かった」という旨のコメを投稿しました。

 

ところが「凶悪な政治テロ犯の山上は死刑に処されるべき」と頑なに考えるMOGA君は

 

「長崎の事件は無期懲役が2審で確定してるが、1審では死刑判決でてるべ?だから山上が死刑を求刑される可能性だって全然あったんだ!ラム夫はそれを知っていて、わざと1審判決のことを書かなかったんだ!卑怯ずら!」

 

と、私の挙げ足をとった気になり、有頂天になってブログに書いたわけです(呆)。

 

確かに私は1審が死刑判決だったことはMOGA君には言及しませんでしたが、その理由は単に“言及する意味がないから”です。量刑を決める際に法廷が参考にする過去判例は確定判決であり「1審では○○だったが2審では△△だった」などという経緯は基本的に参考にしません。

 

1審判決や控訴審の判決など、複数の判決全部を参考にするとしたら、それは量刑基準が複数存在することを意味します。それでは量刑基準の意味を成さないので、基本的に司法では確定判決を参考にすべき量刑基準として採用するのです。私はあくまで量刑基準について議論していたので、1審判決に言及する必要は無いんですね。

 

ここにmoga君が捻じ込んでくるというのは、彼が如何に司法実務に無知であるかの証左。彼は四流大学の法学部卒と聞いたことがありますがホントかよ?(笑)。

 

なお山上事件の1審に臨んだ検察も「2007年の長崎市長射殺事件を参考にして、無期懲役を求刑した」と読売新聞の取材に答えています。

 

【2025年12月19日・読売新聞】

『山上徹也被告への求刑で無期懲役を選択した検察側「政治思想犯ではないことも踏まえた」…長崎市長射殺事件を参考』

https://www.yomiuri.co.jp/local/kansai/news/20251219-GYO1T00030/
 

 

 

☆「1審では死刑だった」と書けば、むしろ私の主張がより補強されていた理由☆

 

長崎市長銃殺事件について、MOGA君は「1審で死刑判決出てるずら、ラム夫にとってこの事実が不利だから、ラム夫は敢えて書かなかったずら!」と囃したてるのですがそれを書くことが私の主張に不利に働くどころか、逆に一私の主張がより補強されることに彼は気が付いていません(笑)。

 

MOGA君には常々「テロか否かは犯行動機による」と私は教えてきました。「一名殺害では基本的に死刑判決は出ない」とも教えてきました。

 

長崎市長射殺事件裁判の争点を一言で言えば「民主主義への攻撃か、私的怨恨による殺人か」でした。1審では「民主主義への重大な攻撃」と認定して死刑判決、一方2審では「私的怨恨による殺人」と評価を修正して無期懲役に減刑(その後確定)しています。これはつまり、犯人の動機をどう評価するかが公判の争点だったということ。

 

長崎市長銃殺事件裁判は、いわゆる“永山基準”を逸脱する異例の1審判決を、2審判決では基準に忠実に判断した結果として死刑を回避した裁判でした。この判例により「要人殺害といえど私怨による動機ではテロ該当性が薄い、要人殺害と言えど永山基準を重視すべし」という量刑基準が形成されたわけです。

 

これって私がMOGA君に教えてきたことにそのまま当て嵌まっていますよね?それは当然、なぜなら私はこの事件の判例を参照した上で、MOGA君に教えてきたのですから(笑)。「言及してしまうと己の主張の補強材料としては弱いからなんですよ。だって?“下衆の勘繰り”も大概にしとこうな(笑)。

 

繰り返しますが、言及しなかったのは「量刑基準の議論には直接関係のない話だから」に過ぎません。

 

 

 

☆優先すべきは前例に基づく司法判断基準と法の公平性☆

 

先に引用した読売新聞記事では次のような山上裁判の検察側の説明も報道されています。

 

「被害者が1人であることを考慮し、死刑を選択しなかった。」「政治思想犯ではないことも踏まえた」

 

要するに、検察は山上の犯行をいわゆる“永山基準”を参考にし、犯行のテロ該当性も薄いと判断した上で無期懲役の求刑を決めたと説明しているわけですね。死刑求刑は通らない可能性が高いと検察は考えて無期求刑にとどめたとも解釈できます

 

山上の犯行はかなりの社会的インパクトがあったのは間違いなく、当時の私も驚きました。因みに私が事件の一報が報じられた際に最初に思ったのは「警備は一体どうなっていた?」でした。後にずさんな警備体制だったことを知り呆れもしました。

 

山上の犯行がテロか否か?については、「社会的インパクトは絶大だったが、犯行動機の政治的意図は薄いのでテロとは断定できない」というのが私の意見ですが、検察の見解も概ね同様のようです。世間一般ではテロと言われがちなこの事件ですが、少なくとも司法においては「テロかどうかは犯行動機によって判断される」ということです。

 

テロと断定したくなる人の気持ちも分かります。要人殺害なんて尋常ではないキナ臭さですから。でも日本には「要人殺害はテロと認定して死刑とする」といった刑法は存在しないので、刑事裁判では安倍が被害者でも殺人罪や銃刀法違反等で裁かれます。当たり前だが存在しない法律で人は裁けないし、要人だろうが一般人だろうが命の価値は平等なのでね。

 

MOGA君は「山上をテロリスト認定しないオマエは、テロを擁護してテロの誘発を助長してるずら!」と私を責めるのですが、無茶苦茶な難癖は勘弁してもらいたいずら(笑)。こっちは法的見解に基ずいた見解を述べているだけなので。

 

仮に世間の声が山上を擁護する声に溢れたとしても「よ~し、俺も政治家を殺して山上みたいに称賛されるぞぉ」なんて奴が続出したり、仮に山上事件のテロ該当性を否定する声が多数だとしても「よ~し、山上の事件がテロじゃないなら俺もやるぞぉ」なんて奴が続出するわけがないのですが、どうもMOGA君はそう考えているようです(笑)。

 

 

 

☆いわゆる“永山基準”に関する統計☆

 

MOGA君はいわゆる“永山基準”についても「一人殺害でも死刑判決が出た例は複数あるので、今や“永山基準”は原則ではない、一人殺害で死刑は普通にある!1審判決入れたらもっとあるずら!」と言っていました。

 

MOGA君の主張は本当なのか、そこで関西大学法学部の永田憲史教授の解説を紹介します。なお永田教授は多数の著書を持ち、法学界では知名度の高い専門家です。

 

以下の※箇所は関西大学法学部 永田憲史研究室ホームページ死刑研究・死刑選択基準に関するQ&Aからの引用となります。

 

※『どのような場合に死刑になるかについての基準を述べた昭和58年の永山事件第一次上告審判決以降、殺された被害者が1名の事案で死刑判決が最高裁判所で確定した事件は、20件に達しています。この数は同時期に最高裁判所において死刑判決が確定した事件の約1割にあたります。』

 

永田教授の統計では、永山事件が結審した昭和58年7月8日以降、令和5年12月末までの約40年間で確定した死刑判決は合計206件(上記リンク参照)、そのうち“一名殺害で確定した死刑判決”は20件。

 

故に“一名殺害で確定した死刑判決”が全体に占める確率は約9.7%”・・・。“普通にある判決”は明らかに誇張ですね。「一名殺害で死刑確定」は、皆無ではないが異例な判決と考えるのが妥当でしょう。

 

MOGA君は「1審で出た判決もカウントしろ」と吠えるでしょうが、こんなのは「工場で組立途中のクルマも出荷台数にカウントしろ」と言ってるのと同じ戯言なので却下(笑)。

 

ここで引用させて頂いた永田教授による「死刑研究・死刑選択基準に関するQ&A」には、分かりやすくて興味深いことが書かれていますので是非読んでみて下さい。

 

 

 

☆MOGA君が取り上げた日大・福田充教授の見解について☆

 

MOGA君が『テロ対策の専門家・日大危機管理学部の福田充教授が「テロ事件と言える」と言ってたずら!』とドヤっていましたので、最後に少し取り上げます。

 

福田教授は山上事件についてこう見解を述べています。

 

【「事件が政治的インパクトを持つという意味では、犯行動機が個人的な怨恨であっても、広義のテロと呼び得る側面がある」】

 

私はこの福田教授の見解に異論はありません。福田教授は「広義のテロと呼び得る側面がある」と言うに留めており、MOGA君が言うように「テロ事件と言える」と断言するには至っていないからです。

 

しかし福田教授は司法の専門家ではありません。彼はあくまで危機管理学の見地から山上の犯行を「広義のテロと呼び得る」と分析してるのです。福田教授の分野は山上のような犯行から社会をどう守るべきかを考える学問です。

 

だから福田教授の見解がそのまま司法判断には適用できるかは別の話。なぜなら司法は、積み重ねてきた過去の判例や様々な法理に縛られているのでね。

 

 

ここまで懇切丁寧に解説したつもりですがMOGA君は理解しないだろうなぁ。どうも彼は「理解したら負け」と思っているようなので。私に対しては、彼はいつでも「無敵の負け犬」なのです(笑)。

 

岐阜在住ネトウヨ戦士・MOGAの想像図