医者はすべての病気を知り尽くしており、すべての病気を判断でき、すべての病気を治せる。
なんて期待がどういう訳かある。
そんなはずはないのである。
会社で働いてみれば良く分かると思います。
例えば、あなたがコンピューター関係の仕事をしているとしましょう。
あなたはコンピューターに関わる全てのことを熟知しているでしょうか。
全てのソフトウェアのバグに対処でき、すべてのハードウェアの不具合を解決出来るのでしょうか。
医療も商売ですが、お金を取っているからといって、その人がすべてを知るわけではないのです。
長い年月を通して仕事を学習していき、モノによっては20年を超えないと一人前と言われないような仕事もあります。
だからこそ年季の入った人物なら優秀であると一般的に考えられる。
しかしこれも年季だけで判断してはいけません。
別な職種から転職し、まだ2年目で何も詳しくないのかもしれない。
見た目だけは仙人レベルであっても実際はただのボケ老人かもしれない。
ですから医者に対しても、この医者は医療を極めし者である、と過剰評価してはいけないのです。
そのために、自身の病気を正確に診断してくれる医者を自身によって探す必要があるのです。
知らないジャンルに対してよくこの評価をされます。
医療に関して知らないからこそ、医者が全てを知る者であるかのように見える。
コンピューターもそうで、それを使えばあらゆることが出来るようになると考えている。
万能の叡智を手に入れすべての事象を意のままに操る存在に昇華した幻想を夢見ている。
それは幻想であり夢であるのです。
そんな都合の良い存在が目の前にいるとは限らないのです。
ピンキリなのです。
生きた辞典と謳われる人もいれば、生きたカボチャと恐れられる人もいるのです。
特に医者に関しては、病気になってから関わることが多いために、この過剰評価が起こりやすいのではと考えられます。
自身の健康やら知人の健康など、場合によっては命に関わるような病態で医者と接触を持つ。
末期に近い癌であったなら、死にたくない、または死んで欲しくないと極度な不安状態になっている。
私の知人も親が癌になり、治すことは難しいと診断され、軽いパニック状態で「どうして医者なのに病気を治せないのか」と荒れていた時期がありました。
結果的にその人の親は癌が完治したのですが。
このように死に直面すると正常な思考が働かないのです。
かなり限定された回路のみが動き、冷静な判断が出来ていない。
そのために、医者はすべての病気を治せるはずであると単純な考えに落ちてしまう。
または、治せないという事に対する苛立ちがそうさせているのかもしれません。
こういった場合はその本人に冷静な判断を求めるより、周りの人が冷静になったほうが良い。
周りの人が落ち着き、冷静な判断を助言することが良いでしょう。
手術させれば良いのか、時期は今でいいのか後でいいのか、など。
または医者をどうするか、病院をどうするかに関しても。
死に直面した場合、人間は感情的になりますので、自身が当事者となった時、少し距離のある人の助言を被ることも必要になってくると思います。
慌てた判断によって後に後悔しないためにも助言を求めるとよいでしょう。
求められた人は心を氷のようにまでする必要はないですが、患者や家族の気持ちもしっかりと考えて冷静に助言できるように努力すればいいのではないかと。
最近、私のおならが公園の便所以上の香りを放つのですがこれは大腸癌なのでしょうか