意識に引っかかるものは対処していく方が良いのですが、何に引っかかるかは人によって違います。

正しい、間違っているという話ではありません。

意識に引っかかる人には、それが影響するからこそ、対処というものがあるのです。

意識に引っかかるということは、その影響を受けているということです。

現象世界で起きている出来事が同じでも、捉え方が違えば、受ける影響も変わります。

同じ言葉を伝えても、ショックを受ける人もいれば、気付きになる人もいる。

「何故、このようなことを言うのだろう」と思う人もいれば、「そうか、そういうことか」と腑に落ちる人もいる。

要は、現象世界をどのように扱うかです。

同じ言葉であっても、感情的にネガティブに捉えれば、他人へ念を向けたり、カルマを重ねたり、他人の足を引っ張るような行為につながることもあります。

しかし、その後にどのような行為を選ぶかは、人間性や性質によっても変わります。

他人のせいにする性質の人は、他人へ念を向け、その返りすら人のせいにします。

同じようにショックを受けても、その後の行為は人それぞれです。

世間一般の常識を持ち出して、自分を守ろうとする人もいます。

そのエネルギーを自分に向ける人もいれば、他人に向ける人もいるのです。

意識に引っかかるということは、影響を受けているということです。

引っかかるから、影響を受けるのです。

そして、その様々な引っかかりに対して、

「このような意識の状態なら、このような対処がありますよ」

というものが処方です。

一方で、意識を純化し、引っかかるものが減っていくことが修行なのだと思います。

多くの人は、意識に引っかかるものの影響を避けながら修行をしていますし、私もそうです。

ただ、根本的な平和は、対処そのものではなく、一人ひとりの意識の純化にあるのだと思っています。

大衆に向けられた処方というものは、意識の純化の過程において、多くの人が長く引っかかるものに対するものなのでしょう。

星の影響や先祖の影響も、意識の網に長く引っかかるものなのだと思います。

だから、「皆がやった方が良い」となるのでしょう。

けれど、意識の純化が進めば、それらにも引っかからなくなっていくのかもしれません。

そこに正しさを求めると、こんがらがってしまいます。

意識に引っかからない人にとっては、その情報に正しさも間違いも存在しません。

影響しないからです。

しかし、引っかかる人にとっては、「どうしたら良いだろう」と対処をした方が良い。

ただし、その対処に正しさとして執着しない方が良いと思います。

正しさも間違いも、意識の網に引っかかるものには変わりありません。

正しさもまた、影響だからです。

引っかかり、影響を受けているうちは、

「今の自分には、この対処が最善だな」

そのくらいの気持ちでいる方が良いように思います。

過去の正しさに執着して、足枷になっている人もいます。

意識に引っかかるものを実体として生きるのも、その人の人生です。

正しさや間違いの中を生きるのも、自分の選択です。

ただ、自分が引っかかるからといって、他人も同じように引っかかるとは限りません。

そして、自分の正しさが、時には他人の足を引っ張ることもあります。

だからこそ、自分の正しさを他人の意識に植えつけないようにしたいものです。

スピリチュアルな学びの中では、知らず知らずのうちに、それらが植えつけられてしまうことがあります。

他人の正しさの中に生きるのではなく、自分の意識に何が引っかかっているのかを見ていく。

そこに、自分に必要な対処と純化の方法が見えてくるのではないでしょうか。


私がお伝えするヨーガでは、

「自分の意識に何が引っかかるのか」

を見ていきます。

ヨーガをされない方も、もし自分にどのような対処が必要なのかわからないのであれば、一つの視点として、多くの修行者が最後まで意識の網に引っかかるものに目を向けてみるのも良いかもしれません。

多くの人の意識に長く引っかかるものは、それだけ多くの人に共通する影響でもあります。


もちろん、私は、自分の意識に何が引っかかっているのかを、自分自身で観察していくことをお勧めしていますが、対処というものを考える時の、一つの参考になれば幸いです。^_^



では!