ramune13thのブログ

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進むべき道で悩む。
どの道を進むべきか。

現在の仕事は3つに分かれている。

1つは日常業務とも言える「作業」の仕事だ。
これは新しい事とは言え、日々、順々に覚えて行く事だ。
良くないのは、それに裂ける時間が少なく、
少ないのにも関わらず、自ら時間を作って学ばなければ行けない事だ。

2つめは、現在の業務のラインを整える事だ。
制作、そして生産のラインを社内だけでなく、社外のラインも整える。
そのためには様々な取引先を増やすことだ。
ついつい1つ目の覚えが悪く、この2つ目を忘れてしまうが、
この業務も自分の仕事だ。

3つ目は、事業の方向性である。
俺はぶら下がりだが、残念な跡継ぎ候補でもある。
俺が進む方向を決め、示すことができたとき、その方向に会社が進む。
大げさな言い方だが、あながち間違いではない。
社員の方々は、「仕事」に関しては様々な事を意見し、
時にはそれぞれ優れているところを見せてくれるが、
会社の方向性、行く末までは責任を持ってくれない。
現在の経営陣も永遠ではない。

自分の今の悩みは、3であり2である。

この会社は、今後どう進んで行くのか。

「従来の編集技術に、時代相応のIT技術が付随していくだけなのか」
「電子書籍のフォーマット、とは言わず、プログラミング言語、技術が絡むのか」
「それとも全く別のものなのか」

いまの俺に必要なものがわからない。
いや、ありすぎてどこから手を付けるべきかわからない。

止まっているだけなら、なにか手をつけないと。
俺は、自由にやらせてもらっているのだから。
本日、歌舞伎を初めて観た。
失礼この上ないが、若干、居眠りしてしまうほど、
内容がわかりづらく、楽しみ方がわからなかった。

歌舞伎は伝統芸能であり、内容を楽しむものではおそらく無いと思う。
むしろ、積み重ねられてきた歴史や技術、お決まり事項(かけ声など)を観て、
その奥深さを感じるものだと思う。

歌舞伎が始まったのはいつ頃だったのか。
調べてみると戦国時代から江戸初期にかけてだという。
当時はおそらく最先端の舞台表現方法だったのだろうと思う。
おそらく、歌舞伎は歌と舞が合わさってできたものであることは用意に想像できる。
従来の舞台に音楽や舞を取り入れたことが、随分新しかったのではないか。

さながらアップルのスティーブジョブスのiPhoneやiPadのごとく、
すべての表現方法が歌舞伎よりに傾いたのは想像に難くない。

この一世を風靡した歌舞伎も、時代の流れともに成熟し、
新しい表現方法・技術に押され、衰退、風化していったのだろうと思う。
今、我々が観ることができる歌舞伎は、
歌舞伎の濃縮したエキス、エッセンスな部分であり、
これを世襲制や継承を目的としたやり方で、大事な部分だけを次の世代に渡してきたのだ。

いまでは「中村」「市川」などなど、代表的な「屋号」に集約されており、
伝統芸能はこの家の力が必然的に強くなり、リードすることになる。

これに属するという形で、伝統の歌舞伎を似せた歌舞伎もどきの喜劇などは、
よく通天閣の麓などでも目にする。

久々に実家に帰り、同窓会に参加してきた。
そこにはもう何十年振りに会う友人が。
卒業以来、連絡も取っていなかった恩師にも会うことが出来た。

車椅子のあの子も其の中の一人。

再会した瞬間思い出した。
あー、この子とも俺は学校生活を送っていたんだ。
年齢も考え方も同じだが、どこか違うという気持ちを抱えながら、
それでも子供の無邪気さで一緒に過ごしていた時間を思い出した。

そういえば、階段移動の度にみんなでその子と車いすを運んだこともあったっけ。
一緒に途中まで帰ったこともあったかもしれない。

昔は手でまわしていた車椅子も、今では電動に変わっていた。
僕の半分も自由の利かない身体で、そのニューマシンを自在に操り行動しているらしい。

小学校を出てからもう、15年以上。
その後、その子どころか車椅子との関わりもなく、生きてきた。
それがその子と再会した瞬間思い出した。

それはかわいそうとか、そういう気持ちではなく、
おお、相変わらずだな!という昔ながらの気持ちだった。
お変わりなく、何よりだ。小学校からの友人だからこそ言える言葉だ。
良いマシーンだな。そんな軽口さえ出ても許されそうだ。
やはり同級生なんだなと思う。

・・・・移動が大変なんだという。
地元では車椅子が乗れるバスは、1時間に1本あるかどうか。
乗りたい時は事前にバス会社に連絡し、乗る場所と時間を伝えなければならないという。
その面倒さから、ついつい電車での移動になり、近い道もわざわざ回り道が必要とのこと。

留学していたカナダを思い出す。
あそこのバスはどんな時でも、誰でも乗れるように出来ていた。
自転車と一緒でも。無論、車椅子でもだ。

僕の知っているようで忘れていた点が、線で繋がる瞬間である。
その子の悩みと、僕の生い立ちがそれを繋げた。
バスはなんとか実現しないといけない。

世の中にゃー、様々なディスコミュニケーションがある。
それをぶちこわせとは言わない。
ただ、繋げることは出来るはずである。
そのディスコミュニケーションを繋げる仕事が僕の仕事である。
あるはずなのである。